第4話 尊敬と同情

 


 手にしたテスト結果をじっと見つめ、それでも驚き足りないのか珊瑚が数度パチパチと瞬きをした。


「……これ、健吾先輩のですか?」

「他の奴のテスト結果なんて持って帰ってどうするんだよ」


 目を丸くしたままテスト用紙を見つめる珊瑚に、最初こそ誇っていたものの次第に恥ずかしくなってくる。

 だが彼女はそんな俺の反応に気付く様子無く、ようやくテスト用紙から顔を上げると感心したかのように一息付いた。


「凄いですね、学年一桁なんてはじめて見ました」


 珊瑚が純粋に俺を誉めてくる。日頃小生意気な態度を取る彼女にしては珍しい、裏も企みもない、尊敬を露わにした表情だ。素直な後輩といった様子が可愛い。――もっとも、今の俺にとっては日頃の小生意気な態度も可愛いと思えるのだが――

 なんにせよ、彼女に良い所を見せられ尚且つ尊敬されて、男として嬉しい。

 そのうえ珊瑚は「宗にぃも少しは見習ってよ」と宗佐をせっつくのだ。そこに恋心があるとは到底思えない辛口の追撃。言われる宗佐は随分と居心地悪そうだが、俺としてはテスト万歳である。


「見習うどころか、先生が俺と宗佐を足して二で割れば面白いって言ってたな」

「健吾先輩、何に負けたんですか?」

「説明するまでもなく罰ゲーム扱いか。それほどまでに宗佐の成績が悪いってことだ」


 先程の担任との会話を話せば、珊瑚が肩を竦めた。

 次いで「ところで」と話題を変え、それどころか窓の縁に手を掛けてぐいと身を寄せてきた。

 不意打ちで近付かれ俺の心臓が跳ねる。「な、なんだ?」と返す声は我ながら動揺を隠しきれていないのがバレバレだ。もしかしたら顔も赤くなっているかも。


 そんな俺の態度に、珊瑚は一瞬不思議そうに俺を見つめ……。


「……そ、そんな風に驚くのやめてください」


 弱々しい声で訴え、ゆっくりと俺から離れていった。

 露骨に顔を背けてしまうが、その頬が赤い。不貞腐れた表情は調子が狂うとでも言いたげだ。

 その態度に俺は何と言って良いのかわからず、上擦った声で「悪い」とだけ返した。


 文化祭以降も、珊瑚は以前と変わらぬ態度で接してくれている。定番の応酬もするし、相変わらず小生意気な後輩だ。

 舞台上での一件については決して口にはしないあたり、このまま無かった事にするつもりなのかもしれない。

 だがふとした瞬間に、それこそ先程のような俺の分かりやすい反応を見ると思い出してしまうようで、そういう時は頬を赤らめて文句を言ってくる。

 その反応が分かりやすく尚且つ可愛くて、俺まで顔が赤くなって……と、悪循環である。


 そんな俺達の異変に宗佐が気付いたようで、「どうした?」と珊瑚の顔を覗き込んだ。


「べ、別に、なにも。それより今は宗にぃのテスト結果だよ。三年生になったら大学受験のこともちゃんと考えないといけないんだからね!」


 己の動揺を隠すためか、珊瑚が普段よりもきつめに宗佐に詰め寄る。

 その有無を言わさぬ迫力に気圧されたのか、宗佐が乾いた笑いを浮かべた。そのうえそっぽを向いてしまうのだから、これ以上言及してくることはないだろう。

 どうやら俺達の動揺はうまく誤魔化せたようだ

 それに内心で安堵していると、やりとりを見守っていた月見が「敷島君はどんな試験勉強してるの?」と尋ねてきた。


「試験勉強ってほどたいしたことはしてないなぁ。試験前は教科書とかプリント見返すぐらいかな」

「塾は行ってなかったよね? 家でやってるの?」

「長くても一日一時間ぐらいだけどな。それも教科書かノート眺める程度だ」


 学校の試験なんて結局のところ予習と復習でどうにかなるものだ。

 テスト内容も授業や教科書をもとに出題されるわけで、日々積み重ねていけばテスト前に大騒ぎする必要もない。前日に教科書の内容を一夜漬けで覚えようとするくらいなら、その労力を細切れにして日課にした方が効率が良い。

 それを話せば、月見がうんうんと頷いた。どうやら彼女も俺と同じ考えのようだ。


 思い返せば、以前に月見が友達とテスト勉強について話しているのを聞いたことがある。

「苦手な分野を見返して、早く寝るようにしてるよ」

 と、そう言い放っていた彼女はまさに優等生そのものだ。委員長をはじめとする一部の生徒が同意だと頷いて返し、一部の生徒が悲鳴をあげていたのは記憶に新しい。


 そんな俺達の話を聞く宗佐と珊瑚の反応と言ったら無い。

 宗佐は分が悪いと考えているのか露骨に顔を背けて、珊瑚はそんな宗佐の腕を叩き続けながら俺と月見に尊敬の視線を送っている。

 そんな芝浦兄妹の分かりやすい反応に月見が苦笑を浮かべ、再び俺へと向き直った。


「でも家で毎日って根気がいるよね。敷島君は何か目標があるの?」

「目標?」

「うん。私は行きたい大学があるんだ。ちょっと難しいところで、出来れば成績を上げて推薦を取ろうと思って」


 曰く、月見が希望している大学は難易度が高く、だかこそ日々頑張っているらしい。

 高校二年生、それも終わりに差し掛かれば進路や将来のことを考える者も増えてきて、俺の周りでも志望校を目指して焦るように塾に行き始めた奴も少なくない。


 月見に問われ、目標か……と考えこむ。


 珊瑚が俺をじっと見つめてくるのは、俺の目標を聞いて「宗にぃも!」と宗佐のやる気にスライドさせようと考えているのだろう。結局彼女の考えはすべて宗佐に繋がると考えると少し悲しくもあるが、俺の話を興味深そうに待っている姿は可愛くも思える。

 そんな視線を受け、俺はしばらく考え込むとゆっくりと顔をあげた。


「目標というか、俺が勉強する理由は……」

「理由は?」


「子守したくないから……」


 シン、と周囲が静かになった。

 どうやら周りにいたクラスメイト達もこの話を聞いていたようで、突然ぱたりと周囲の会話がやんだ。見れば誰もが掛ける言葉もないと顔を背けてくる。


「うわぁ……」


 とは、そんな沈黙を破った珊瑚の声。

 ……声、というよりは、あんまりな展開に思わず声が出たと言ったところか。


「妹、頼むから本気で引くのはやめてくれ。あと同情の視線も。傷付くから、俺もさすがに傷付くから! というかあの家では勉強でもしてなきゃ家事育児から逃げられないんだよ!」


 自棄になったように訴えれば、珊瑚が露骨に同情の視線を向けてくる。

 いや、珊瑚どころではなく月見や周囲の生徒も、ましてやこの状況下で誰より同情されるべき宗佐までもが「大変だな……」と俺の肩を叩いてくるのだ。


 だが事実、大家族の敷島家では「今勉強してるから」だけが家事育児から逃げる唯一の手段なのだ。

 だからこそ、俺も弟も甥っ子達が風呂に入りそうな時間帯や、奴等が活性化してヒーローごっこに突入しそうな時間帯を狙って勉強している。

 水鉄砲で狙い撃ちにされるより、敵役にされてよく分らない技を喰らうより、泣き喚く赤ん坊を背負って途方もなく家の中を歩きまわるより、教科書を読んでプリントを見返す方が何倍もマシだ。


「そういう理由から家で勉強してる。目標は特にない!」

「堂々と断言しましたね……」

「もう好きに言え。それに結果に出てるから良いだろ。今回の英語のテストだって英単語がやたらと出たけど殆ど合ってたんだからな。あれはデパートの屋上ヒーローショーの最中、ガキのお守りから開放されて屋上の隅のベンチで延々と単語帳眺めてたおかげだ」

「屋上までは連れて行かれたんですね」

「親子席は回避できた」


 俺としては回避できた分類に入るのだが、向けられる視線に同情の色が強くなる。どうやら世間的には回避とは言えないらしい。

 これは一度自分の認識を改める必要があるかも……と、そんな大家族の内情に疑惑を抱いた矢先、教壇に立っていた先生が、


「明日から家庭訪問だから、対象のやつは親に言っておけよー」


 と、教室中に聞こえるように声を上げた。


 その処刑宣言にも似た言葉に、俺は思わず机に突っ伏してしまった。


「け、健吾先輩!? どうしました!」

「忘れてた、家庭訪問……」

「健吾先輩も家庭訪問なんですね」


 うちと一緒です、と暢気に笑う珊瑚に、俺は一瞬にして地獄に叩き落とされたような気分で彼女に視線をやった。


 蒼坂高校では各学年に一度家庭訪問がある。

 だが必ず全生徒が対象というわけではなく、三者面談に来られなかった家が対象とされている。親が来られないのなら教師が行こうというわけだ。

 珊瑚曰く、芝浦家は丁度三者面談の時期に祖母が体調を崩し、母親が家を出られなかったという。

 対して月見はさらっと「うちはお母さんが三者面談に来てくれたよ」と言っていた。


 その話を羨ましいと思いながら聞いていれば、珊瑚達が不思議そうに首を傾げた。 


「健吾先輩は成績も良いんだし、特に怒られることも無いから良いんじゃないですか?」

「そうだそうだ、俺なんか先生に何を暴露されるか分かったもんじゃないから、明日どうやって逃げるか今から作戦練ってるんだからな!」

「宗にぃ、明日はずっと家にいようね。一歩も家から出さないからね。ずーっと私が見張ってるから、何が有ろうと一瞬たりとも目を離さないからね」

「可愛い妹が突然病んだ!」


 そんな馬鹿馬鹿しいやりとりを月見がクスクスと笑う。

「家庭訪問も楽しそうだね」と、微笑む様子から漂うこの余裕……。



 対して俺は余裕なんてあるわけがなく、明日の家庭訪問をどう乗り切るかを考えながら盛大に溜息を吐いた。



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