第7話 家庭訪問追加要員
「どうして先生達と健吾先輩がいるんですか?」
不思議そうに首を傾げる珊瑚にその疑問は尤もだと頷いて返し、先程まで俺の家で家庭訪問があったことを伝える。そのまま
が、ここで宗佐が「そうだ!」と声を上げる。おまけに「俺に良い考えがある!」とまで言ってのけるのだ。宗佐の日頃の言動と今の状況を考えるに、この台詞が妙案に繋がるとは思えない。
だからこそ俺はさっさと帰ろうと先生に挨拶を済ませて踵を返したのだが、歩き出した瞬間にグイと腕を捕まれた。
見れば俺の腕を宗佐が掴んでいる……。いつの間に玄関から!? と驚いて足元を見れば、妙に可愛いピンクの靴に足を突っ込んでいた。明らかにサイズが合っていないので、きっと母親の靴だろう。
自分の靴を履く余裕すらないその必死さに、俺の中で嫌な予感が嵩を増す。
「な、なんだよ宗佐……」
「健吾、せっかくだからお前も参加していけ!」
「……はぁ?」
なんで俺が? と思わず間の抜けた声を出してしまう。だがこの状況と宗佐の発言なのだ、誰だってこうなるだろう。
どうして俺が余所様の家庭訪問に同席しなくちゃいけないのか。
馬鹿なことを言うな、と拒否してやろうと思った瞬間、よりにもよって宗佐のおばさんまでもが俺の腕を掴んできた。ちなみに、彼女は当然だが自分の靴を履いている。花の飾りが着いたつっかけサンダルが妙に母親らしい。
「敷島君、私からも是非お願いしたいの」
「お、おばさん? なんで……」
「宗佐は自分は普通の平均的生徒だって言うんだけど、私、どうしてもそうとは思えなくて……。平均的な男の子の代表として、是非一緒に話を聞いてほしいの」
真剣な彼女の瞳に、思わず小さく唸り声をあげてしまう。
何度かどころではない頻度で芝浦家にお邪魔しているわけで、おばさんとは顔見知りである。
優しくおっとりとした性格で、口が達者な宗佐に上手いこと言いくるめられているのを何度か見かけたこともある。根が優しく、息子相手と言えども強く出られないのだろう。
俺の母親とは真逆にあたるタイプで、こういう母親の元に生まれたかったと何度思ったことか。――他人の母親に対してこの考え、気持ち悪いと言ってくれるな。子供をあやすどころか軽々と放り投げる逞しい母親の姿を毎日のように目にしているのだ。穏和な宗佐の母に憧れるのも仕方あるまい――
だがいくらそんなおばさんの頼みとは言え、さすがに他人の家の家庭訪問に首を突っ込むのは……と考えていると、今度は小松先生が宗佐に変わって俺の腕を掴んできた。
流れるようなスムーズなポジション交代。予め打ち合わせでもしていたのかと聞きたくなるほどだ。
「小松先生……」
「敷島君、だったかしら? 芝浦君のお家に詳しいのよね……。芝浦さんのお母様もこう仰っているし、一緒に話を聞いて貰えないかしら」
コソコソと耳打ちしてくる小松先生の表情は真剣だ。誰が見てもわかるほどに切羽詰まっている。
込み入った芝浦家の家庭事情を前に、教師としてどう対応すべきか分からず迷っているのだろう。確かに宗佐達の事情は厄介で、とりわけ教師という微妙な立場の小松先生は言葉にも気を付けなければならないはずだ。
不用意に家庭の事情を聞けば生徒を傷つけてしまう。今の時代、たった一度の失言と言えども教職をおわれかねない。
だがそれを無視して話を進めることも出来ない。そもそも小松先生は芝浦邸の新旧の違いで既に出鼻を挫かれているのだ。芝浦家への話題に対する心細さは一入のはず。
それは分かる。
だが、どうして他人の家庭訪問に俺が同席しなくてはならないのか。
「先生、落ち着いて考えてください。どうして他人の俺が芝浦家の家庭訪問に同席しなきゃいけないんですか。……妹、お前もなんか言ってくれよ」
「お茶は淹れてあげますけど、お饅頭は健吾先輩の分はありませんよ!」
「食わねぇよ!」
どうしよう、誰も話が通じない……。――そのうえ珊瑚はちらと宗佐に視線を向けると、「でも内容によっては宗にぃのお饅頭を……」と呟いてる。きっと家庭訪問の内容次第で宗佐の饅頭を俺にと考えているのだろう。考えるべきは全くそこではないのだが――
これはまずいと唯一の頼みの綱である斎藤先生を見れば、満面の笑みで、
「当人達がこれだけ言ってるんだ、同席してやれよ。芝浦家に現実を突きつけてやれ」
と楽しそうに、それどころか煽るように笑って言い切った。
……そうだ、こういう先生だった。
どんなに身形を整えてそれらしい振る舞いをしても、やはり生徒の成績に面白みを見出そうとする先生だ。
そういうわけで、何故か俺を加えた家庭訪問が始まった。本当になぜだろう。
席に着くのは二人の先生と、宗佐と珊瑚。それに芝浦家母。……プラス俺。
聞けば祖母は老人会の集まりで出かけているらしく、将棋大会だから朝から張り切っていたと嬉しそうに珊瑚が説明していた。
そんな明らかに余計な一人を加えた状態でも家庭訪問は始まるらしく、小松先生が戦陣を切って口を開いた。
どうやら最初に珊瑚の話をするらしい。これこそ俺にとっては口を挟むことも出来ず、それどころか聞いて良いのかすら分からない話題だ。
「えーっと芝浦さんは、普段お家ではどうでしょう? 家の手伝いとかはされていますか?」
まずは当たり障りのない話を……と、そう考えたのか尋ねる小松先生に、珊瑚と母親が顔を見合わせた。
「お手伝いですか……。そういった時間帯はあまりこっちの家に居ないのでなんとも……」
あやふやな口調でおばさんが話し、次いで、ねぇ、珊瑚に同意を求めた。珊瑚も頷いて返す。
その仕草は誰が見ても仲の良い母と娘であるが、その内容はやはり芝浦家らしい内容である。
血の繋がっていない義理の娘と母。娘は普段は『旧芝浦家』に居て、母親のいる『新芝浦家』には居ない……と、言葉だけで聞けば仲違いしているようにも思えるだろう。
それを察した小松先生が小さく息を飲むのは、まさに「聞いてはいけない話題にふれてしまった!」と思ったからだろう。別にそこまで気にする話題でもないんだけど……。
「そ、そうなんですか……えぇっと、し、芝浦さんは……普段、あちらのお家にいるのね?」
「はい」
「それなら……、芝浦さんのお部屋は?」
「私の部屋もあっちです」
当然のように珊瑚が旧芝浦邸を指さした。
リビングの窓から見える旧芝浦家。
庭続きとは言え外装も年代も違う二軒の家は、事情を知らぬ者には隣り合うだけの他人の家に見えるだろう。庭にも隔てるように生垣が植えられており、一見程度では両家の繋がりは見いだせない。――生垣の中央に人が潜れそうな穴が空いているが、あれは何だろう?――
普段珊瑚はあちらの旧芝浦家に祖母と住んでおり、自室も向こうにあるという。
その話に、またも小松先生が息を呑んだ。
『再婚を機に新たに建てた家。だがそこに娘の部屋だけが無い……』となれば、なるほどこれもまた確かに込み入った事情がありそうだ。珊瑚は新しい家族に馴染めていないのではないか、母親から嫌われているのでは……、と、そんな心配すらしかねない。
だというのに芝浦家の面々は平然としており、そのうえ宗佐と珊瑚はお茶請けに手を伸ばし、おばさんは先生達の湯飲みにお茶を注ぎだすではないか。きっと自分達の環境が込み入っているとは露程も思っていないのだろう。
芝浦家が平穏な証。……とはいえ、これでは小松先生があんまりだ。
仕方ないなと溜息を吐き珊瑚へと声を掛けた。同席したのなら役割を果たさねば。
「なぁ妹、どうしてこっちの家に部屋を移さなかったんだ?」
「こっちの家に、ですか?」
俺の質問に、珊瑚が不思議そうに尋ね返してくる。
小松先生が小声で俺の名を呼ぶのは、きっと俺の問いかけが直球すぎるからだろう。事情が事情であれば珊瑚を傷つきかねない。
もっとも、当の珊瑚はと言えば、
「だって机と本棚とベッドを移動させるの面倒じゃないですか」
と、これである。
そのうえ、
「一応、私の部屋用に一室こっちにもあるんですよ。でもお母さんが通販で買ったダイエットマシンが置かれてます」
とあっさりと話し、バランスボールと、腹筋用器具と、あれとこれと……と部屋に置かれているのであろうダイエット器具を挙げだす。それを聞いていた宗佐が「トレーニングルームだな」と言い切った。
おばさんが慌てて珊瑚と宗佐を制止し、品良く笑いながら「通販番組を見てるとつい」と話す。
その話に対して俺は、そんなことだろうと思ったよと肩を竦めながら小松先生に視線を向けた。
彼女はどこか安心したかのように「そうだったのね」と乾いた笑いを浮かべている。
次いでそそくさと大学の資料を出すのは、もう下手な話題を振らずに本題に入ろうと考えたのだろう。賢明な判断だ。
ちなみに大学の資料を見た瞬間に宗佐が小さく呻いたのは、次に自分も同じ話題を振られるからである。
俺達の方が進学問題は目前なんだが……。
いや、俺もまだ志望校決まってないけど。
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