第15話 風情溢れるロマンチックな男湯

 


 部屋を出て浴場へと向かう。

 同じように食後の風呂を考えているのか宿泊客の姿は増え、通りかかった土産売り場では浴衣姿の若い女性が楽しそうに並ぶ商品を眺めていた。

 なんとも旅館らしい雰囲気である。

 そんな空気に当てられたか、それともどことなく重苦しい空気を気遣ってか、桐生先輩が持ってきていた旅館のパンフレットを眺めながら話しだした。


「この時間、ミストサウナは普段より温度と湿度を下げてるらしいわ。これなら長く入れそうね」

「そういやさっき入らなかったよな、俺達もちょっと入ってみるか」

「敷島、お前は俺やそこいらの男達と一緒に良い香りが漂う湿気たっぷりの部屋に入りたいのか」

「止めよう、男湯のミストサウナは切なくなるだけだ」


 ちょっとした地獄絵図だ、と拒否を示せば、桐生先輩が呆れたような表情で俺達を見てきた。

 だが考えてみてほしい、女湯のミストサウナならば香りよく潤っていて美容だなんだで楽園かもしれないが、俺達が入るのは男湯のミストサウナだ。


 立ち込める熱い霧。

 ミストと汗が混ざり合った液体を垂らし、呼吸を荒くする裸体の男達。

 そんな部屋に満ちる芳しい香り……、


 辛い。

 とても辛い。


 だが桐生先輩や月見にはその悲惨さが想像できないらしく、「大袈裟ね」だの「気持ちいいから入ってみれば?」と声を掛けてくる。これぞまさに他人事だ。

 あげくに男湯のミストサウナの地獄ぶりを嘆く俺達を他所に、さっさと通路を歩き……その途中で「あら」と小さく呟いて足を止めた。


 旅館の中庭。その一角だけ外に出られるようになっており、整えられた木々と敷石、中央に設けれらた縁台が和風に徹した雰囲気を更に引き立てている。更に周囲を照らすのは灯籠をイメージされた淡い光を放つ屋外灯なのだから、この一角だけでも撮影スポットになりそうなほどだ。

 とりわけ今の季節は桜が咲いており、ザァと風が吹き抜けると花びらを周囲に散らしてた。その景色の美しさは絶景と言える。

 通りがかりの宿泊客がその美しさに見惚れ、進路を変えて中庭へと続く扉を潜っていった。「寒いね」と聞こえてきたのは、きっと夜風が涼しいのだろう。その声も随分と楽しそうだ。


「風が出て来たわね。これなら露天風呂で桜吹雪が見られるかもしれないわ。ほら、パンフレットに『日によっては桜吹雪の中でお風呂を楽しめるかも』って書いてあるの」 

「桜の花びらが舞う中でお風呂に浸かる……、ロマンチックですね」


 その景色を想像しているのか月見がうっとりとした口調で話せば、桐生先輩も「楽しみ」と期待の言葉を口にする。

 そんな二人の話を聞き、俺と木戸は同時に顔を見合わせた。


 露天風呂で桜吹雪、なるほど確かに風情がある。

 夕食前に入った露天風呂は景観も良く、ここいら一帯の温泉街でも群を抜いて人気というのも納得だった。

 熱い湯と涼しい夜風、眼前に広がるのは闇夜にライトアップされた桜。その時は風が無く桜吹雪とはいかなかったが、時折一枚二枚ひらひらと浴槽に落ちてきていた。馬鹿話しかしていなかった俺達も、その光景に「おぉ」なんて感嘆の声を漏らす程。


 そこに風が吹けばどうなるか……。想像しただけで絶景と分かる。

 ……分かる、のだが。


「それを一緒に見るのが木戸か……」

「ロマンチックって言われても、隣にいるのが敷島だしな……」


 そう、どれだけ風情溢れてロマンチックな光景だろうと所詮は男湯。居るのは俺と木戸と、そして宿泊客の男達。しかも風呂ゆえに裸である。

 木戸と互いに「景色だけを見よう」「相手を視界に入れないように」と話し合えば、月見が苦笑し、桐生先輩に至っては「馬鹿ね」と笑った。



 そうして浴場に着き、男女に別れてそれぞれの暖簾のれんを潜り脱衣所へ向かおうとし……


「うげ」


 と木戸がおかしな声をあげて足を止めた。

 いったいどうしたのか、携帯電話の画面を見る顔が心なしか引きつっている。


「どうした?」

「……悪い敷島、一人で風呂行ってくれ」

「別に構わないけど、何かあったのか?」

「……これ見てみろ」


 呻くような声色で木戸が見せつけてくるのは、他でもなく木戸自身の携帯電話。

 なんの変哲もないその携帯電話は、操作したばかりとあってか光々とバックライトを灯して着信表示の画面を映し出していた。


 そこに羅列する見慣れた名前……。


 言わずもがな、俺のクラスメイトをはじめとする蒼坂高校の男子生徒達である。

 しかも着信履歴は今日の日付分で埋め尽くされており、それどころかほぼ一分刻みという驚きの密度。登録のない番号からも着信があるあたり、はたして木戸の電話番号はどこまで知れ渡ってしまったのか……。

 画面越しに執念さえ感じさせるその着信の嵐に――こうやって話している最中にも掛かってくるのだから笑えない――俺も思わず頬を引き攣らせた。これは最早ホラーだ。


「さっき風呂に入るときに電源切ってそのままだったんだが、まさかここまでとは……。さすがにこれを無視すれば俺の命がないからな、ちょっと話してくる」

「おい、大丈夫なのか?」

「はっきりさせないと、って言っただろ。桐生先輩も卒業したことだし、いつまでも『親衛隊の一人』じゃ様にならねぇよ」


 クツクツと笑いながら片手を振って去っていく木戸を、俺はなんと声をかけていいのか分からずにただ見送った。

 悔しいかな、その背中が少し格好良く見えてしまったのだ。いや、木戸だけじゃない。月見にも、桐生先輩にも……。

 

「やっぱり、俺が一番格好悪いな……」


 そう誰にでもなく呟きながら、一人脱衣所へと向かった。



◆◆◆



 手早く体や髪を洗い、適当にミストサウナや岩盤浴を覗く。もとより長湯体質ではないし、やはり男湯のミストサウナは言い得ぬものがあって長居したくなる空間ではなかった。

 そんなわけで早速手持ち無沙汰になってしまったのだか、先程の宗佐や珊瑚の様子を思い出すとさっさと部屋に戻る気にもなれない。せめてと露天風呂へと出れば、日中の暖かさもどこへやらヒンヤリとした風が頬に触れた。

 

 湯冷めしないようにすぐに湯に浸かれば、外気に晒され冷えた体が今度は一瞬にして暖まる。「この差が露天風呂の醍醐味だ」とは、いつだったか忘れたが父さんの言葉。

 あの時は左右から話しかけてくる双子の対応に必死でろくに聞いていなかったが、なるほど確かにこうやって落ち着いて露天風呂に入るとあの言葉に同感できる。


 そんな事を思い出しながら露天風呂を堪能しつつ、浴槽の端を陣取り、ゆっくりと息を吐く。

 背後にあるのは木の壁。これもまた露天風呂の雰囲気を出している。セオリー通りならこの向こうには女湯があったりする。思わず想像しかけ、慌てて首を振って邪な考えを掻き消した。


「なに考えてるんだ、脳みそまで湯だったか」


 馬鹿なことを考えてしまった、と自分自身を笑った瞬間、背にした壁の向こうから、



「私ね、芝浦君のことが好きなの。ねぇ月見さん、彼のこと諦めてくれないかしら?」



 と、桐生先輩の声が聞こえてきた。


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