第8話 『お母さん』の大学

 


 大学のパンフレットが二冊、それに進路に関するプリントをいくつか机に並べ、小松先生が珊瑚へと視線を向ける。


「芝浦さんはもう志望校決まってるのよね」

「えっ、珊瑚もう決まってるのか!?」


 宗佐が驚きの声をあげれば、それに対して珊瑚が得意げに胸を張った。

 更には「二年生になるんだもん、当然でしょ」とツンと澄まして言い切るのだが、これはなかなか俺も耳が痛い話である。……家に帰ったら兄貴に相談してみよう、と密かに心に誓う。

 ちなみに珊瑚の話を聞いた斎藤先生が俺の方を見ている気もするのだが、もちろんそちらを向く余裕は今の俺には無い。


 そんなやりとりを微笑ましく眺めていた小松先生が、大学のパンフレットを珊瑚達に見せるように机の上に広げた。


「芝浦さんはこっちの学校を希望しているのよね」

「はい、そこです」

「でも同じ学科ならこの学校でも勉強できるのよ。学校のレベルも同じくらいだし」


 どうかしら、と小松先生が片方のパンフレットを手に案内する。まだ一年生の彼女に選択肢を増やしてやりたいのだろう。

 聞けばどちらの大学も家からの距離は変わらず、学力も同等。そして小松先生が挙げた大学には推薦枠があるという。今から推薦を狙えば可能性があるとも言っているあたり、一年生から既に大学進学について考えている珊瑚を推そうと考えているのだろう。

 おばさんと宗佐もパンフレットを読み、こっちの方が校舎が綺麗だの何だのと話をしている


 進学先に求める条件は人それぞれだ。

 もちろんそこには希望学科や偏差値という前提条件があるのだが、たとえば家から通うのならば距離も考慮しなければならないし、金銭面ももちろん。

 人によっては教わりたい教授がいるからと大学を選ぶ者もいれば、そんな勉強熱心な生徒とは真逆に、勉強を放棄した者の中には進学こそすれども楽なところを……と不純な選び方をする者まで居る。

 むしろ早々に自分の進む道を決めて専門学校に進む者だっているのだ。


 だからこそ、同じ学科を学べるのであれば距離や入学方法、それに校舎や設備等も選ぶポイントになってくる。

 珊瑚はまだ一年生だ。大学受験まであと二年もあるのだから、選択肢は多い方が良い。そう小松先生が話せば、おばさんや宗佐までも頷く。――宗佐に限っては、珊瑚の進路より自分の進路を考えるべきだろう――


 だが珊瑚だけはどこか気まずそうに視線を泳がせていた。推薦について説明しはじめる小松先生に話しかけるも、むぐと口を噤んでしまう。

 何か言いたいことがあるが言えない。ここでは言えない・・・・・・・・。まさにそんな感じだ。

 ……なんて分かりにくくて、分かりやすい。


 そんな珊瑚を眺め、俺は出されたお茶をグイと飲み干した。


「おばさんすいません、お茶のおかわり貰っていいですか?」

「あら、いいわよ。先生達もいかがですか? 今お淹れしますね」


 パンフレットに視線を落としていたおばさんが顔を上げ、立ち上がると台所へと向かう。それを見届けた俺は手伝おうと立ち上がる珊瑚を制し、かわりに宗佐を呼んでおばさんの後を追うように告げた。

 二人が不思議そうに俺を見てくるが、俺はあえて宗佐にだけ聞こえるようにコソリと話しかけた。


「宗佐、今がチャンスだ」

「チャンス? 何のだ」

「お前の番になったら斎藤先生はこう言うぞ。『芝浦君は家で手伝いをしていますか?』ってな。お前勉強面やばいんだから、ちょっと良いところ見せておけよ」

「そうか! 今こそ俺の優秀ぶりを見せる時だ!」


 宗佐が立ち上がる。そうしてわざとらしく「母さん、手伝うよ!」と台所へ向かうのだからなんとも単純な男である。

 もっとも、小声で話しはしたものの今の会話はきっと先生達に聞こえていただろう。つまり今更ポイントを稼いだところで全くの無駄。白々しいことこのうえない。

 それでも気付かず手伝いに走るのだから、宗佐は相変わらず単純な男だ。――もっとも、宗佐は今になって慌てて手伝いアピールをしてはいるが、日頃家の手伝いをサボっているわけではない。むしろ良く働いている方で、俺もその光景を何度も目の当たりにしている――


 だが今問題視すべきは宗佐の日頃の生活でもなければ、当然その単純さでもない。


 なにせ俺がしたかったのは宗佐のフォローではなく、おばさんと宗佐をこの場から外させることなのだ。

 そして首尾良くそれは成功し、残されたのは俺達と珊瑚。

 二人が去っていった部屋でチラと珊瑚に視線を向ければ、目があった彼女は俺の意図を察したのか「あ…」と小さく声をあげた。


「あ、あの……、小松先生」

「うん? どうしたの、芝浦さん」

「進学のことなんですけど、私……どうしても、この学校がよくて……」


 しどろもどろになりながら珊瑚が手にしたのは、元々彼女が希望していた大学のパンフレットだ。表紙に飾られている写真を見た限りでは随分と歴史のある学校のようで、先程小松先生が挙げた学校と比べれば校舎もパンフレットの作りも些か古めかしさがある。

 パっと見でどちらが良いと聞かれれば、断然新しい校舎の学校だ。

 だがそんな二校に対し、珊瑚は古めかしいデザインのパンフレットを手に「ここが良い」とはっきりと告げた。


 それを聞いた小松先生が不思議そうに首を傾げる。

 何か理由があるのかと問いたげなその表情に、珊瑚が一度だけ台所へと視線を向けると、ゆっくりと、まるで何かを愛おしむように手元のパンフレットに視線を落として口を開いた。


「……お母さんが通ってた大学なんです」


 そう話す珊瑚の口調から、彼女が口にした『お母さん』が今台所にいる人物でないことは誰だって分かるだろう。

  ……今は亡き、産みの母親だ。


「私、お母さんのことあんまり覚えてなくて……。だからっていうわけじゃないんですけど、お母さんの通ってた大学に私も通いたいなって思って」


 胸の内を吐露するように。そして印刷された大学の風景写真に母の姿を思い描くように、珊瑚がパンフレットを手に話す。少しばかり切なげで、それでいて愛おしむような声色だ。

 胸中を察してか小松先生が優し気な声で「そうなのね」と答えて頷いた。今まで黙って聞くに徹していた斉藤先生も頷いている。


 言い終えた珊瑚が僅かに安堵し、ちらとこちらに視線を向けてきた。気遣われたことが恥ずかしいのか、どことなく照れくさそうに苦笑し、小さく頭を下げてくる。

 それを見ただけで、先程まで抱いていた「なんで俺がここに」という気持ちが一転して「同席して良かった」と変わるのだから、やはり俺も単純な男だ。


 そんな若干しんみりとした空気を破ったのは、淹れたてのお茶を持ってきた宗佐とおばさんである。

「おまたせしました」と淹れたてのお茶が各自に配られ、小松先生がそれに合わせてそっと二冊のパンフレットを重ねた。


「これからオープンキャンパスも増えますから、実際に足を運んで見てみるのも良いかもしれないですね」


 小松先生が他の資料やクラス便りを取り出して机に並べ出す。進学の話題はこれでお終いにするのだろう。

 そうして当たり障りのない伝達事項を伝えると、珊瑚の家庭訪問はあっさりと終了となった。これといって問題を起こすでもなく学校での生活も順調、そのうえ志望校が決まっているとなれば特に深く話すこともないのだろう。

 次があるのでと立ち上がる小松先生を、珊瑚とおばさんが玄関まで見送る。



 そうして二人が戻ってくれば、ようやくと言うかついにと言うか、宗佐の家庭訪問開始である。

 露骨に顔を背け退路を探す宗佐の往生際の悪さといったらない……のだが、俺としては何故か斎藤先生がニヤニヤと笑いながら俺を見ているのも気になって、なんとも言えない居心地の悪さであった。




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