第10話 『兄』のような『兄の友人』

 


 買い物メモに書かれていたのは、牛乳四本と赤ん坊用の粉ミルク。それに卵が三パックと食パンが三袋。あとは日常生活の消耗品と相変わらず遠慮がない。文句の一つでも言ってやりたいところだが、朝方牛乳を飲み干したことを思い出して大人しく従う事にした。

 そのメモを眺めながら牛乳をカゴに入れていると、珊瑚が怪訝そうに「買い置きするんですか?」と尋ねてきた。

 いつの間にか抹茶プリンを手にしているあたり、スーパーに来るまでに調子もいくらか戻ったようだ。きっと宗佐と母親の分なのだろう、三つ手にしているところが彼女らしい。


「買い置き?」

「そうですよ。牛乳は賞味期限が早いから、あまり買い置き向きじゃないですよ」

「なに言ってるんだ。これ一週間持たないぞ」

「ひゃっ!?」


 俺の返答を聞いて目を丸くさせる珊瑚に、敷島家ではこれが普通なんだと教えてやる。だが彼女が驚くのも無理はないだろう。俺も大所帯で育って感覚が麻痺しているとはいえ、さすがに牛乳一本を一日で消費は異常だと分かる。

 目を丸くさせたままの珊瑚が牛乳と俺を交互に見やり「やっぱり牛乳かぁ……」と呟いた。いったい何の話だと首を傾げて尋ねれば、俺を見上げてくる。


「身長です。健吾先輩、身長高いじゃないですか」


 自分と比較するため珊瑚が俺の隣に並ぶ。ほら、と見上げてくる彼女は隣にいるからか話題のせいかいつもより小さく感じられ、思わずドキリとしてしまった。

 まずいな、事情があるとはいえ二人きりなのを意識してしまいそうだ……。といってもスーパーなので二人きりと言えども雰囲気も何も無いのだが。それでも二人きり……と、この期に及んで考えてしまう。


 そんな不純な考えをひとまず思考の隅に追いやり、改めて俺の隣に並ぶ珊瑚を見下ろす。

 彼女の言う通り、俺は背が高く体格も良い。これといってスポーツをしているわけではないのにこれなのだから、運動部の友人からは常々羨ましがられている。

 二年生どころか三年生を含めても、背丈は高い部類に入るだろう。もっともそれゆえか――あとは些か強面気味なのも含めてか――、ただ黙っているだけで威圧感を与えるという難点もあるのだが。


「宗にぃ、あんまり身長高くないのを気にしてるんです。低いってわけでもないけど、せめてもう少し伸びて欲しいって」

「あぁ、そういや身体測定のたびにぶつぶつ言ってるな。今年の身体測定で俺の方が伸びたって知った時の悲鳴は凄かった」

「健吾先輩、まだ伸びてるんですか……?」


 えぇ……と珊瑚が信じられないものを見たと言いたげに俺に視線をやる。失礼ではなかろうか。二人きりという空気も雰囲気も何もない。

 それに対して俺は「さすがに止まりつつある」とフォローを入れておいた。……止まりつつ、なので、年単位で見ればまだ成長してるのだが。


「やっぱり牛乳ですね。宗にぃのデザートは牛乳プリンに変更しましょう」

「遺伝もあると思うぞ。俺の家、みんなでかいし」


 確かに俺はでかい。だが敷島家においては、俺だけずば抜けて身長が高いというわけではない。

 父さんも背が高いし、母さんも女性にしては高身長と言えるだろう。上の兄貴二人は言わずもがな、弟もまさに成長期と言える速度で身長を伸ばしている。小学生の双子だって、身長順で並ぶと後ろの方だと話していた。

 つまり、敷島家は家族全員でかいのだ。


 それを話せば、珊瑚がパチンと一度瞬きをした。

 きっと俺と同じぐらいの身長の男が数人……と想像しているのだろう。

 次いで買物カゴを覗き込み、なるほどと頷きだす。俺と同等の身長の男が数人、となれば、今カゴの中にある牛乳だの食パンだのはあっという間に消費される。


「健吾先輩の家は何から何まで規格外ですね」

「失礼な。……と言いたいところだが事実だから何も言えないな。調理実習のたびに、俺の家にある鍋は一般家庭用じゃないんだと思い知らされる」

「小学校の給食で見た寸胴鍋ですか」

「いや、さすがにあれほどじゃ……。でもあの深さ、大きさ、もしかしたら寸胴鍋かもしれない」


 食べ盛りの高校生と中学生、常に動いてエネルギーを消費し続ける小学生二人。それも全員男。更に大人が四人。

 ともなれば家庭用鍋で足りるわけがない。作る量もすべて他の一般家庭の倍以上だ。

 それを想像し……いや、想像しきれないのか珊瑚は圧倒されたと言いたげな表情だ。


 大所帯の敷島家と違い、芝浦家は一般的な人数の家庭。父方祖母と両親、珊瑚と宗佐の五人。だが父親は仕事の関係で長く家を空けており、一年の殆どを四人で過ごしている。それも家が新旧で分かれており普段の食事は別々。

 つまり珊瑚は旧芝浦邸で祖母と食事をしている。食の細い祖母と彼女とでは、きっと量もたいしたものではないだろう。

 休日や祝い事、他にも鍋だの焼肉だのとメニューによっては家族四人で食事をするというが、それだって食べ盛りは宗佐一人だけ。おばさんはあまり量を食べるとは思えないし、増えてもさしたるものだ。

 だからこそ、敷島家の食卓が想像できないのだろう。


「に、賑やかで良いですね……」

「頼むからその無理やり捻りだした褒め言葉はやめてくれ。さっき宗佐を褒めた時の斎藤先生と声色が同じだぞ」

「そこまでの大所帯が想像できないんです。でも賑やかで楽しそうだと思ったのは本当ですよ」

「賑やかで楽しい……。騒々しくて落ち着きがないとも言えるけど。でも確かに、大所帯で良かった時もあるな」


 育児を手伝わされ文化祭やら家庭訪問やらで頭を抱えてはいるものの、別に俺は家族が嫌いなわけではない。大所帯なのも受け入れている。幼少時は別の家庭に生まれたかったと思いもしたが、そんな不満はどの家庭の子供だって一度は抱くものだろう。

 そう達観するぐらいには今の家に生まれてきて良かったと思っているし、家族の事も大事に思っている。

 あの厄介な小学生二人も苦労はさせられているが大事だし、赤ん坊も言わずもがな。

 弟とは仲が良く、兄貴達だって頼りになる。


 進路についてだって、俺は焦りと同時に『家に帰ったら兄貴達に相談しよう』と考えたのだ。

 数年先をゆく二人の兄はなにかと相談にのってアドバイスをくれる。こういう時は兄がいて良かったと思う。


 それを話せば――さすがに家族を大事に思っている……と具体的に言うのは気恥ずかしく言葉を濁しながらだが――、珊瑚が意外だと言いたげに俺を見つめてきた。


「健吾先輩も弟なんですね」

「なんだ、言ってなかったか?」

「いえ、上にお兄さんがいるのは聞いてます。……でも、なんだか健吾先輩って『お兄ちゃん』って感じがするから」


 だから俺が兄の話をし、彼等を頼ろうとしているのが意外に思えた。そう珊瑚が苦笑しながら話す。


 彼女の言いたいことは分かる。

 確かに今の敷島家において、俺は長兄のポジションにいる。本来の長兄が居るにはいるのだが既に親という立場で、『子供達の中で』となればやはり俺が一番上だ。

 よく面倒見が良いと言われるし自覚もしている。なんだかんだ言って宗佐絡みの騒動に付き合っているのがまさにだ。……今も含めて。

 そういった点で、珊瑚が俺を『お兄ちゃん』と考えるのは分かる。


 ……分かるけど。


「お兄ちゃん、か……」


 と、思わず小声で呻いてしまう。

 この言葉を好きな女の子から言われて喜ぶ男はいるだろうか。少なくとも俺は喜べない。

 そりゃあ『兄の友人』という距離から詰められたのかもしれないけれど、だからといって『兄』に近付いてどうする。


 近付きたいけどそっちじゃない。


 そう呟くも珊瑚には聞こえていなかったようで、いつの間にやら買物メモを手にし「食パンはあっちですね」と先導するように歩き出した。

 色々と言いたいところもあるが、ひとまず『本物の兄』から託されているのだ。代理兄として彼女を家まで送り届けよう、そう考えて、珊瑚の案内に従って俺も歩き出した。




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