第20話 いつも通りの帰り道
騒動の後もクラスメイト達はどことなく宗佐を気遣い、それでいて普段通り接しようとしていた。
教室内には何とも言えない重苦しい空気が漂っていたが、それをあえて口に出す者もいない。普段は宗佐を容赦なく怒る先生でさえ、どことなく気遣い言葉を濁していたように思える。
それでも職員室から戻ってきた宗佐が晴れやかな表情をしていれば誰もが安堵し、事態は分からないがひとまず落ち着いたのかと納得していた。
「母さんが連絡したんだけど、父さんが直ぐに戻って来てくれるって」
そう俺に話す宗佐の声には明らかに安堵の色があった。
宗佐が口にした『父さん』はもちろん先程の男ではない、芝浦家の父親だ。血は繋がっていないが、父親が来るなら平気だと言いたげな表情から信頼が見て取れる。
それに対して俺は「良かったな」とだけ返した。
父親が来てくれること、事態が収束しそうなこと……。それと、今の宗佐に、頼ることができる『父親』が居ること。それら含めての「良かった」である。
もちろん詳しくなど言う気もなく、察したのかどうかは分からないが、宗佐も苦笑を浮かべて頷いた。
◆◆◆
そうして迎えた放課後、
「芝浦君、その……今日、一緒に帰らない?」
そう声を掛けたのは月見だ。
それを聞いて委員長をはじめとする数名の女子生徒達がそれに続き、男達までもが恨めしいと言いたげに追いかける。
そうしてぞろぞろと昇降口へと向かえば、「あら、奇遇ね」なんて言いながら桐生先輩が待っていた。……それと、彼女の横には木戸の姿も。
結果、宗佐を囲むような集団で帰ることになった。
「宗にぃのお父さんは、あんまり、その……良いお父さんじゃなかったんです」
声をひそめながら話す珊瑚の横に並び、彼女の歩幅に合わせながら歩く。
少し離れた先を見れば宗佐が月見や桐生先輩をはじめとする数名の女子生徒達に囲まれ、そのうえ嫉妬する男達に攻撃を受け……となかなか賑やかなことになっている。
時折あがる「ぐぇ」という宗佐の呻き声は、男達に潰されたか、もしくは肘鉄でも喰らったか。
扱いは散々だが、それも皆が宗佐を心配してのことだ。
といっても誰もがみな帰路が同じなわけではない。
途中で一人また一人と離れていくのだが、きまって「またな」だの「明日ね」と宗佐に声を掛けているのが分かりやすい。
それに対して宗佐も彼等の気遣いを感じつつも具体的な言葉にはせず、穏やかに微笑んで返していた。
その表情にも態度にも、教室内で見せた激昂や、ましてや悲痛な過去の様子はない。
「暴力的な事も多かったみたいで、だから宗にぃはお母さんを守ろうして……。だいぶ、その……怪我もいっぱいしたみたいです」
「あぁ、そう言ってた」
「……酷いですよね、父親なのに。子供を守るどころか暴力を振るうなんて」
賑やかな集団を前に、少しばかり距離をとって歩く珊瑚の声色はひどく沈んでいる。
傍目にはきっと宗佐達とは別のグループにでも見えているだろう。あまりにも纏う空気が違いすぎる。
「お母さんも宗にぃも思い出したくないんでしょうね。家では話題に出さないから、私も詳しくは知らなかったんです。でも、お母さん方の親戚の人達が、念のためにって教えてくれました」
ただでさえ忘れたい過去。今が平穏だからこそ、宗佐もおばさんも当時のことは触れるまいと考えているのだろう。珊瑚に話すなどもってのほかだ。
それでも母方の親戚は知っておくべきだと考えたらしく、珊瑚が高校にあがるタイミングで離婚に至るまでの経緯を話し、一枚だけ残しておいたあの男の写真を彼女に見せたのだという。
そこにきっと悪意は無く、話すまいとする宗佐達の気持ちを無下にしようという考えがあったわけでもないだろう。
俯きがちな珊瑚の話を聞きながら、俺は前を歩く宗佐へと視線をやった。
目の前では桐生先輩が宗佐の腕を取りまるで抱き着くかのような密着を見せ、それに対して委員長が「公共の場で!」と喚いている。男達は悲鳴をあげ、月見と西園がどう宗佐を取り返せばいいのかと慌てふためいている。
普段教室で繰り広げられている光景を学外で見るのは不思議な気分ではあるが、それと同時にやかましさに近所迷惑も考えてしまう。
そんな集団の中央で、宗佐は時に困ったように、時に楽しそうに笑っていた。
「いくら血が繋がってて顔が似てるからって、性格までそんな男と似るわけないのに。そんなことも分からない宗佐はやっぱり馬鹿だな」
「……そこまで宗にぃが話したんですか?」
「あらかたの事は聞いたと思う。……父親と顔が似てるから、いつか性格も似て……それで……」
さすがに『家族に手を上げてしまうかもしれない』という宗佐の訴えは具体的には言えず、言葉を濁して伝える。
それでも察したのか、珊瑚は何かを理解するように「そうですか」と呟き、次いで苦笑と共に肩を竦めた。
「宗にぃは以前からモテて、いつだって今みたいに騒がしく囲まれてたんです。でも、宗にぃは特別な一人を作らないようにしてた。あのひとみたいになるのが怖いからって……」
いつか自分も父親のように、そう叫ぶように訴えていた宗佐の声が思い出される。
父親に暴力を振るわれた記憶が、その父親に似ている自分の顔が、宗佐が恋愛に踏み出すための一歩を踏みとどまらせているのだろう。
今だって宗佐は明らかに月見に好意を寄せていて、もしかしたら宗佐の中でも月見に対して期待を抱いているのかも知れない。日々のやりとりや月見からの健気なアプローチを受け、もしかしたら彼女も自分のことを……と。
それでも心理的な不安が二の足を踏ませる。むしろ不安と恐怖が、期待を押しのけて「自分なんかが」と考えさせるのかもしれない。
そんな宗佐の胸中を想像していると、珊瑚が小さく「でも」と呟いた。
「私はそれで良いかなって……。どうせ宗にぃと結ばれないのなら、宗にぃがこのまま誰とも恋愛できなければ一番そばにいられるかも、って……。心のどこかでそう考えてたんです」
「酷いですよね、私」と珊瑚が笑う。
父親の姿を自分の中に見て、恋愛に踏み出せない
そんな宗佐を見て、結ばれないのならと不毛な未来を思い描く
複雑だな、と小さく漏らせば、それが聞こえたのか珊瑚が苦笑を浮かべた。
次いでパッと表情を変え、晴れやかな……それでいてどこか悲痛そうな、珊瑚らしくなくそれでいて彼女らしい笑みで前を歩く宗佐を見つめた。
「でも、もしかしたらそれも終わるかもしれません。宗にぃ、月見先輩のことは本当に好きみたいだから」
穏やかに、切なそうに、珊瑚が笑う。
その笑みは見ているこちらの胸まで苦しさを覚え、俺は彼女からゆっくりと視線をそらすと、続くように集団に囲まれる宗佐へと視線を向けた。
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