第17話 家庭の事情
宗佐を追いかけて、辿り着いたのは校舎裏。
通学時と帰宅時こそ駐輪場を行き来する生徒が多いとはいえ、それ以外は用途の無い場所だ。ゆえに人目を避けたい生徒は大概ここか屋上あたりを使うのが我が校での定番である。
先日珊瑚もここに逃げ込んだのを思い出し、走ったことで少し荒くなった息を整えながら「やっぱり兄妹だな」と心の中で呟いた。
「おい、宗佐。サボって帰るならカバン忘れてるぞ」
声を掛ければ、宗佐が振り返って苦笑を浮かべた。どことなく、どころか見て分かるほどに覇気がない。
そんな宗佐に対して、俺は何と声をかけて良いのか分からず、ただ黙って宗佐の隣に腰を下ろした。聞くべき事ははっきりしているのに、どう話し出して良いのか分からない。
気まずい。
重苦しい空気だけが漂い、校庭から聞こえてくる賑やかさがよりこの場の空気を重く感じさせる。
宗佐と出会ってそろそろ丸二年になるが、これほど気まずい空気を味わったのはじめてだ。今まで喧嘩をした事もあったし、互いに不満をぶつけあう事もあった。それでもこれほど気まずい空気は感じなかったはずだ。
そんなことを俺が考えていると、宗佐がポツリと「さっきの男さ」と話し出した。どうやら鈍感な宗佐も俺が追いかけてきた理由を察しているらしい。
ここで上手く話を引き出せないあたり、相変わらず俺は話術や器用さがない。
だが今それを悔やんでいても仕方ないと先を促した。
「さっきの男、俺の父さんなんだ。その……今のじゃなくて、本当の、というか昔の父親」
「まぁ、そんなとこだろうなと思った」
「酷い男でさ。今はもう連絡なんて取っても居なかったのに……」
あの男が以前の父親でありなおかつ宗佐との仲が険悪なのは、教室の一件を見れば誰だって分かるだろう。宗佐があそこまで激昂して父親であることを否定したのが何よりだ。
そのうえ、あの男は珊瑚の名前を朧気な様子で呼んでいた。あの男からしてみれば珊瑚は『離婚した元妻の再婚相手の娘』なのだ。その仲が険悪なら猶の事、男の中で珊瑚に関する記憶は薄いのだろう。
それに……、と、なにより『宗佐の父親だと思った理由』を考え、口にしてはいけないと俺は出かけた言葉を飲み込んだ。
普通の家庭ならば気恥ずかしい褒め言葉だとしても、宗佐相手には言ってはいけない言葉だ。
だがそんな俺の態度で察したか、それとも宗佐自身が自覚しているのか、殴られた頬をさすりながら宗佐が苦笑を浮かべた。
「似てただろ、俺と」
「あぁ、まぁ……少しだけ」
肯定するのは気が引け、有耶無耶な言葉を返す。
だが宗佐自身が言うように、あの男と宗佐は顔付きも纏う空気も似ていた。もしも何一つ問題も無く父親だと紹介されていれば、なるほどさすが親子だと感心でもしていただろう。「将来こうなるのか」なんて言って宗佐を茶化していたかもしれない。
それ程までに似ていた。……宗佐にとっては、けして喜ばしいことではないだろう。
「昔は似てるって言われると嬉しかったんだ。優しくて仕事も出来る父親だったし」
「……そうか」
「あいつの小さい頃の写真とか見て、似てるねって話したり。憧れてもいた。『将来はお父さんみたいになる』なんて言った事もあった。……昔は、だけど」
宗佐の声色には『昔は良かった』という隠し切れぬ気持ちが滲んでいる。過去を懐かしむような、惜しむような、それでいて引きずるような色合い。
だが蘇る記憶の中で懐かしんで話せる時期を過ぎたのか、宗佐は小さく「でも」と呟くとそれを最後に話を止めてしまった。話を続けようとするも、言葉を紡げずに口を噤んでしまう。
言い難い内容なのだろう。それが分かるからこそ、俺はこれ以上踏み込んで良いものかと分からずにいた。
俺はただの友人だ。
それも高校に入ってからの付き合いで、年数にすればたったの二年。
宗佐が芝浦姓になる前のことは何一つ知らず、そんな俺がこれ以上この話題に踏み込んで良いのか……。
そこまで考え、俺は一度ふると頭を振った。色々と考え込んでいる場合ではない、今宗佐の隣に座っているのは俺だ。
優しく話を聞いてやれそうな月見でも、気遣いと共に話を促せそうな桐生先輩でもない。ましてや聞かずとも宗佐の事情を知る珊瑚でもない。
そう考え、俺は一度小さく息を吐くと宗佐をじっと見据えた。
「それで何があったんだ? ここまできたんだ、全部話せよ」
そう、あまりに直球すぎる言葉で先を促す。
宗佐が僅かに目を丸くさせ……次いで小さく吹き出して苦笑を浮かべた。
「なんだよ健吾、もうちょっと言い方があるだろ」
「うるせぇな、そんな器用なこと出来ないの知ってるだろ。俺が来た時点で気の利いたフォローは諦めろ」
「そうだな……。まぁ、お前に優しく気遣われても、それはそれで気味悪いか」
宗佐が冗談めかして笑う。ぎこちなさの残る笑みだが、このやりとりで多少は気が紛れてくれたか。
そうしてポツリポツリと話し出す内容は、俺の知らない……それどころかきっとこの学校において珊瑚以外誰も知らない、
◆◆◆
宗佐がまだ幼く、親の離婚なんて考えもしなかった頃。それどころか『離婚』などという言葉すら知らず、家族はずっと一緒なのだと何一つ疑わずにいた頃、宮津家はどこにでもある極平凡な家庭だったという。
働き者の優しい父、穏やかに微笑み家族を見守る母、無邪気で活発な息子……。
それは誰もが羨む絵に描いたような幸せな家庭で、まさに理想的と言えるだろう。
宗佐はそれがずっと続くのだと思っていた。
だというのに、それはほんの少しの、それこそ極普通の家庭であったなら乗り越えられるような問題で簡単に崩れ落ちてしまった。
「あの男が仕事で大きなミスをしたんだ。俺は小さかったから詳しくは聞かされてないけど……でも、大きいって言っても別にクビになるとかじゃなくて、普通なら何とかなるはずだったらしい」
淡々と話しているが、宗佐の話は言葉の端々や声に隠しきれない父親への嫌悪感が感じられる。だがそれを指摘などする気も起きず、俺はただ黙り込んで続きを促すように宗佐を見据えた。
宮津家を知らない俺にはかけてやる言葉なんて分からないし、「大変だったな」だの「もう大丈夫だろ」なんて当たり障りのない軽い言葉をかける気にもならない。
「あの男、あれでも頭よくて良い大学出てるんだよ。そんで良い会社に入って順調に出世して……。エリートコースってやつかな。だから今まで失敗とか挫折とか無かったみたいでさ。初めて大きなミスして責められて、そのまま勢いで仕事辞めたんだ」
「……そっか」
「一回の失敗で情けないよな。俺なんか毎日怒られてんのに」
はは、と宗佐が乾いた笑いを浮かべる。
もちろんそれがこの場の空気を誤魔化すためなのは言うまでもなく、それが分かって俺も「お前は少し気にするべきだ」と冗談めいて返した。
宗佐の日頃の行いを、そして叱られてもなお懲りない図太さを目の当たりにしているからだ。
だが、どうやら宗佐の父親はその手の性格ではなかったらしい。
失敗のない人生を歩み続けると、一度の失敗で心が折れやすくなる。そんな話を以前に聞いたことがあるが、まさにそのタイプなのだろう。それも衝動に駆られて仕事を辞めてしまうほどの極端なタイプ。
だがいくら突発的に仕事を辞めたとはいえ、それまでは幸せな家族だったのだ。家族として苦労をさせられたのかもしれないが、それにしても宗佐の嫌悪は度を超えている……。
そう俺が考えながら顔を上げれば、視線から逃げるように宗佐が顔を背けた。
「仕事やめても、次を探すなりすれば良かったんだ。しばらく休んでも良かったって母さんは言ってたし。……だけどあの男、仕事辞めてからずっと家にいて、毎日酒飲んでてさ……。それも、どんどん酷くなって」
元より沈んでいた宗佐の声はより低くなり、それに比例するように不穏な影が色濃くなった。
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