第14話 ラーメンとパフェ



 俺の返答にご満悦な桐生先輩が、「でも」と物言いたげに視線を向けてきた。

 やんわりと弧を描く口元。楽しそうで、そしてより楽しもうという表情。まだ何かあるのかと思わず身構えかければ、彼女は「ラーメンはどうかと思うわよ」と笑った。

 桐生先輩ほど大人びて凛とした女性の口から出る『ラーメン』という単語は、なんだか妙なギャップを感じさせる。……いや、美人だってラーメンを食べるのは分かっているけど。


「せっかく二人きりなんだもの、いくらお腹が空いてたとしてもラーメンは我慢するべきだったわね。ムードに欠けるじゃない」

「ムードって……。一応言っておきますけど、ラーメンを食べてたのは俺だけで……」


「私はラーメンは食べていません!」


 訂正しようとした俺の話に、聞き慣れた声が被さった。

 あぁ、やっぱり来たか……。と、そんなことを考えながら窓の外に視線を向ければ……


 木戸が立っていた。


 予想外の人物の登場に思わずビクリと肩を震わせてしまう。

 これには宗佐も慌てて「木戸君から珊瑚の声が!?」と混乱している。

 もっとも、たんに珊瑚は木戸の足元にしゃがんで隠れているだけだ。覗き込めばしてやったりと笑っている。

 なんて幼稚な悪戯を……と思いはするも、この程度の悪戯を仕掛けてくるくらいには元気が戻ったとも言える。


「なにやってるんだ、妹」

「先輩の妹じゃありませんが、たまにはサプライズ演出をしようと思いまして。出来る妹というのはマンネリせず、日々の妹ぶりに変化をつけるんです」

「お前の中の妹はどういう存在なんだ」

「まぁそれはともかく、宗にぃ達が話してるのが見えて近付いたら、ちょうと木戸先輩が通りがかったんで協力してもらいました」


 あっさりと説明しながら珊瑚が立ち上がり、パタパタとスカートについた汚れを払い落とす。

 それを眺め、俺はなるほどそういう事かと頷き……、


「……それで、どこから聞いてた?」


 と、穏やかではない胸中をなんとか抑えて尋ねた。

 先程俺は珊瑚と居たことを桐生先輩に言及され、「俺があいつと一緒に居たいから」と断言した。

 もちろんそれは嘘ではないし、誰に聞かれようとも何を言われようとも訂正する気は無い。

 だが今ここで珊瑚本人に聞かれるのはさすがに恥ずかしい……。

 そんな動揺を悟られまいと堪えて返事を待てば、珊瑚は不思議そうに首を傾げ「どこからって……」と呟いた。


「桐生先輩が『ラーメンはどうかと思う』って話してたところからです」

「そ、そうか……。そこからか」

「はい。でも私は軽食でラーメンを食べるほど食いしん坊ではないので、そこを勘違いされては困ると思って声を掛けたんです。私はお洒落にパフェを食べてましたから!」


 女子高校生としてのプライドなのだろうか。――フードコートもどきの休憩所で売っているパフェさえお洒落と言い張るあたりが彼女らしい――

 だがなんにせよ先程の俺の断言は聞かれていなかったようだ。思わず安堵し、次いで木戸へと視線をやった。俺の視線に気付くと「よぉ」なんて片手を上げてくる。


 その暢気でいて爽やかな挨拶に、俺も穏やかに微笑んで返し……、


 次の瞬間、一発殴ってやろうと手を伸ばした。


「うぉっ、あぶねぇ!」

「くそ、逃がしたか……!」


 微笑んで油断を誘ったというのに、俺の手はあと僅かのところで木戸を掴めずに宙を掻く。

 木戸は外に立っている。つまり、俺が窓辺に近付いて手を伸ばしても数歩離れてしまえば届かなくなってしまうのだ。試しに逃げるなと拳を握りつつ訴えるも更に一歩離れてしまった。

 殴られると察するや瞬時に後ろに飛びのく反射神経、俺の手を躱す軽やかな動き。なるほど運動神経抜群なのも頷ける。なんて忌々しい。


「おい敷島、突然なんだよ。俺に何の恨みがある」

「むしろ恨まれてないと思ってるのか?」


 睨みつけながら尋ね返せば、木戸が「それもそうだな」とあっさりと納得した。

 だが俺に恨まれてると分かっても気にしておらず、桐生先輩への密告を謝りもしない。それどころかにやりと笑みを浮かべる始末。飄々とした態度は相変わらずで、やはり一発殴れないものかと手を伸ばしてみる。

 それを眺めていた珊瑚が、話を改めるように「さて」と小さく呟くと宗佐へと向き直った。どういうわけか可愛い妹からの視線に宗佐がギクリと肩を震わせ表情を強張らせる。

 額に汗が伝うような、「まずい」と無言ながらに訴えるその表情は分かりやすくて宗佐らしい。先程の深刻さは一瞬にして消え、いつも通りの妹に世話を焼かれる情けない兄に戻ってしまった。

 

「宗にぃ、今日提出のプリントあったでしょ。昨日先生が言ってたやつ。ちゃんと出した?」

「はは、嫌だな珊瑚。兄を疑うのか? もちろん俺は朝一番に先生に」

「提出してなかったな。というか、さっき先生にせっつかれてたし」

「健吾! 裏切り者!」


 今言うなよ! と喚く宗佐に、珊瑚が盛大に肩を落とした。昨日の家庭訪問で宗佐の未提出物が全て白日の下に晒され、妹ながらに危機感を感じているのだろう。

 わざわざ覚えて宗佐に提出を促すのだから相変わらず律儀な奴だ。そう感心していると、そのやりとりを聞いていた月見が楽しそうに笑った。


「昨日って家庭訪問があったんだよね。芝浦君のお家も無事に終わったんだね」

「……無事、と言えるかは微妙なところだな。内容は悲惨で話す先生も気まずそうだし、聞いてる側も気分が沈む。誰も幸せにならない家庭訪問だ。とりわけおばさんの胸中はかなり複雑だろうな」

「敷島君、なんで詳しいの?」

「俺も同席させられたんだよ」


 いまだにあの流れは腑に落ちない、と思いながらも話せば、月見が目を丸くさせた。

 頭上に疑問符が飛び交っていそうな表情だが、当然と言えば当然の反応である。今の月見を職員室に連れていって、斉藤先生に「ほら、やっぱりおかしな話なんですよ」と言ってやりたいぐらいだ。

 あの先生なら笑い飛ばしかねないけど。

 この話に驚いたのは月見だけではなく、木戸や桐生先輩までもが意外だと言いたげな表情をしている。


 だというのに、本来誰より気にすべき芝浦兄妹は気にもとめていないようで、周囲の驚きに対してそれ程までかと言いたげだ。

 家庭訪問に重きを置いていないのか、一人増えても変わらないと考えているのか、俺なら加わっても気にならないのか……。

 珊瑚からしてみれば大学進学について話す機会ができ、宗佐に至ってはあの場に一人でも居たほうが気が紛れると、結果的に俺の追加は良い方に働いたかもしれないけど……。

 

 それでも俺は「家族以外が加わるのはおかしな話だからな」と芝浦兄妹に念を押した。


 ここで俺まで受け入れてしまえば、来年以降も芝浦家の家庭訪問に参加させられかねない。


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