第22話 幕間(前)
常に賑やかな蒼坂高校と言えども、卒業式となればさすがに厳かな空気が流れる。
卒業証書授与や生徒代表の挨拶、普段は誰もが右から左へと聞き流す校長の話ですらも耳を傾け拍手が起こる。当事者である三年生はもちろん彼等の保護者に二年生までも集い、体育館もそれらしく飾られている。
普段は煩い生徒達も今日だけは大人しく椅子に座り、先生達も正装を纏ってハンカチで目元を拭っていたりする。
そうして式典が進めば一部は晴れやかな気分に浸り、一部は悲しみが最高点に達し涙を流し……とそれぞれである。とりわけ部活や委員会に所属していた者達はこの別れが辛いようで、式が終わっても別れの挨拶や写真を撮りあう者達で正門前はごった返していた。
そんな正門前の賑やかさを、俺は僅かに離れた場所から眺めていた。
特に部活や委員会にも入っていないので集団で別れを惜しむことはないが、かといって式典に出たのだから義務は果たしたとさっさと帰る気にもならない。
俺には桐生先輩という挨拶を欠かせない人物がいるのだ。
だが彼女は全学年から慕われ、月見と並んで我が校のトップに君臨する存在である。最後に写真を撮ったり挨拶をしたいと考える生徒は数え切れぬほど。
ゆえに彼女が親衛隊達に囲まれる前に挨拶をしてしまおうと思ったのだが……。
「しまった、出遅れたか……」
溜息交じりに目の前にある親衛隊達の山を眺める。
生憎とここからは見えないが、多分あの中央には桐生先輩がいるのだろう。
この期に及んで彼女の人気と親衛隊達の執念を甘く見ていた……。
あと、卒業式ぐらいは親衛隊達も大人しくなるかもしれないと、そんな期待も抱いていた。
だがそんな期待はまったくの見当違いだった。今日という日でも親衛隊達は必死だ。というか最後だから必死なのかもしれないが。
「さすがにあれに入るのは厳しいな……。なぁ宗佐、どうする?」
時間をあけてみるか、そう隣にいる
だが次の瞬間に俺が目を丸くさせたのは、そこに居るはずの宗佐の姿が無いからだ。哀れ俺が話しかけた言葉は独り言になってしまった。他の奴に聞かれなくて良かった、と思わず安堵してしまう。
ちなみに宗佐がどこに行ったのかは分からないしどうでもいい。
数分前に怒声と共に数人の足音が聞こえ、次いで宗佐の悲鳴が聞こえてきた気がするので、きっとどこかに連れ去られたのだろう。
となれば、しばらく待てば返却されるはずだ。
俺も毎度連れ去られる宗佐を追いかけて助けてやったりなんて労力を割けてはいられない。非道と言うなかれ、これは慣れであり宗佐と付き合っていくうえで必要なスルー能力なのだ。
そう考えて待つことしばらく、廊下の奥から男の群れが現れ、俺の前で急停止すると勢いよく宗佐を放り出してまた走り去っていった。
卒業の花飾りを胸元につけていた者もいるので、一応の礼儀として「卒業おめでとうございます」と立ち去る背に声をかけておく。――出来ればこの奇行にも今日限りで卒業してもらいたいところだ――
そうして改めて放り出された宗佐に視線を向けた。
服の全てのボタンを奪われたようで、ブレザーもワイシャツもはだけさせて倒れ込む姿は壮絶である。
「……宗佐、大丈夫とは思えないが一応聞いておく、大丈夫か?」
「寒い」
「だろうな」
シャツを手繰り寄せて押さえる宗佐の姿は哀れの一言に尽きる。
仮にこれが夏であればまだ清涼感もあったが、三月後半の今の時期では寒々しさしかない。見ているこちらまで震えそうだ。
もっとも、上着を貸せば俺が寒くなるし、かといってボタンを付けてやろうとも思えない。むしろ関係者と思われたくなくて僅かに距離を取ってしまう。
これまた非道というなかれ、なにせ宗佐がボタン狩りにあったのはひとえにモテるからなのだ。
卒業といえば、多少古臭いが第二ボタンのやりとりは定番である。
そして卒業生の中には桐生先輩をはじめとする宗佐を狙う女子生徒が複数いる。……となれば宗佐の第二ボタン争奪戦が勃発するのは目に見えて明らか。
そしてそれを察した男達が『ならば先に俺達が』と宗佐のボタンを全て狩り取ったというわけだ。
つまり嫉妬。
学年問わず美少女達の想いを掻っ攫ったうえで気付かずにいる宗佐への嫉妬。それに恨み妬み嫉みが重なり、あと多分卒業でテンションも上がってるだろう。最後だからと記念に参加する者もいるかもしれない。
その結果の惨事なので、俺はさして宗佐を気遣うでもなく、くしゃみをする哀れな姿を眺めていた。嫉妬と恨みと妬みと嫉みが俺にだってないわけじゃないのだ。放置するぐらいは許されるだろう。
そんな俺達のところにパタパタと駆け寄る一人の少女……。
「芝浦君、大丈夫?」
息を切らせながら、そして息を切らせる割には若干遅めな速度で駆け寄ってくるのは月見。――彼女の名誉のためにも『駆け寄ってくる』と表現しておく。実際の速度には触れるまい――
おおかた宗佐が連れ去られたのを案じて来たのだろう。その優しさは相変わらずである。
もっとも、その優しさがよりいっそう男達の嫉妬を加熱させているのだが、本人もましてや宗佐すらも気付いていない。俺も言う気はない。
そんな月見は宗佐の惨状を見るや恥ずかしそうに頬を赤くさせた。
だが次の瞬間はたと我に返ると慌てて鞄からソーイングセットを取り出すあたり、さすが月見である。そうしてソーイングセットを開けると、今度はしまったと言いたげに眉尻を下げた。
「これ、ボタン二つしか入ってない……!」
「そりゃあ、シャツとブレザー全てのボタンが取れることなんて想定してないんだろ」
むしろ手の中に収まる程度のソーイングセットに大量のボタンが入っていてもそれはそれで怖い。
だがそんな月見の優しさこそが嬉しいのか、宗佐が「大丈夫!」と勢いよく立ち上がった。心配させまいと考えているのか「涼しくて快適なくらいさ!」と開き直って笑っているが、俺からしてみれば夏を先取りしすぎて頭の異常を疑いかねない有り様である。
そんな俺の考えが伝わったか、もしくは宗佐自身も無理があると察したのか、胸を張ることでよりいっそうはだけた胸元を整えて「それで」と無理矢理に話題を変えてきた。
「桐生先輩はまだ話しかけられそうにないのか?」
「あぁそうだな、もう三十分近くこの調子だ」
そう話しながら俺が時計を見上げた瞬間……、
ザァ…と音をたてて目の前の集団が散っていった。
蜘蛛の子を散らすとはまさにこのこと。
その中央には桐生先輩がおり、彼女は散っていく親衛隊達を一瞥すると唖然としている俺達に気付き肩を竦めた。
「埒が明かないから、定期的に散るように言ってあるの」
当然の対応だと言いたげに桐生先輩が話す。
月見の優しさが『さすが月見』ならば、彼女のこの自分の魅力と人気を熟知した上での対応も『さすが桐生先輩』と言えるだろう。
卒業式であろうと、相変わらず彼女は小悪魔様である。
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