第五章 三年生春

第1話 去年と同じようで少し違う春

 


 桜が咲きほこるなか、俺達は三年生に進級した。

 最終学年になれば感慨深いものでもあるかと他人事のように思っていたのは去年のこの時期。そして今の俺の胸にあるのは『最終学年になった哀愁』ではなく、『教室が一階から三階に上がってしまった哀愁』である。

 去年の今は窓から外を眺めて「代り映えしない同じ景色」なんて枯れたことを考えていたというのに、己のことながら驚きの変化ではないか。

 三階の窓から広がる景色の味気無さと言ったら無い。階が上がることで見晴らしはよくなったはずなのに、まったくもって眺める気にすらならない。


 去年に戻れるなら自分にこう言いたい。

「一階の窓際ほど良い席はないぞ」と。


 なぜか?

 もちろん、珊瑚が窓辺に来ていたからだ。


 宗佐の迎えや提出物の監視はもちろん、用が無くとも通りがかったからと顔を覗かせていた。

 だが三階ともなればそうはいかない。宗佐と帰る時は昇降口での待ち合わせになり、提出物の監視は携帯電話での連絡。

 いくらうちのクラスでは顔馴染みになったとはいえ、わざわざ上級生のいる階に来るのは気が引けるのだろう、教室に直接来ることは無くなった。


 元より友人とも言い難い微妙な距離なのだ。更に会う機会が減るとなれば危機的状況とさえ言える。

 この窮地に、俺はどうしたものかと考えを巡らせ……、



 そして、来ないのなら俺が行ってしまえと、まるで去年の光景を逆転したかのように教室の窓辺に立っていた。



 ◆◆◆



「よぉ、妹」


 声を掛ければ、窓辺の席に座って携帯電話を眺めていた珊瑚が顔を上げた。「先輩の妹じゃありませんけど、こんにちは」と穏やかに笑ってくる。

 新学期ゆえに彼女のクラスも名前順に座っており、このクラスでは女子生徒が窓側に座る決まりらしい。そしてその決まりに従った結果、珊瑚は窓側の後方の席に座っている。名前順様様。


「珊瑚、今日も一緒に帰ろうな。頼まれてたのはお米と卵だっけ?」


 横からひょいと顔を覗かせたのは宗佐。

 俺へと向けられていた珊瑚の視線が自然と宗佐へと向かう。どうやら牛乳も頼まれていたらしく、珊瑚が忘れっぽいと呆れて肩を竦めた。


 進級してそろそろ半月が経つ。俺は既に珊瑚の教室をこうやって何度か訪れているが、その際は決まって宗佐も一緒だ。

 三年になってもほぼ一緒に行動をしているのだから当然と言えば当然。宗佐をダシにして珊瑚に話しかけている節もある。


 ……だけど、そろそろ俺一人で話しかけても良いのではなかろうか。

 窓辺越しに話すという構図こそ去年の春と同じだが、この一年で俺と珊瑚の距離は多少なり――いや、多少どころかだいぶ、と期待したい――縮まったはず。

 なにより、珊瑚がいつまで窓辺の席に座っているか分からないのだから、今のうちに宗佐を介さない関係を築いておくべきだ。


 そんな事を考えどうしたものかと悩んでいると、宗佐がぐいと強引に俺の腕を掴んできた。

 行くぞ、と声を掛けられてはたと我に返る。そうだ、体育の授業のためにグラウンドに行く途中だったのだ……と、一寸遅れて思い出す。


「それじゃあ、俺達行くから。ホームルーム終わったら連絡するからな。教室まで迎えに行こうか?」

「いつも通り昇降口で良いよ。それより急がないで平気なの? いま宗にぃのクラスの人達が走っていったよ。間に合わないんじゃない?」


 大丈夫? と尋ねてくる珊瑚に、俺と宗佐は揃えて窓辺から教室内に半身乗り込み、前方の壁に掛けられている時計を見上げた。

 次の授業が始まるまであと五分はある。既に外に出ているのだからグラウンドまでは歩いていったって余裕がある。

 宗佐が説明すれば、それを聞いた珊瑚は合点がいったと言いたげな様子で「あぁ、そっか」と呟き、


「うちのクラスの時計、五分遅れてるよ」


 と、教えてくれた。


 次の瞬間、俺と宗佐がほぼ同時に走り出したのは言うまでもない。



 ◆◆◆



 そんなやりとりから数日後の休み時間。俺と宗佐は各々の席に座り、雑談を交わしていた。

 新学期ゆえ今もまた俺と宗佐は前後の席で並んでいる。名前順なんて面白みもないと文句を言ったのは去年のこの時期。かと思えば今や一転して名前順に感謝しているのだから、俺も単純な男だ。


「そういえば、明日から連休だよな」


 携帯電話を弄りながら話せば、宗佐が机に広げた本を眺めながら「そうだな」と返してきた。

 互いに顔を向けすらしないのは、別に仲違いしているわけではない。そもそも仲違いしていたら休み時間を共にしない。顔を見合わせて話すほどの内容でもないし、互いに「今更こいつの顔を見て話す必要も無い」という感覚からである。


「まぁ、連休と言っても、俺は家に居ても何一つ休めないんだけど」

「相変わらず敷島家は過酷だな……」


 思わず胸の内を漏らせば、宗佐の声に明らかに同情の色が混ざり始めた。


 ちなみに連休というのは五月に控えている大型連休の事ではない。蒼坂高校では四月の半ばに三日間ほど、学校の創立記念日と土日を繋げた連休がある。

 もっとも、連休と言えども創立記念日以外の土日は小学校も同じく休みなわけで、俺に小学生男児の相手が課されるのは言うまでもない。

 つまり連休とは名ばかり。俺が真に休めるのは創立記念日の一日だけ。

 それだって、朝から小学生男児を見送り、帰ってきたら相手をして……と、実質休めるのは半日だ。ちなみにその半日の間にも赤ん坊の世話をするのは言うまでもない。


 そんな俺の嘆きを汲んだか、宗佐が「頑張れよお兄ちゃん」などと言って寄越してきた。

 その余裕を感じさせる態度が憎らしい。おまけに念を押すようにやたらと作った声色で「おにいちゃーん」と呼んでくる。


「止めろよ宗佐、学校でまで俺を兄貴扱いするな」

「いやいや、同じ兄の立場として敬意をもって呼んでるんだ。おにぃちゃーんって!」

「本気で止めろ! 学校でぐらい休ませてくれ! くそ、それ以上呼ぶと世話するぞ!!」


 そんな馬鹿馬鹿しい冗談を交わし、腹いせに宗佐の肩を軽く叩く。

 その流れで、ふと机に広げられている雑誌に視線を落とした。手持ち無沙汰な休み時間をだらだらと過ごす中、宗佐が鞄から取り出して読み始めたものだ。

 派手な装丁と表紙を飾る美しい景色の写真。『人気旅館』だの『おすすめスイーツ』だのとデカデカと書かれた煽り文句はいかにも観光雑誌である。よく本屋に並んでいる代物だ。


「なんだ、今年も旅行に行くのか」

「うん、まぁ……。そんなところかな」


 宗佐が歯切れの悪い返事と共に笑う。


 思い返せば去年の連休明け、旅行から帰ってきた宗佐が土産をくれた。温泉饅頭だ。

 聞けば三連休を利用して温泉街に行っていたという。

 春休みは言わずもがな、大型連休中も観光地は混雑すること間違いない。だからその前の学校独自の連休を利用し旅行にと考えたのだろう。

 この時期は出掛けやすいから良いなと、そんな会話をしたことも思い出す。――それと、わざわざ日曜の昼間に俺の家に届けに来てくれた宗佐の律義さと、玄関先で甥達に襲われる宗佐の姿も脳裏に蘇った。「玄関先なら逃げられると思ったんだ……」という呻き声が懐かしい。――


 どうやら今年も芝浦家は旅行に行くようで、どこに行くのかと聞けば「温泉」とシンプルな答えが返ってきた。去年と同じ場所、旅館まで同じだという。

 よっぽど気に入ったのか、それとも縁のある場所なのか。どちらにせよ祖母が一緒なら温泉が妥当だよなと話せば、どういうわけか宗佐が苦笑を浮かべながら首を横に振った。


「母さんとおばあちゃんは行かないんだ」

「へぇ、そうか。……ん? それってつまり」

「俺と珊瑚だけで行く」


 宗佐があっさりと言い切った。




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