第21話 確かな変化
はっきりと、今だけは彼女の事を『珊瑚』と呼んで、好きだと告げる。
すぐには理解出来なかったのか、珊瑚はしばらくきょとんと眼を丸くさせていたが、次第にその頬が赤く染まっていった。
ぎゅうと強く握られた手の中にはバッグチャームがあるのだろう。飾りの部分は手の中に隠れて見えないが、指の隙間から桜色のヒモが垂れている。
その手が微かに震えているのを見て、俺は改めて「待ってるから」と告げた。
今すぐに答えを求めてるわけじゃない、急かそうなんて思いは欠片も無い。
ただ珊瑚がいつか自分のために道を選ぶ時、俺との将来を選択肢の一つに加えてほしいだけだ。
だからこそ話は終わりにすべく「部屋に戻って宗佐達を起こしてくる」と話題を変えた。
緊張していた珊瑚の肩がピクリと揺らいだのは、この話題が終わったと察しての安堵か、もしくは宗佐の名前を聞いたからか……。
どちらかは分からないが、それも言及するまいと考え、俺は出来る限り普段通りの声色と調子で「どう起こすべきか」と悩む素振りを見せた。
「授業中の居眠りでさえ起こすのが面倒だから、あれだけ熟睡してるとなると……。なぁ、宗佐を起こすコツとかないのか……、
俺が問えば、珊瑚は僅かに言葉を詰まらせ、はたと我に返るや「先輩の妹じゃありません……」と弱々しいながらに返してきた。
いつものやりとりだ。
言い終えた彼女の表情に若干の安堵の色が見えるのは、このやりとりをする事で、俺に返事を急かす気はないと察したのだろう。
「……えっと、宗にぃは、朝はずっと『あと五分』を繰り返すんです。だから、その、強引にお布団を剥ぎ取ってます」
「そ、そうか。結構強引にいかないと駄目なんだな」
「いつもはベッドから引きずり落とすんです。でも、ここは敷布団だから、起きないようなら……、枕で叩いても良いかもしれません……」
しどろもどろになりながらも、珊瑚が宗佐の起こし方を教えてくれる。――しどろもどろながら、起こし方はなかなか過激ではあるが――
その話を聞く俺も緊張を隠しきれておれず、普段より些か大袈裟に返事をしてしまう。きっと傍目には俺達の会話はぎこちなく映るだろう。それでも今の俺にとっては、会話が出来ることが嬉しい。
そうしてしばらくぎこちない会話を続け、お互いの部屋へと別れる。
「朝食はそっちの部屋だよな。それじゃあ、用意が出来たら連絡するから」
「はい。……あ、あの健吾先輩」
「うん?」
歩き出そうとする俺を珊瑚が呼び止める。
まだ宗佐を起こすコツでもあるのかと振り返れば、彼女は先程のように顔を赤くさせ胸元で手を握っていた。その中にバッグチャームがあるのだろう、それを想像すると恥ずかしさが募る。
「あの……。これ、ありがとうございます」
「お、おう」
「それで、その、健吾先輩……。部屋に戻る前に、少しどこかで涼んだ方が良いかもしれないです」
俯きながら話す珊瑚の言葉に、俺は一瞬なんの話かと首を傾げ……、
彼女の顔が真っ赤に染まっていることに気付き、同時に俺も同じように赤くなっているのだと察し、より顔が熱くなるのを感じた。
◆◆◆
女将さんの言った通り、朝食は昨夜の夕食に劣らず豪華なものだった。
メインの焼き魚は大根おろしと合わさって朝に合ったサッパリとした味わいをしており、対して干物は塩気がきいていて白飯が捗る。更に煮物と佃煮といった数種類の小鉢と温泉卵というまさに旅館らしさを感じさせるラインナップ。
ここまで揃えていてなおも白飯はおかわり自由というのだから驚きである。
早々にお櫃が空になったのは言うまでもなく、焼き魚と干物というメインがあってもなお付属する味付け海苔はひたすら食べる男子高校生のためにあると言えるだろう。
「……よくそこまで食べられるわね」
とは、隣に座る木戸のデザートに手を伸ばす桐生先輩。
ちなみにデザートは一口サイズの蜜柑と林檎が浮かんだヨーグルトと、売店でも売っているという提携している和菓子屋の銘菓。
それをひょいと取ると自分の盆に乗せ、代わりに温泉卵と煮物の小鉢を木戸の盆に寄せる。
交渉シーンが一切無かったように思えるが、一応物々交換なのだろう。木戸は文句ひとつ言わず、嬉しそうに桐生先輩からの温泉卵を受け取った。
「ありがとうございます! この温泉卵、一生大事にします!」
「腐るわよ」
「ですよね」
と、そんな間の抜けた会話の果てに木戸が小皿に温泉卵を割り入れる。
朝から相変わらずではないか。思わず木戸に対して「馬鹿なこと言うな」と咎めれば宗佐や月見達も苦笑を漏らす。珊瑚も笑っており、その表情に無理をしている様子はなく普段の彼女のものだ。
思わず安堵してしまう。
だが、はたと珊瑚と目が合うと慌てて視線を逸らされてしまった。その顔は赤くなっており、それを見れば俺も思わず頬に熱が溜まるのを感じ、慌てて温泉卵をかきこんだ。
美味しい……と思う。多分。なにせ頬を赤くさせて俯く珊瑚から目を背けられず、それでいて見つめていれば心臓が荒く脈打つのだ。温泉卵の味なんて分かるわけがない。
そうして煮物とデザートの味すらも見失ったまま他愛もない会話を交わしていると、宗佐が時計を見上げた。
「そういえば、チェックアウトは十二時だから」
それまでゆっくりしようと話す宗佐の言葉に、その後の計画を立てる様子は無い。
たとえばチェックアウトの後に買物をしてまわるとか、他の観光地を観に行くとか、せっかくだから昼食は有名な店に行こうだとか……。
そういった旅行めいた計画は宗佐の頭にはないのだろう。すぐに帰ろうとでも言いたげなその様子に、俺達も詳しく尋ねることはせず相槌だけを返した。
内心では「やはり」という気持ちが沸く。
昨夜月見と桐生先輩から土産を貰った宗佐は物珍しそうにそれを眺めていた。月見のキーホルダーも桐生先輩の菓子も、見てまわった殆どの店に置いてあった品物だというのに……。
その様子から、毎年この旅館に来ても観光や買い物に出ていないことが分かる。きっと珊瑚を気遣い、ずっと旅館に籠っていたのだろう。
二人で居ながら、それでいて互いに核心に触れることはせず。
その光景は容易に想像が出来て、同時に物悲しさが漂う。
だからこそ俺達は何を言うでもなく、それでも了承の代わりに「もう一度お風呂に行こうかしら」だの「食後にもう一度寝よう」だのと普段通りの会話に切り替えた。
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