第16話 居るはずのない『お父さん』



 男らしいのか情けないのか分からない木戸の宣言に桐生先輩が呆れたと言いたげに肩を竦め、宗佐と月見が苦笑を浮かべる。気付けば宗佐の表情はすっかり明るくなっているあたり、このやりとりで少しは気が晴れたのだろうか。

 そうして珊瑚にせっつかれて渋々と提出プリントを探しだす頃には、誰が見ても普段通りの馬鹿な宗佐だ。そりゃもう、鞄の中や机の中身を全てひっくり返すほどの馬鹿具合。


 そんな宗佐の態度に俺も僅かに安堵し、プリント捜索の手伝いをしてやるかと鞄の奥で丸まっていたという哀れな紙に手を伸ばし……。


「芝浦、お父さんが見えてるぞ」


 という声に、俺はもちろん、誰もが顔を上げて声のする方へと視線を向けた。


 教室の扉を開けて入ってきたのは斉藤先生。その隣には見知らぬ人物が立っている。

 白いシャツに落ち着いた色合いのジャケット、濃いめのジーンズというラフな服装。首から下げた来賓の名札と足元はスリッパといういかにも外部の人間といった装い。

 見た感じ年齢は四十代前半あたりだろうか。爽やかを感じさせる顔付きに男臭さはなく、先生に対して丁寧に礼を告げる姿はこの場もあってか『優しい父親』といったものだ。

 好青年と呼ぶには年が過ぎているが、老若男女問わず好印象を抱きそうな雰囲気を纏っている。


 その顔つきも、仕草も、確かに宗佐に似ている。



 ……宗佐に、似ている?


 

 ふと浮かんだ疑問に、次いで浮かぶ答えに、俺は小さく息を呑んだ。


    

 宗佐の父親は、今宗佐が父と呼ぶ人物は、宗佐に似ているはずがない。

 ならば教室に入ってくるこの男は……。


「おい、宗佐……」


 どういうことだ、と宗佐へと視線をやり、その表情に目を見張った。 


 憎悪を露わに、それどころか憎悪しかないと言いたげに、教室の中へと進んでくる男を睨みつけている。

 普段の宗佐からは考えられない、全くの別人物だと言われても納得出来そうな表情。そして全く別の人物であったなら、けして近付いたりなどしないだろう。それほどまでに嫌悪を表に出している。


「宗佐……」

「なんだよ、なんで来たんだよ。学校に来るなって言っただろ!」


 ガタと音立てて立ち上がり、宗佐が男へと向かっていく。

 怒鳴るような声は今までの宗佐からは考えられないほどに低く、月見や桐生先輩でさえも小さく肩を震わせるのが分かった。

 言葉に棘どころではない。声にも、表情にも、それどころか男に歩み寄る足取りにさえ嫌悪感が露わになっている。


 その空気を感じ取ったのだろう、最初こそ見知らぬ人物に興味深そうに視線を送っていたクラスメイト達も不安げな表情を浮かべ、言葉無く宗佐と男を交互に見やっている。

 つい先程まで普段通り宗佐に嫉妬していた奴らでさえ、この場の空気と宗佐が纏う雰囲気に飲み込まれているようだ。


「どうしたんだ芝浦、お父さんにそんなこと……」

「先生、こいつは俺の父親なんかじゃありません。おい、どうして来たんだよ! さっさと帰って二度と俺達の前に現れるな!」


 吠えるような声色で宗佐が男に詰め寄る。普段との変わりように先生もどうしていいのか分からず、それでも「父親ではない」という宗佐の言葉にぎょっとし隣に立つ男へと視線をやった。

 咄嗟に男の前に片腕を伸ばすのは何かあった時のことを危惧したのか。だがそんな先生の反応にも男は気に掛ける様子無く、ましてや宗佐の怒気にも臆することなくヘラと軽い笑みを浮かべた。


 『優しい父親の情けないながらも愛嬌のある笑み』といったその表情は、この状況だからか妙に寒々しい。

 ……そして、その情けない笑みはやはりどこか宗佐に似ている。


「おい宗佐、そんな怖い顔するなよ。ほら、友達も困ってるだろ」

「うるさい、帰れ。もう二度と俺達に近付くな」

「なんだよ、せっかくお前の勉強する姿でも見てやろうと思ったのに。……お、」


 男の視線が宗佐から逸れ、その背後へと向かう。

 宗佐の背後。この状況下で、この男が反応するもの……。


 誰もがその視線の先を追えば、そこに居るのは窓辺で宗佐の行動を見守っていた珊瑚だ。

 彼女は不安そうに、それどころか表情を青ざめさせながら今までのやりとりを見続け、男の視線が自分に向かったのを感じるとビクリと小さく肩を震わせた。

 だが男はそんな珊瑚の態度すら気にならないと言いたげに、場違いな陽気さで彼女に向けて片手をあげた。


「なんだ、お前もいたのか。えぇっと、さんご、だっけ?」


 随分と適当な挨拶を告げる男に、珊瑚が小さく息を呑んだ。もちろんだが返事はしない。むしろ返事をする余裕も無いと言いたげだ。

 俺はまったくもってわけが分からず、いったいどういうことなのかと宗佐に声を掛けようとし。


 次の瞬間、駆け出した宗佐と、そして重く静まった空気の中に響いた殴打の音に目を丸くさせた。


 宗佐が男を殴ったのだ。

 あの平和主義の宗佐が。嫉妬した男達に担ぎ上げられても、月見との会話を割って入る集団に押し潰されても、悲鳴こそあげはするものの暴力的な抵抗は一切しなかった宗佐が。

 本気で人を殴りつけた。

 その光景に信じられないと誰もが目を丸くさせ、月見に至っては「芝浦君……?」と弱々しい声をあげる。俺も同様、情けないことに動くことが出来ずにいた。


「珊瑚に近付くな!」


 宗佐の怒声が響く。男は殴られた衝撃でバランスを崩して近くの机にぶつかっていった。派手な音があがり、女子生徒達の小さな悲鳴が聞こえる。異変を感じた他クラスの生徒が様子を見に来ているのが教室の扉から見えた。

 バタバタと慌ただしく聞こえる足音は野次馬か、それとも先生が来てくれたのか……。

 そんなこと考えている場合じゃないと分かっていても頭の片隅でボンヤリと考えていると、再び教室内に殴打の音が響きわたった。


「ガキのくせに何しやがる!」


 怒声が響き、今度は宗佐が近場の机へと倒れ込む。殴られた男が立ち上がるや宗佐を殴りつけたのだ。

 その瞬間に宗佐の名を呼ぶ珊瑚の悲鳴じみた声と言ったらない。

 普段ふざけて宗佐が酷い目に遭っている時は呆れたと言わんばかりに見ているのに、今だけは青ざめて、窓枠からこれでもかと身を乗り出して宗佐を呼んでいるのだ。藻掻くように伸ばされた手が宙を掻く。


「な、何しているんですかあなた!」


 突然のことに唖然としていた斉藤先生がはたと我に返り、慌てて男を羽交い締めにした。駆けつけてきた先生達もそれに加わり、一瞬にして男が拘束され、教室の外へと引きずり出される。

 聞くに堪えない宗佐への暴言と、生徒達に教室へと戻るよう指示する先生達の声が廊下から聞こえ、それが徐々に遠ざかっていく。職員室にでも連れていったのか。

 それらが小さくなりついに聞こえなくなると、今まで重苦しい空気に何も言えずにいたクラスメイト達がざわつき出した。

 まさに騒然といった空気に、ようやく我に返った俺は慌てて宗佐へと駆け寄った。


「おい宗佐、大丈夫か!?」

「あ、健吾……俺……」

「うわ、これ口の中切ってるんじゃないか?」


 どこかボンヤリとした宗佐に駆け寄って顔を覗きこめば、口元が赤くなっているのが目につく。痛々しい。

 だが宗佐は自分が殴られたことも気にかける余裕がないのか、男と先生が去っていった先を目で追い、次いで教室内を見回した。

 誰もが気まずそうに顔を伏せたり視線を泳がせている。あまりの事態に青ざめている女子生徒もいるが、突然目の前で暴力沙汰を見せられたのだから怯えるのも仕方あるまい。


 そんな空気の中、誰より表情を青ざめさせた宗佐が一度俺達を振り返り、


「空気悪くして、ごめん」


 と、ひどく痛々しい苦笑を浮かべて、次の瞬間まるで逃げるように教室から走り去っていった。

 止めようとした俺の手はあと僅かで届かず、出入口にたまっていた野次馬たちが一瞬にして宗佐に道を譲るのが見えた。


 追いかけるべきなのか、情けない話だがどうすれば良いのか分からない。

 せめてと珊瑚を振り返れば、先程まで青ざめていた彼女は今ではもう顔を上げている気力も無いのか俯いて顔を手で覆っている。

 目の前で兄が殴られたことがよほどショックだったのだろう。月見や桐生先輩がハンカチを手に慰めているところを見るに、泣いているのだろうか。


 そんな珊瑚が一度顔を上げ、涙で潤んだ瞳で俺を見た。

 ……いや、俺ではなく俺の更に向こう。宗佐が去っていった先。


「宗にぃ……」


 と、小さく呟かれた珊瑚の声に俺は追いかけてくれと言われた気がして、すぐさま教室を飛び出した。

 ここで泣いてる珊瑚を優しく慰めれば男としてのポイントが上がったのかもなぁ、なんて、そんな場違いなことを考えながら。



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