第2話 一泊二日、兄妹二人旅

 


 盗み聞きしていた男達に立ち上がる様子はなく、宗佐に詰め寄ろうともしない。どうやら宗佐と珊瑚の旅行については嫉妬する必要なしと判断したようだ。

 仮にこれが珊瑚ではなく月見や桐生先輩をはじめとする女子生徒達であったなら、今頃嫉妬と憎悪の声があがっていただろう。

 異性と二人きりの旅行、それも一部屋なんて奴等が喰い付かないわけがない。

 次から次へと立ち上がり宗佐に詰め寄り、それだけでは気が済まないと宗佐を攫って校舎裏に引きずっていき……と、いつものパターンになったはず。


 それが起こらない。

 誰も嫉妬も憎悪もしない。


 確かに芝浦兄妹の仲の良さは俺達のクラスでは周知の事で、二人きりの旅行だろうと何ら問題無しと思っているのだろう。

 それは分かる。

 だが露骨な態度の違いは微妙に腹がたつ。

 もっとも、今はそれを言及している場合ではないのだが。


 なにせ宗佐と珊瑚が二人だけで旅行。

 宗佐にはまったくその気がないにしても、珊瑚は宗佐を恋愛相手として想っている。そんな二人の旅行。

 それを抜きにしたって、思春期の兄妹が二人だけで温泉旅行というのは疑問を抱いて当然である。兄妹仲が良いにも程がある。そもそもどうして家族で行かないのか。


 いや、もうそんな細かい事は抜きにして気になる。

 好きな女の子が、兄とはいえ想いを寄せてる相手と二人旅なのだ。これが気にならない男はいないはずだ。

 

 宗佐に詰め寄ってあれこれ問い質したいのを押さえ、俺は一つ咳払いをして己を落ち着かせた。 


「ふ、二人だけって……。なんで家族で行かないんだよ」

「んー、まぁ色々とあって」

「部屋はさすがに別々だよな?」

「いや、同じ部屋だよ。二人だけだし」


 雑誌に視線を落としたまま平然と言い切った宗佐の言葉に、思わず目眩を覚えてしまう。対して顔を上げた宗佐の「それがどうした?」とでも言いたげな表情といったらない。

 机の下で拳を握りかける。一発ぐらい殴っておこうか……。

 そんな事を考えていると、まるで宗佐の危機を救うかのようなタイミングで「旅行に行くの?」と声が掛かった。


 俺と宗佐がほぼ同時に視線をやれば、月見が穏やかに微笑んでいる。

 どうやら通りがかりに机に広げられている旅行雑誌に目がとまり気になったようだ。


「明日から一泊二日、毎年この時期に行ってるんだ」

「そっか。大型連休になるとどこも混雑しちゃうもんね。同じ部屋って聞こえたけど、家族で一部屋ってこと?」

「いや、旅行は珊瑚と二人だけで行くんだ。それで一部屋」

「珊瑚ちゃんと二人で……」


 あっけらかんと話す宗佐のなんと憎らしいことか……。拳を握った右腕を抑えるのに一苦労である。

 対して、そんな宗佐の言葉に月見は不思議そうに首を傾げている。俺と同じ疑問を抱いたのだろう。当然だ。

 だからこそ俺も答えを求めるべく宗佐に尋ねようとするも、そのタイミングで再び横から声がかかった。


「楽しいお話してるのねぇ」


 楽しげでそれでいてどこか悪戯気に聞こえるこの声……。


「桐生先輩」

「久しぶり。……というわけでもないわね」


 クスクスと妖艶な笑みは浮かべるのは、三月末に卒業した桐生先輩。グレーのシャツに濃紺のロングスカートが清潔感を感じさせ、元より彼女のもつ大人びた雰囲気をより高めている。

 卒業式後の数日と春休み、それと新年度が始まってからの半月、彼女が学校から去って約一ヵ月といったところか。さすがにこの短い期間では久しぶりという感覚は湧かない。夏休み明けと同じぐらいだ。

 当人も短期間ゆえ卒業した母校という思いも無いのか、それでも私服で学校に居ることに「落ち着かないわ」と苦笑している。


「大学は今日は休みなんですか?」

「今日は履修登録だけだったの。だから、ついでに寄って先生に資料を渡そうと思って」


 片手に持っていた紙袋を軽く揺らし、桐生先輩が説明する。

 曰く、今年の三年生に彼女と同じ大学への進学を希望している生徒が居り――もしやと思ったが、問うより先に桐生先輩が「木戸じゃないわよ」と先手を打ってきた――、ゆえに先生から学校に関する資料をと頼まれていたらしい。

 高校宛に配布される資料より、現地で見て学ぶ当事者の方が資料も話も鮮明なのは言うまでもない。


 試しにと取り出して見せてくれたシラバスと呼ばれる冊子には、授業の内容説明や試験についてなどが細かに書かれており、これを見て生徒はどの授業を受けるのかを決めるのだという。

 それもただ好き勝手に選べば良いわけではなく、進級に必要な授業や単位数を考え、時間を調節し……そのうえ人気授業は抽選になるというのだから、授業を受ける前から大変そうだ。

 高校とは全く違うそのシステムに、これが大学かと感心してしまう。月見や宗佐も興味深そうに冊子を覗き込んでいる。


「そういうわけで、久しぶり……でもないけど、高校に来ていたの。もしかしたら芝浦君とお話出来るかもって教室を覗いてみたんだけど、来たかいがあったわ」


 面白い話を聞けた、と途端に悪戯っぽい笑みを浮かべて桐生先輩が尋ねてくる。

 次いで視線を向けるのは宗佐にだ。「旅行、素敵ね」とにっこりと微笑みかける。


「この時期は場所によってはまだ桜も残ってるし、旅行しやすい気候よね」

「そうですね。桜も旅館の周りには結構残ってて、露天風呂とか中庭とか、綺麗なんですよ」

「素敵。それも珊瑚ちゃんと二人きりなんて、本当に兄妹仲が良いのね。……それに関して、敷島君と月見さんはだいぶ気になってたみたいだけど」


 ちらりと桐生先輩がこちらに視線を向けてくる。その視線を受け俺と月見が同時にギクリと体を強張らせたのは、彼女の言わんとしている事を察したからだ。

 ちゃっかり自分は『兄妹仲』で納得している風を装い、そのうえで暗に俺達に『なぜ気になるのか』と問い詰めるあたりが桐生先輩らしい。

 大学生になっても彼女は変わらない。否、大学生になって余計に強かになっているのかもしれない。なんて恐ろしい。


 もっとも、問われたからといって正直に答えられるわけがない。

 かといって俺も月見もここで巧みに誤魔化すほどの話術は持ち合わせておらず、「えっと」だの「それは」だのと上擦った声を出した。


「そ、それは……。旅行が羨ましいなって思って、だから詳しく話を聞きたくなっただけなんです。なぁ、月見!」

「そうだよね、敷島君! この季節って旅行には最適だもんね!!」

「あぁ、羨ましいよな。俺も桜を見ながらゆっくりと温泉につかってみたいもんだ!」

「桜も見れるなんていいよね。私、今年はお花見出来なかったから、羨ましいなぁ!」


 月見と二人で、気になっていた理由を『旅行が羨ましい』という方向にもっていく。

 随分と強引な会話かもしれないが、誤魔化したい相手は鈍感な宗佐だ。現に俺達の話に――若干勢いに気圧されている様子はあるが――納得し、「良い旅館なんだよ」と話している。宗佐が鈍感で良かった。

 ちなみに桐生先輩は俺達の慌てようにこれでもかと楽しそうな笑みを浮かべている。

 だが流石にこれ以上言及する気はないのか「確かにこの季節の温泉って魅力的よね」と話に乗ってくれた。


 そんな会話の中、


「それなら、みなさんもご一緒しますか……」


 と、聞き覚えのある声が割って入ってきた。

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