第23話 幕間(中)
遠巻きに眺めながら再開の時を待つ親衛隊達の視線を感じつつ、桐生先輩に祝いの言葉を告げる。嬉しそうに微笑んで返す彼女はいつも以上に大人びて見えた。
手にしているのは卒業生全員に配られる小さな花束。豪華とは言い難い代物だが、彼女が持てば一級品に見えるのは美人ゆえだろうか。
「ねぇ芝浦君、第二ボタンを……。なるほどそうきたのね」
宗佐に対してとびきりの笑顔を浮かべて第二ボタンを強請った桐生先輩が、話も途中に声色を落とした。
仮にここで宗佐の第二ボタンだけが無くなっていれば、彼女も焦るなり嫉妬するなりしただろう。だがこうも見事に全てのボタンが失われていると呆れが勝るに違いない。
それどころか原因の一端は自分にあると察し謝罪までしている。
そんな桐生先輩がふいに顔を上げたのは、こちらに近づいて来る二人の少女に気付いたからだ。
正確に言うのなら、二人のうちの片方が発する喧しい声を聞いたから。
「珊瑚ちゃん! 実稲の第二ボタン受け取って!」
「いらないよ。というか私達べつに卒業しないし、これからもブレザー着るんだからボタン取らない方がいいよ」
「卒業式に第二ボタンを交換しあう……。なんて美しい友情!」
「さり気なく私のボタン狙わないで。私まだこのブレザー着るからボタンあげないよ」
「……そうなのね、分かった。それじゃあ卒業生達、実稲の第二ボタン五千円から!」
「競らない」
やかましく喚く東雲に、相変わらず冷ややかに珊瑚が返す。
普段通り温度差を感じさせながら、それでも二人はこちらに近付いてきた。
彼女達も桐生先輩に挨拶するつもりなのだろう。東雲との関係は分からないが、珊瑚と桐生先輩は仲が良い。
「桐生先輩、卒業おめでとうございます」
一年生らしく深々と珊瑚が頭を下げれば東雲もそれに続く。
可愛がっている後輩に祝われるのが嬉しいのか、礼を返す桐生先輩も自然な笑みを浮かべていた。
「わざわざありがとう、二人とも」
「桐生先輩には在学中、宗にぃがお世話に……」
言いかけ、珊瑚が宗佐へと視線を向け……「ボタンが!」と悲鳴をあげた。
なにせ今の宗佐の姿は哀れの一言。ブレザーはおろかシャツのボタンまで全て取られていては驚くのも無理はない。
だがすぐさま事態を理解し、まったくと言いたげに「後で返して貰わないと」ときょろきょろと周囲を見回すあたりに慣れを感じさせる。もちろん、宗佐を案じる気配はなく、憐れんでブレザーを貸してやる気配も無い。
東雲に至っては「芝浦先輩なら実稲の第二ボタン三千円で良いですよ」と値引きだした。
卒業式だというのに相変わらずなこのやりとりに桐生先輩が楽しそうに笑う。
もう少し別れを惜しんだり、今までを感謝したりした方が……とは思うものの、当人が楽しいなら良いかと納得することにした。
ちなみに、木戸は今日は大人しく親衛隊の一人に徹するらしく、試しにと探せば距離を取って俺達のやりとりを眺める集団の中に姿があった。俺と目が合うとひらりと片手を振ってくる。
はたして桐生先輩を囲むのが大人しいと言えるのだろうか。無言の圧が凄いけど。
そうして他愛もない話をしてしばらく。一定の距離を取って囲んで様子を窺っていた親衛隊達が徐々に近付き始めた。再開を期待しているのだろう。
それは分かるが、じりじりと距離を詰めてくるのは地味に怖いのでやめてほしい。
桐生先輩が彼等を一瞥すると呆れたと言わんばかりに溜息を吐き、次いで鞄から小さな小箱を取り出した。
ソーイングセットだ。その中から小さなハサミを取り出すと、彼女はそれを自身のブレザーへと向けてパチンと小さな音をたててボタンを一つ外した。
上から二つ目。第二ボタン。
感慨深そうに見つめたあと、月見へと差し出した。
「貰ってくれるかしら」
「私に……ですか?」
てっきり宗佐に渡すと思っていたのだろう、月見が目を丸くさせる。
驚いたのは彼女だけではない。俺だって桐生先輩は第二ボタンを宗佐にやるものだと思っていたし、周囲にいる者達も同じようで、この展開に意外そうに二人を眺めている。
だが当の桐生先輩は相変わらず美しい笑みを保ったまま、ボタンを月見の手の中に収めてギュッと握りしめた。
「私、諦めないから」
「桐生先輩……」
「距離が離れても関係ない、会える日が減っても諦めないわ。むしろこの距離を利用するつもりだから、覚悟しておいてね」
何を、とは言わず、それでも真っ直ぐに見つめて桐生先輩が月見に告げる。
なんと大胆で彼女らしい宣戦布告だろうか。
対して月見は小さく息を呑むも、次の瞬間には桐生先輩を見つめて返した。恋敵を前にしてはいるものの晴れ晴れとした表情だ。
「私だって三年生になるんです、このままじゃいられません!」
月見のこの言葉に、桐生先輩が「まぁ怖い」と嬉しそうな声色で返した。
そうして今度はワイシャツへと鋏を向けると、再びパチンと音をたててボタンを外した。
今回もまた上から二つ目。ブレザーと違いワイシャツは直接肌に触れ、とりわけ桐生先輩の豊かな胸元を押さえているだけあって、そこが外れると大きく布が開かれる。
きめ細かな肌色が覗いた瞬間、距離をとって解禁時間を待っていた男達から「おぉ」と声が上がる。――仕方あるまい、なにせ男子高校生なのだ――
そんな男子生からは歓喜、女子生徒からは羨望の眼差しを――胸元に――集めつつ、桐生先輩はワイシャツのボタンを今度は珊瑚に差し出した。
「珊瑚ちゃんが妹になってくれる日が楽しみだわ」
妖艶に微笑みながら珊瑚の手にボタンを押し込め、次いでポンポンと頭を撫でる。
それに対して珊瑚はムゥと不満そうに眉根を寄せて彼女を見つめた。先程の月見に対してと今の自分に対しての桐生先輩の態度の違いに、子供扱いされていると感じているのだろう。
そのうえ桐生先輩はいずれ珊瑚が妹になると言っている。それはつまり、自分こそが宗佐と結婚するという事で……。
「その時は『おねえちゃん』って呼んでね。芝浦君の呼び方に合わせた『楓ねぇ』も良いけど、ちょっと子供っぽいかしら」
桐生先輩が珊瑚の返事も聞かずにあれこれと話を進める。
宗佐と付き合い、結婚し、そのうえでの家族付き合いの話だ。これもまた宣戦布告と言える。
それを察し、珊瑚がツンとそっぽを向いた。
ぶんぶんと頭を振るのは桐生先輩の手を振り払おうとしているのか。もちろんその程度で桐生先輩が引くわけがないのだが。
「冗談はやめてください。桐生、せ、ん、ぱ、い」
珊瑚が不満をあらわに告げる。やたらと『先輩』の部分をアピールしているのは、姉とは呼ぶまいという意思表示か。
彼女からしてみれば、頭を撫でられるという子供扱いのうえに宗佐を奪うと宣言されたのだ、不満を抱くのも無理はない。
もっともこの態度も桐生先輩にとっては愛でるものでしかないようで「あら、つれないのね」と上機嫌だ。はてにはつれない態度も可愛いと言いたげに頭を撫でるどころか抱きしめだす。
彼女なりのコミュニケーションなのだろう。珊瑚が小さく唸りをあげる。
そんな様子を眺め、俺は次いで宗佐へと視線をやり……、
「桐生先輩まで妹に欲しがるなんて、やっぱり珊瑚は可愛いくて世界一の妹だ!」
という、相変わらずな鈍感さに肩を竦めた。
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