第13話 昨日のこと


 熱くシスコンぶりを語る宗佐に対して、俺の胸中は冷える一方。


「うん、そうか……そうだよな……」

「兄としては当然だろ! 石油王が土下座したって俺は易々と珊瑚を嫁に出したりなんかしないからな!」

「そうか……石油王でもダメか」


 目の前にいるはずの友人がなぜか突如として巨大な壁に思え、嫌な汗が額に浮かぶ。

 宗佐のシスコン度合いを知っているからこそ、そして宗佐の馬鹿さ加減を知っているからこそ、こいつが本気で石油王を家から蹴り出して塩どころか固形燃料を撒く姿が想像できるのだ。

 日頃あれだけ珊瑚を溺愛している宗佐ならやりかねない。


「で、どうして突然珊瑚の話なんかしたんだ? 健吾の好きな人の話はどうなった?」

「えっ、いや……ほら、俺はそういうのないけど、もしかしたら兄貴がいる奴に惚れるかもしれないだろ。それで参考までに聞いてみたんだ」

「そっか、まぁでも確かに兄ってのは厄介だよなぁ。自分でも面倒だと思うし」

「……面倒か」

「俺、珊瑚が恋人つれてきた時のシミュレーションしてるからな。玄関前で『ここから先に行きたいのなら俺を倒していけ!』って立ち塞がってやるんだ!」


 にこやかに笑う宗佐に、俺が乾いた笑いで返す。

 そうしてなんとか誤魔化そうと別の話を振ろうとした瞬間……、


「敷島君、昨日のお話しましょう」


 と、まるで歌うような軽やかさで、俺達に一人の女子生徒が話しかけてきた。

 黒く輝く美しい髪、高校生とは思えない抜群のスタイル。凛とした美しさは大人びた印象を与えつつ、微笑むと少女らしい愛らしさもある……。


 言わずもがな桐生先輩である。

    

 しまった、忘れてた。と心の中で呟く。

 未来には宗佐という壁、そして今は桐生先輩という難所……俺の人生は苦難ばかりなのか。


「桐生先輩……こんにちは」

「私、ずっと敷島君と話がしたかったのよ。昨日のこと、詳しく聞かせてね」


 甘えるような声色で桐生先輩が促す『昨日のこと』とは、俺と珊瑚がスーパーの休憩所にいたことだ。それが木戸からの情報だということも確認するまでもない。

 桐生先輩の瞳はやたらとキラキラと輝いており、おまけに絶妙なタイミングで戻ってきた月見が「どうしたの?」と首を傾げている。


 ここから退路を見出すのは難しそうだ。


 更には桐生先輩が急かすように「ねぇ敷島君」と改めて俺の名前を呼んでくる始末……。

 彼女の性格からしてみれば、露骨に視線をそらす俺の態度も含めて楽しいのだろう。


「昨日のこと、詳しく聞きたいの。教えてくれるでしょ?」


 小首を傾げて桐生先輩が強請ってくる。普段は大人びた彼女の甘えたような仕草。

 一見すると可愛いお願いに聞こえそうだが、俺は言い知れぬ圧を感じていた。もちろん「話さなきゃ逃がさないわよ」という圧である。

 だが俺にだって言い分はある。

 そもそも昨日は芝浦家の事情があったうえで、俺と珊瑚は二人で過ごしていたのだ。特に疚しい事も無ければ、桐生先輩が期待しているような展開も無い。

 きっと説明すれば桐生先輩もすぐに納得するだろう。


 それでも説明出来ずにいるのは、この件を説明するには芝浦家の話をしなくてはならないからだ。

 下手なことを言えば、ここまで普段通りを取り繕っている宗佐の努力が水の泡になる。かといって興味深そうに見つめてくる桐生先輩をあしらう術なんて俺にあるわけがない……。


 どうする……と、チラと宗佐に視線を向ければ、困惑の色を浮かべる宗佐の表情が目に入った。

 宿題を忘れた時も、悲惨なテスト結果が返ってきた時も、授業中に爆睡して妙に微笑ましくかつ冷ややかな笑みを浮かべる先生に「おはよう」と起こされ時でさえも見せなかった困惑の色。

 気まずそうに、そしてどこか辛そうに眉根を寄せ、それを誤魔化すように苦笑いを浮かべている。

 

 そんな宗佐の表情に俺は一度深く溜息を吐き、「昨日って……」と桐生先輩に向き直った。


「昨日って、俺と妹が二人で飯食ってたことですか?」


 いっそ素直に認めよう。

 実際に二人でいたわけだし。


 それを聞いた桐生先輩は満足そうに頷いて、更に一度ニヤリと妖艶な笑みを浮かべると「珍しい組み合わせよねぇ」と続けた。

 暗に「理由を教えて」と先を促しているのだろう。月見もこの話を意外に思ったのか、不思議そうな表情で俺に視線を向けてくる。


 俺と珊瑚が二人きりでいるのは不思議なのか。

 やはり宗佐の仲介ありきなのか……。と考えると切ない気もするが、それは今は置いておく。

 なにより今はニヤニヤと笑う桐生先輩を落ち着かせる必要がある。


「珍しいですか?」

「えぇそうよ、聞いた話だと結構長い時間楽しそうに話してたみたいじゃない?」


 とりあえずあとで時間を作って木戸を殴ろう。


「まぁ、楽しかったと言えば楽しかったですね」

「それで、どうして二人で居たのかしら?」


 何か面白い回答を期待しているのか――それともよっぽど木戸が誇張して教えたのか――妖艶ながらどこか期待を宿した表情で桐生先輩が尋ねてくる。

 彼女は芝浦家に何かが起こっていることを知らない、だから純粋に『冷やかしがいのある後輩が面白いことになっている』と思っているのだ。

 そして彼女にとって、たとえば俺が赤くなったり下手な嘘で誤魔化すのもまた楽しみの一つなわけで……。


 そう考えれば、俺の中の反抗心に火が灯る。

 ここで大人しく楽しまれて堪るものか。


「どうしてって、そんなの……」

「そんなの?」



「俺があいつと一緒に居たいから誘ったんです」



 はっきりと言いきれば、桐生先輩がきょとんと目を丸くさせた。

 どうやら『堂々と肯定』は彼女も想定外だったようだ。


 一本取られたとでも言いたげな表情に、俺の僅かな反抗心が勝利宣言をあげる。出し抜けた気がして気分が良い。

 ちなみに月見に至っては何一つ事態が分かっていないようで、唖然としたまま動かなくなってしまった。それと同時に教室の一部で小さなざわつきが上がったのは、おおかた盗み聞きをしていた月見や桐生先輩の親衛隊達だろう。

 誰もが皆、俺の断言に意外だと言いたげな表情を浮かべている。


 だけどこれもまた事実だ。


 確かに芝浦家の事情があって、珊瑚が家に帰れなくて、宗佐に託されて、だから二人でフードコートもどきの休憩所で時間を潰した。

 でもあの時の俺はそんな面倒な理由も何も考えず、ただ見るからに不安気な珊瑚を一人にしたくなかったのだ。

 事情はわからないが、それでも俺がそばにいてやりたいと思った。他の誰でもなく俺が、珊瑚のためにありたいと思った。


 だから誘った。

 つまり珊瑚と居たかったからだ。

 

 それ以外の理由なんてないと桐生先輩を見れば、彼女は数度瞬きをするとようやく我に返ったのか、満足気に「そうだったのね」と笑った。月見はいまだ呆然としているが、あれは放っておいても害はないだろう。

 盗み聞き連中に至っては放っておくどころか考えたくもない。


「ごめんなさいね、野暮なこと聞いちゃって」

「いいえ、お望みの答えじゃなくて申し訳ありませんでした」

「あら、敷島君もけっこう言うようになったわね」


 俺の返しが面白かったのか、桐生先輩が楽しそうにクスクスと笑う。どうやら満足してくれたらしい。その反応にひとまずやり過ごせたかと小さく安堵すると、俺の服がクイと引っ張られた。

 見れば宗佐が申し訳なさそうに苦笑を浮かべ「悪いな」と口パクで伝えてくる。きっと今のやりとりを、俺が芝浦家の事情を隠すために嘘を吐いたと考えたのだろう。


 嘘じゃないんだけどな。

 とは、今は言わないでおく。


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