第9話 無事(?)終了した家庭訪問と不穏な車



「芝浦君は、なんと言いますか……」


 どう言葉を濁そうかと悩みながらの斉藤先生の話は、それはもう筆舌に尽くしがたいものだった。


 日々の宿題忘れから始まり授業中の居眠り、とどめと言わんばかりに出される先日のテスト結果。既に把握している俺でさえ「もうやめてあげてくれ!」と叫びたくなるほど。タオルを持っていたら迷うことなく投げていただろう。

 これには普段温厚で朗らかなおばさんも徐々に表情を暗くさせ、珊瑚に至っては庭で寝転がっている猫を眺めるという現実逃避をしだす。

 そんな二人の反応に同情したのか、先生が若干慌てながらフォローを入れてきた。


「勉強面はあれですが、生活面はとても充実していると思いますよ。芝浦君は明るく皆に親切で、クラスの雰囲気をよく盛り上げてくれています。友達とも仲良く、楽しく学校生活を過ごせているようでなによりです……」


 はは……と斉藤先生が乾いた笑いを浮かべる。

 声が上擦っており無理やり褒めるところを捻りだしたと言いたげではあるが、この話には俺も頷くことで同意を示しておいた。


 確かに先生の言うとおり、宗佐は明るく親切で、友人として見るならば良い奴だ。


 これだけ出来の悪い怠惰な生徒でも酷いお咎めもなく――いや、普通の生徒であれば懲りる程度のお咎めは喰らっている気もするが――、そしてあれだけ無自覚にモテているのに男達から避けられたり敬遠されていないのは、ひとえに宗佐の性格がそうさせているからだ。

 明るく陽気で冗談も通じる。男女問わずに親切で、困っている人がいれば直ぐに飛んでいく。勉強面はさておき、根は真面目で善良な男だ。

 日頃宗佐に対し嫉妬している奴等も、時折暴走し磔にせんと担ぎ上げ攫いはするものの、戻ってくる時は楽しそうに談笑している。むしろ女子生徒が絡まなければ普通に話もするし遊びもするのだ。

 それどころか、彼女持ちに昇格した奴に至っては今までの嫉妬の日々をあっさりと忘れ、「モテる男は辛いよなぁ」と宗佐の肩を叩いたりしている。


 鈍感で馬鹿で問題を起こすが、それでも憎めない性格というやつなのだろう。

 総じて、この手のタイプは人生をうまく乗り切り成功するものだ。


「芝浦君の良いところは明るい性格で、クラスを盛り上げてくれますし、他の生徒にも優しくて、明るく……親切で……その、優しく……他にも……他にも、なぁ! 敷島!」


 生活面のフォローを考えるも『明るい』『親切』という点しか思い浮かばなかったのだろう、先生が焦ったように俺の名を呼んできた。

 ずるい、こんなところで俺に投げるなんて……! と、恨みがましく睨みつけるも、俺の言わんとしていることを察してか先生が苦笑を浮かべた。

おまけに急かすように「親友だもんな! 何か言ってやれ!」とまで言ってくるではないか。


 やめてくれよ先生、おばさんが期待した目で俺を見てるじゃないか。

 宗佐、なんでお前まで俺を見るんだ。お前に対してなんて恨み言か文句しか出ないに決まってるだろ。

 珊瑚は……と彼女を見れば、この状況と兄の不出来さを冷静に理解しているようで、いまだ庭の猫を見つめている。さすがシビアな妹。それはそれでどうかと思うけど。


 そんな一部の無責任な押しつけと一部の期待を向けられながら、俺は宗佐の良いところを探すべくしばらく悩み……悩み……盛大に悩み……。


 庭にいる猫に視線を向けた。


 ずっしりとした大きな猫が二匹、日向でひっくり返って眠っている様は何とも長閑ではないか。


「あえて言うなら、宗佐の良いところは猫を飼ってるところですね。動物の世話って大変らしいし、責任感があるんじゃないですか?」

「健吾先輩、残念ながら大福もおはぎもおばぁちゃんが旧芝浦邸で飼ってる猫です」

「そうか。というわけなので、宗佐の良いところはありません」


 珊瑚と二人で庭を眺めながら淡々と告げれば、宗佐の悲痛な叫びとおばさんの切なげな溜息が部屋に響いた。



 ◆◆◆



 つつがなく――おばさんの胸中は定かではないが――芝浦家の家庭訪問が終わり、俺と芝浦兄妹で先生をバス停まで見送る。

 あの家庭訪問を考えるに宗佐は今すぐにでもおばさんときっちり話し合う必要があるように思えるのだが、何かしらの危機を察したのか、終わりの空気が漂うやいなや、

「先生! バス停まで見送りますよ!」

 と、いの一番に立ち上がったのだ。

 あの時の速さと言ったら無い。普段は鈍感なくせに、こういう時の危機察知能力は優れている。


 そうして先生がバスに乗るのを見届け、来た道を戻る。


「健吾はこれから買い物だっけ? 仕方ない、俺が一緒に行ってやろう」

「お前は大人しく家に帰れ。そして怒られろ」


 なんとかして帰宅を遅らせようと足掻く宗佐を冷ややかに一刀両断してやれば、珊瑚が同感だとコクコクと頷いた。ちなみに、宗佐は当初「俺と健吾で見送りにいく」と言い張っていたが、有無を言わさず珊瑚がついてきたのだ。

 言わずもがな宗佐の逃亡を阻止するためである。相変わらず出来た妹だ。


 そんなことを話しながら三人で歩いていると、耳障りな音と共に一台の車が目の前の交差点を駆け抜けていった。

 古びた車。一度点検に出した方がいいんじゃないかと思える程にエンジン音は煩く、柄の悪さが一目で分かる。突然のことで車内の光景は見えなかったが、あまり上品な人が乗っているとは思えない。

 だがその車に見覚えがあり、ふと足を止めた。

 あの車は先程芝浦家の前に停まっていた車じゃないか……。


 そう考えて宗佐に視線を向け、俺は出かけた言葉を飲み込んだ。


 普段のへらへらとした間の抜けた表情とも、先程までのどうにか逃げようと画策する必死な表情とも違う。

 明らかに嫌悪と怒りを露わにした、憎悪すら感じられる程の鋭い表情。車が通り過ぎた後を忌々しいと言いたげに睨みつけており、これが宗佐なのかと疑いたくなるほどだ。


「おい、宗佐……」


 どうしたと声をかければ、はっとしたように宗佐が表情を普段のものに戻して俺を振り返った。

 だがその瞳には焦りと困惑が混ざっており、次いで宗佐の視線が珊瑚へと向かう。


「珊瑚、健吾と一緒にスーパーで買い物してこい」

「宗にぃ……」

「携帯に連絡するから。良いな、それまで買い物しててくれ」


 大丈夫だから、と念を押して、宗佐がチラと一度俺に視線を向ける。

 そうして俺達の返事も聞かずに走っていくのは、宗佐の家がある方向、あの車が走っていった先……。

 そんな宗佐に対して俺はと言えば、あまりの展開に理解が追いつかず、ただ走り去っていく背を見送るだけだった。


 そうしてしばらく呆然と宗佐を見送り、ふと隣の珊瑚に視線を向けた。

 今の今まで悪戯気に笑っていたのが嘘のように不安そうで、怯えとさえ言える表情だ。「宗にぃ…」と呟かれた声はひどく弱々しく、不安で堪らないと言いたげに服の胸元をぎゅうと掴んでいる。


 それほどまでに何かあるのか。

 あの車がいったい何だというのか……。


「おい、妹……」


 様子を伺うように声をかければ、珊瑚がはたと我に返ったように俺に視線を向けた。


「あ、健吾先輩……」

「なぁ、今の」

「か、買い物ですよね! 行きましょう!」


 ほら!と珊瑚が明るい声を出し、急かすように歩き出す。だがその声と態度が空元気なのは明らかだ。俺の方を振り返りもせず「置いていきますよ」と訴えるあたり、表情を取り繕うほどの余裕はないのだろう。

 何も聞かないでくれと、そう背中で訴えているように思える。

 ……いや、きっと実際にそう願っているのだろう。


 それが分かってしまうからこそ俺は何も言えず、ただ黙って彼女の後を追いかけた。

 事情が分からない。何があったのか分からない。

 だけど確かに宗佐は珊瑚を俺に託した。ならば俺がすべきことは彼女のそばにいる事。



 そう割り切って考えなければ混乱しそうだった。



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