第2話 いつかくるかもしれない『次』

 


 席替えの時を思い出しつつ、再び宗佐へと視線を向けた。

 相変わらず外を眺めつつ、恨みがましそうにぶつぶつと呟いている。


「なんでテストが返ってくるんだ。テスト受けたらそれで終わりで良いじゃないか……!」

「良いわけあるか」

「それならせめて各教科の授業で返してくれれば……。いや、それだと徐々に絶望することになるな」


 各教科毎に返却されてダメージを蓄積するか、まとめて返却されて一思いに一撃で仕留められるか。

 どちらが良いか、と宗佐が悩みだす。真剣な表情だ。

 ここで頭を使うくらいならテスト勉強時に使えばいいのに……。


 だが宗佐がいかに悩もうと、テスト返却の仕組みは変わらない。


 蒼坂高校で行われるテストでは、全教科がまとめて返却される。それも結果一覧と担任からの有り難い一言付きで。

 全教科がいっぺんに戻されることによる精神的負担は大きいわけだが、各授業でいちいち配るよりも手早く済む。更に言えば赤点やそれからくる補習授業等の伝達も一度で済むのだから、教師達にとっては効率的なのだろう。

 こうやって担任を挟んでホームルームで返却と伝達を行えれば、「そんなこと聞いてません」等という誤魔化しも通用しない。


 そういうわけで、俺のクラスでも今まさに先日行われたテストの返却が行われている。

 期末テストとも違うこのテストは、きっと最終学年への進学を前に気を引き締めろと言うことなのだろう。現実を見てやばい奴は本腰入れろ、というわけだ。

 名前を呼ばれた生徒が順に教壇へと向かい、結果を渡され……その後はまさに一喜一憂。ガッツポーズを取る者や悲鳴をあげる者と様々。

 ちなみに配布は名前順。俺は敷島なので呼ばれるのは早い。なのでそろそろかと立ち上がった瞬間……、


「それじゃ次、敷島と芝浦ー」


 と、聞こえてきた声に目を細めた。

 こうやって教師が生徒をひとまとめにするのはどうかと思う。

 各生徒の個性とか自主性とか、そういう青少年の複雑な成長に影響するような気がするし、なにより宗佐とセット扱いは腹立たしい。いや、個性とか自主性とか抜きにしてただ単純に腹立たしい。

 だというのに担任はチラと俺たちに視線を向けると、さも当然のように、


「敷島、芝浦つれてきてくれ」


 と声をかけて寄越すのだ。


 見れば宗佐はこの期に及んで寝たふりをしている。

 誤魔化そうと必死な宗佐を引きずってでも連れてこいと言いたいのだろう、もう何度目か数えるのも嫌になるこのやりとりに、俺は溜息を吐きながらゆっくりと手を上げた。

 言わずもがな、狸寝入りをしている宗佐を現実世界に戻してやるのだ。詳しく言うのならば一撃喰らわすためである。酷いと言うなかれ、そもそも定期テスト返却の度に無駄な抵抗を見せる宗佐が悪いのだ。


 それでも拳を握らず手刀を選ぶのは俺の優しさ……ではなく、さすがにテスト返却の為に頭を殴打するのは気が引けるからである。

 仮に宗佐の頭部に一撃お見舞いし、こいつのバカさ加減が一段と増したら目も当てられない。

 宗佐はどうでも良いが、珊瑚に合わせる顔がない。


 だからこそ俺は拳は握らず、それでも開いた己の手に力を込め……

 ドス!

 と、良い音を立てて宗佐の背中に自分の手を落下させた。

 迷いのない一撃。その瞬間にあがった宗佐の「ぐえ」という呻き声。我ながら見事である。


「……健吾、俺になんの恨みが」

「恨みなら色々とあるな。一つずつ語っていこうか?」

「いいや、半日はかかりそうだから止めておく」


 呻きながらも宗佐が不満そうに俺を睨み、それでも観念したのか渋々と言った様子で立ち上がった。

 そんな俺達のやりとりを月見や委員長達が笑っている。相変わらずとでも言いたげなその表情には宗佐への想いが込められていて、そしてどこか楽しそうだ。

 そりゃあ見ているだけなら楽しいだろうと思わず溜息が漏れてしまう。


「ほら宗佐、行くぞ」


 溜息混じりに宗佐の首根っこを掴んで、引きずるように教壇へと連れて行く。

 そうして担任の前へと向かえば、「ご苦労さん」と労いの言葉を掛けられた。この担任もどこか楽しそうなのだから呆れてしまう。


 だがそんな文句を言えるわけもなく、俺はさっさと用事を済まそうと担任が差し出すテスト用紙と一枚の紙を受け取った。

 総合得点や学年順位が印刷された結果表である。

 それを受け取る俺に対して、担任は大袈裟に肩を竦めた。


「敷島は面白味がないな」


 残念そうなその表情に思わず俺の眉間に皺が寄る。


「生徒のテスト結果に面白味を見いだすのは教師としてどうなんですか」

「まぁそう言うなって。芝浦と足して二で割れば面白くなるかもしれないぞ」

「俺にメリットが見あたりません」


 きっぱりと言い切り、宗佐を置いてさっさと席に戻る。

 担任相手に態度が悪いと言ってくれるな。「面白みがない」なんて言われれば誰だって不満を抱くし、なにより今すぐに席に戻らねばならない理由がある。

 さっさと席に戻らないと……、 


「こ、これはどういうことだ……!?」


 と、膝から崩れ落ちる宗佐を引きずって帰らされるからだ。



 何度も言うが、宗佐は馬鹿だ。

 日頃の言動ももちろんだが勉強面も同様。テスト結果が返ってくる度に膝から崩れ落ちている。

 おかげで教師もクラスメイトも見飽きたと誰も反応せず、宗佐の次に呼ばれた生徒に至っては慣れた様子で跨いで通った。回を追うごとに宗佐を跨ぐ動きが軽やかになっていく。

 そうして宗佐は覚束ない足取りで席につくなり「次は頑張る」と宣言するのだ。

 この宣言までを含めてテスト返却時の様式美と化している。


 俺はいったい何度、宗佐の「次こそ見てろ」を聞いたことか……。

 卒業までに一度くらいは見せてほしいものである。


「で、また毎度恒例の『次のテストで頑張る宣言』か?」

「……宣言したいところだけど、今回は心が折れそう」

「そんなに酷かったのかよ……」


 机に突っ伏す宗佐の反応に興味を持ち、その手からテスト結果の用紙を抜き取る。あの宗佐がここまで落ち込んでいるのだ、今回のテストは過去最低の結果だったのだろう。

 宗佐も半ば諦めているのか「笑うが良いさ!」と妙な開き直りを見せている。

 どうやらそれ程だったらしく、益々興味を抱いた俺は宗佐のテスト結果に目を通し……。


「うわぁ」


 と、声を漏らしてしまった。


 これはなかなかヤバい。

 といってもさすがに最下位だの底辺ではないのだが、かといって楽観視できるものでもない。


 これにはさすがに俺も茶化す気が起きず、言葉も無いと宗佐に視線を向けた。

 開き直りか自棄か、宗佐が遠くを眺めながら「笑いたきゃ笑えよ」と言い切った。妙に哀愁を感じさせるのは気のせいではないだろう。


「宗佐、ちょっとは勉強しとけよ……」


 蒼坂高校は県内屈指とまではいかないが、それでも偏差値は高めの学校である。つまり学力のレベルは平均して高い。

 だがそれに胡坐をかいて下層を彷徨っていては進路が危うくなる。

 そう俺が諭すように話せば、机に突っ伏していた宗佐がゆっくりと顔を上げた。


「聞いてくれよ健吾。俺だって今回は勉強しようとしたんだ。……したんだが、ペンを握った後の記憶がない」


 乾いた笑いを浮かべる宗佐に、俺も言葉を失う。

『記憶がない』とは、はたして眠ってしまったのか。宗佐の場合テスト勉強への拒否反応で気を失った可能性もある。


「次のテストこそ珊瑚に監視を頼むべきか……」

「妹に?」


 宗佐の口から出た珊瑚の名前につい反応してしまう。

 ひとまず冷静を取り繕いながらどういう事かと聞き出せば、宗佐が机に突っ伏したまま話し出した。


「高校受験の時も珊瑚が監視してくれたんだ。でも可愛い妹ながらに厳しくってさ……。サボってないか定期的に見に来てくれるんだけど、足音忍ばせて突然部屋に入ってくるんだよ。ゲームなんてしてようものなら即没収だ」

「相変わらずシビアな妹だな。でもお前にはそれぐらい厳しい方が良いんじゃないか?」

「足音が聞こえたと思ったら猫が部屋に入ってきてさ、また聞こえてきたからもう一匹か……と思ったら珊瑚が飛び込んできた。まさか猫を囮にするなんて……。あと勉強中はカーテン開けろって言うから従ってたら、自室から双眼鏡で見張ってた事もあったな」

「さすが妹、あの手この手で監視してくるな……」


 珊瑚は一人の少女として宗佐を恋い慕っている。だが妹としては徹底的に監視をしていたようだ。

 その切り替えは珊瑚らしくもあり、きっと彼女に話せば『可愛いだけじゃないのが妹です』とでも誇らしげに胸を張るだろう。もしくは盛大な溜息と共に肩を落とし『宗にぃがあの手この手でサボるからです』と疲労たっぷりに愚痴るか。

 思わず珊瑚の反応を想像して小さく笑みを零せば、ふいに横から「芝浦君、どうしたの?」と声を掛けられた。


 見れば、月見つきみが不思議そうに首を傾げながら宗佐を見ている。相変わらず可愛らしい顔付き、首を傾げる仕草がまた可愛さに拍車を掛ける。

 テスト返却の帰りなのだろう。手に数枚のテスト用紙と結果表を持っている。自分の席に戻る途中、机に突っ伏す宗佐を案じて声をかけた……と、そんなところだろう。

 突っ伏していた宗佐が月見の声を聞くや跳ね上がるように顔を上げるあたり、こいつの月見センサーは相当なものだ。

 その活力をもうちょっと勉強方面に活かせないものか……と考えたが、活かせないのが宗佐である。


「月見さん、結果どうだった?」

「今回はいつもより頑張ったから、ちょっとだけ良かったかな」


 テスト結果が良かったようで、月見が嬉しそうにはにかむ。

 もっとも、嬉しいのはテスト結果なのか宗佐と話が出来るからなのかは定かではないが。少しばかり頬を染めているのを見るに、後者の可能性は高い。

 ちなみに、こういった手合いの会話であれば「芝浦君はどうだった?」と聞き返すのが普通だが、月見は宗佐のテスト結果については触れずに話を続けた。その優しさ、咄嗟の気遣い、さすがは月見である。

 ……宗佐の馬鹿さ加減を直視して目を覚ましたらどうかとも思うのだが。


 そんなまさに二人の世界と言った空気に割って入る気にもならず、俺はボンヤリと外を眺め……、ふと、遠目に見覚えのある人物を見つけた。


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