第20話 『兄の友人』ではいられない



 飛び込むように部屋に戻れば、宗佐と木戸はいまだ熟睡していた。

 元々朝食は遅い時間を予定しており、その直前に起きれば良いかと話をしていたのだ。いまだ布団の中……と言うには二人とも寝相が悪いが、布団の上やら隣やらで鼾をかいているのも予定内である。

 そんな二人を起こさないよう気を使いながら手早く着替える。仮に二人が予定より早く起きて――熟睡具合から考えるにその可能性はかなり低いが――俺の不在と鞄が無いことを不審に思わないよう、一応メモも添えておく。

 そうして僅か数分、まだ髪も乾ききっていないうちに準備を整え、俺は部屋を……それどころか旅館をも飛び出して昨日辿った通りへと向かった。



 さすがに早い時間だけあって通りに人は少なく、観光客よりも地元住民らしき姿が目に付く。

 近くに高校でもあるのか制服姿の学生が数人歩いているのも見かけたが、和風に徹した街並みブレザーの制服は妙なちぐはぐ感を漂わせている。

 並ぶ店の殆どは閉まっているが、そんな中でもコンビニエンスストアはしっかりと営業している。夜は客が入るのだろうか……と、そんな疑問を抱きつつも足早に店の前を通り過ぎていく。


 そうして目的地である土産屋に辿り着けば、女将さんの言った通り、まだ八時前だというのに店には営業中の札が下がり、自動ドアが反応して扉を開けた。

 店内には先客が居り、早朝の電車に乗る旅行客なのだろう皆トランクケースを引いている。買い忘れがあったのか、それとも発車時刻までの時間潰しか、どちらにせよ早朝の客に狙いをつけたこの時間の営業は効果があるようだ。


 そんな店内を物色するでもなく足早に進み、目当てのものを手に取ると他には目もくれずレジへと向かった。



 渡したところでどうなるか分からない。

 珊瑚にとってこの土地は良い思い出はなく、出来れば日頃は思い出したくない場所なのかもしれない。

 桐生先輩が宗佐を気遣って結果的に抹茶のゴーフレットを土産に買ったように、何か贈るにしても手元に残らないものの方が良いのかもしれない。

 物として残れば、辛い記憶を留めてしまうのかもしれない。

 それは俺にも分からず、そして本人に聞いたって答えようもないことだ。今の珊瑚はきっと、自分がどんな感情を抱いているのかもはっきりしないだろう。



◆◆◆



「……あれ、健吾先輩」


 呟くように呼ばれたのは、俺が旅館に戻ってきた直後。

 旅館の玄関先で居合わせた珊瑚は俺に対して目を丸くさせ、それでもいったいどうしたのかと窺うように近付いてきた。

 朝風呂帰りらしく、私服に着替えているが髪が少し濡れている。聞けば月見と桐生先輩は髪を乾かすのに時間が掛かり、支度を終えた彼女だけが先に出てきたという。


 一人部屋に戻ろうとロビーを横切ったところ、玄関口から入ってきた俺を見つけた……と。


「あ、あの……、宗にぃや木戸先輩は?」

「あいつらならまだ寝てると思う。朝飯の時には叩き起こしておくから」

「そ、そうですか。あ、えっとそれで、健吾先輩はどうして外に?」


 昨夜のことがあるからだろう、ぎこちなく珊瑚が尋ねてくる。

 逃げるような視線は「何も言わないで」と訴えているようで、昨夜の事について一言でも口にすれば崩れ落ちてしまいそうなほどに脆い。

 だがそれが分かっていても俺は誤魔化す気にはなれず、周囲に人がいないことを確認すると買ってきたばかりの袋を珊瑚へと差し出した。

 

「……これは?」

「昨日、店を見てまわれなかっただろ。だから」

「私に?」


 どうして? と視線で問いながらそれでも珊瑚が袋を受け取る。店名がプリントされた紙袋はいかにも土産屋の梱包といった様子で、それを不思議そうに眺めつつもゆっくりとテープを剥がしていく。

 そうして袋からそっと取り出すのは、桜色のバッグチャーム。

 和柄の飾りがついたシンプルなデザイン。その控え目な可愛らしさが珊瑚を彷彿とさせ、何度も買おうと手に取っては臆して断念していた品物である。


 それを見た珊瑚は驚いたように目を丸くさせ、それでもポツリと「可愛い」と呟くと手の中のバッグチャームを指で撫でた。

 どうやら好みには合っていたようで、思わず内心で安堵の息を吐いてしまう。この土地の思い出だのなんだのの以前に、まったく趣味に合わないものを贈れば元も子もないのだ。

 だからこそ、『趣味に合う』というスタートラインに立てたことで俺は決意を新たに、手の中のバッグチャームを見ている珊瑚を呼んだ。


「お前にとってここはあんまり良い場所じゃないのかもしれない。それを見るたびに楠木の家のことを思い出して、また悩むのかもしれない……」

「楠木の……」


 俺の話に返すように呟かれた珊瑚の声は小さく、表情にも困惑が浮かぶ。

 手の中のバッグチャームを見つめる視線にもどこか切なげな色が混ざり始めている。既にそこに重苦しい悩みを重ねているのだろうか。


「でも、思い出さないようにするっていうのは、お前も辛いだけだし、何にも解決にならないと思うんだ」

「……そう、ですね」


 溜息交じりの珊瑚の呟きに、俺はどうしたら良いのか分からずに逃げるように視線をそらした。


 情けない話、何を言えば良いのか分からなくなってしまったのだ。

 まさか宿に戻ってきてすぐに珊瑚と鉢合わせになるとは思っていなかった。部屋に戻って何を言うべきかを考え、そうして頃合いを見計らって渡す予定だったのだ。

 計画が丸潰れどころか計画を立てる間もなく、心臓は落ち着かず早鐘を打っている。


 冷静に気の利いた言葉を、なんて無理だ。 

 そもそも思い返せばいつだって、俺は気の利いた言葉の一つも言えずにいたではないか。



 それに、この感情は、気の利いた言葉で取り繕って告げて良いものではない。 

 


 そう自分に言い聞かせ、俺は早鐘を打つ心臓のままに口を開いた。


「本当なら『お前の気持ちは分かる』とか『辛いのは分かる』とか、そんな気の利いたことを言ってやるべきだと思うんだ。でも俺の家敷島家はあんな状態だし、親族間での悩みなんて笑い飛ばせるものぐらいしかない。だから妹の気持ちも悩みも、俺は共感してやれない。……でも」

「……でも?」

「でも、俺は思うんだ。みんな妹のことが大事で、悲しませたくないと思ってる。だから『今は決められない』って答えを出しても受け入れてくれるはずだ」

「そんな、後回しにするような答え……」

「無理に悩んだり悲しんだりするくらいなら後回しにしたって良いだろ。自分の気持ちと向き合えるようになったら、その時に最善の選択肢を選べばいい。みんな待ってくれるから……だから」


 だから……。


 その先の言葉を詰まらせれば、珊瑚が先を求めるようにじっと俺を見つめてきた。

 困惑と戸惑いを浮かべた瞳。今まで『兄の友人』として俺に向けられているものとは違い、だからこそ俺はその瞳を見つめて返した。


 もう『兄の友人』では居られない。


 だから、


「だから、その時は俺との未来も選択肢の一つとして考えてほしい。俺、妹のことが……珊瑚のことが好きなんだ」




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