第14話 浴衣と豪華な食事
「妹、もうちょっと何かあっただろ。半纏って……」
「なんですか唐突に失礼ですね。いつもお風呂上がりに浴衣で居ると、宗にぃが湯冷めするから半纏着ろってうるさいんですよ」
不満そうに珊瑚が見上げてくる。今の彼女に月見や桐生先輩のような色気は感じられない。なにせ半纏なのだ。
もちろん風呂上がりに冷えないようにするのは大事だ。それに今まで何年も宗佐と二人でこの旅館を訪れていた珊瑚にとって、今更浴衣姿など見せるものでもないのだろう。ピンクの浴衣の上に羽織られた朱色の半纏も、それはそれで赴きがある。
それは分かる。分かるが個人的には風呂上がりの浴衣姿を拝みたかったという気持ちが勝ってしまう。
……いや、もちろんホカホカしている珊瑚は可愛くて、現に俺は月見と桐生先輩を前にしながらも彼女ばかり眺めているわけなのだが。
そんな俺に対して珊瑚は不服そうにしつつ、それでも俺達を見回すと「やっぱり」と月見と桐生先輩に話しかけた。
何が「やっぱり」なのか。だが月見と桐生先輩もなにやら思い当たるらしく、うんうんと頷くことで同意を示している。
いったい何の話だろう。俺達に関してだということは分かるがどうにも見当がつかず、楽しげにしている女性三人に対して俺達は頭上に疑問符を浮かべながら顔を見合わせた。
そんな俺達の疑問を感じ取ったか、代表するように珊瑚がにんまりと笑うと俺に声をかけた。
「健吾先輩、浴衣似合いますね」
「……えっ」
と、これには一瞬、俺も変な声を出してしまった。ほかでもない珊瑚からの褒め言葉なのだ、仕方ないだろう。
だがほかの面子からしてみればさして大事でもないらしく、月見と桐生先輩が頷きつつ、宗佐と木戸までもそれに同意してくる。
「誰が一番似合うかって話をしてたのよ。それで、珊瑚ちゃんが敷島君が一番似合うはずだって」
「木戸君も似合っているし、そ、それに芝浦君も似合ってて素敵だけど……。でも、敷島君が一番着こなしてるね」
珊瑚に続いて、桐生先輩と月見まで俺を褒めてくる。二人のこの反応に木戸も宗佐も異論はないようで「やっぱり身長か」だの「決め手は育児筋だ」だのと話し合っている。
もちろんこの話題に恋愛感情だのと言ったものは含まれておらず、ただ純粋に浴衣が似合っているかを話しているだけだ。
ゆえに月見達は俺を褒め、宗佐達も嫉妬しない。珊瑚に至っては宗佐の浴衣姿など見慣れている可能性だってある。
他意はどこにも一切無い。
……それが分かっていても、俺はどうにも気恥ずかしさを抱いてしまう。
こうも正面切って褒められるとどう受け取って良いのか分からなくなる。
「そ、そうか?」
照れ臭いのを誤魔化すために自分を見下ろす俺に、珊瑚がクスクスと笑いながら、
「健吾先輩が一番似合ってますよ」
そうはっきりと言ってきた。
この言葉だけでも旅行に来て良かったと思ってしまうのだから、俺はもう宗佐や木戸を恋愛ぼけだの単純男だのと罵れないだろう……。
だが気恥ずかしいのも事実でどうしたものかと悩んでいると、コンコンと軽いノックの音が部屋に響いた。
時計を見れば八時ちょうど、夕飯の時間である。この助け船に俺は僅かながら安堵の息を漏らし、浮かれそうになる胸中をなんとか落ち着かせた。
古き良き旅館となれば風呂も勿論だが食事も目玉の一つであり、季節に合わせた郷土料理が並ぶ光景はまさに壮観。
この時期の名物料理である焼き魚は適度についた焦げ目が食欲を誘い、箸を入れればパリと皮が破れて白い身が解れる。添えられた
一人用の鍋には大きな肉と野菜がギッシリと詰め込まれ、固形燃料が燃えるにつれてコトコトと蓋を揺らして白い湯気と香りを漂わせる。この料理が何よりも俺達の食欲と胃を満たしてくれた。厚く切られた肉と野菜にはしっかりと味が染み込んでいて、軽めの魚とは違った重量級の味が白飯を進めさせるのだ。
それらのメインに加え、焼き茄子の吸い物と茶碗蒸し。綺麗に飾られた刺身や数種類の和え物、旅館の土産コーナーにも置いてある漬け物……と、色とりどり華やかな小鉢が卓を飾る。
「あんた達、三杯目からは自分でよそいなさい」
とは、箸が進み続ける俺達に対して放たれた桐生先輩の一言である。
なにせ白飯はおかわり自由、一つ目のお櫃が空になるのはあっという間だった。新しいお櫃を持ってきた女将さんが笑いながら「男の子はたくさん食べなきゃ」と言っていた程だ。……もうそろそろ新しいお櫃を持ってきてもらうことになるだろう。
そんな俺達の食いっぷりに珊瑚と月見が苦笑を浮かべる。まったくと言いたげな表情だが、それでも珊瑚はしっかりと夕飯を食べきり、片付けに来た女将さんに「美味しかった」と告げていた。
だがどこか窺うような声色で、それを聞き「良かった」と返す女将さんの顔にもはっきりとした安堵の色が窺える。
祖母と孫のやりとりにしては、やはりぎこちなさが隠し切れない。
だけどそれを俺が言及できるわけがない。
珊瑚がどこか落ち着きなく、時折は時計を見上げていることに気付いていても声をかけられないのだ。
◆◆◆
そんな不甲斐なさを抱き、それでいて打ち明けるわけにもいかず、食後の一時を各々好きに過ごす。
お茶を飲みながらテレビを見ていた桐生先輩が当てもなくチャンネルを回し、「あら」と小さく声をあげた。どうやら覚えのある映画が放映されているようだ。
それをつられるようにボンヤリと眺めていると、珊瑚がおもむろに立ち上がった。夕飯を食べていたときは普段通り――それどころかひたすら食べ続ける俺達に呆れていた――表情も、今はまた強張ったものに戻ってしまっている。
「あ、あの……、私、ちょっと席を外します。お風呂、入りに行くなら先に行っててください」
「珊瑚、俺も」
「宗にぃは、その……うちに電話して。おばぁちゃんがもう寝るはずだから、お母さんに戸締まり確認してって伝えておいて」
立ち上がりかけた宗佐を珊瑚が止める。
それどころか家に電話するよう告げるその口調は「来ないで」と言っているようにさえ聞こえた。
俺達がそれに気付いて視線を向ければ、察した珊瑚が「ちょっと話してくるだけですから」と一言残して部屋を出て行った。
部屋の中に重苦しい沈黙が漂う。
それを破ったのは他でもない宗佐で、卓上のお茶を一口飲むと溜息と共に肩を竦めた。
「変な空気にしてごめん」と誤魔化すように苦笑するあたり、鈍感な宗佐といえども流石にこの静けさから俺達の言わんとしていることを感じ取っているのだろう。
「何を話してるか分からないんだけど、必ず一回はあんな風に一人で行っちゃうんだよ。まぁ、俺としては珊瑚がそれで良いなら無理強いして同席する気もないけどさ」
そう話しながら、宗佐が机に置いておいた携帯電話を手に取る。珊瑚に言われたとおり家に電話をかけるのだろう、それを見た俺達が誰からともなく立ち上がったのは、なんとなくここに居てはいけないような気がしたからだ。
もちろんそんなこと言えるわけがなく食後の風呂を口実にしたのたが、宗佐の申し訳なさそうな苦笑を見るに悟られているのだろう。
「行けたら俺も後から行くよ」という言葉に、宗佐がこのまま珊瑚を待とうとしているのが分かる。
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