第四章 二年生冬
第1話 席替え交渉
日々なんだかんだと騒がしく過ごしてはいるが、決して忘れてはいけないことが一つ。
学生の本分は学業である。
とりわけ三学期に入った今、最終学年への進学を目前に身を引き締めて学業に取り掛かるべきである。
だがそれを話してやった時の
おまけに周囲にいるクラスメイトと身を寄せ合って「
「まだ寝ぼけてるのか、まったくしょうがない奴だなぁ」
これである。
対して俺は溜息を吐き……はせず、余裕の表情でこれみよがしに肩を竦めてやった。
好き勝手に言えばいい。
なにせ宗佐が馬鹿を言えるのもあと僅かだ。
当人も己のタイムリミットを察してか、爽やかな微笑みもどことなくぎこちない。
「お前も危機が迫ってるって分かってるんだろ。なにせあと少しでテストの結果が返ってくるんだからな」
「テストノ結果、ナンテ、ソンナモノ知ラナイヨ」
「お前なぁ、いい加減に現実を見ろよ」
露骨に視線を逸らして何もないグラウンドを眺める宗佐に、俺は往生際が悪いと呆れながらも教壇へと視線を向けた。
ちなみに、三学期も俺と宗佐は前後で並んで座っている。おまけに横を見れば外の景色、つまり窓辺の席だ。
思い返せば一学期からずっと窓辺の席である。前後どちらかに宗佐というおまけ付きで。
といっても流石にここまで偶然が重なるわけはなく、もちろん不正行為もしていない。現に、三学期初めに行われた席替えでは、俺は宗佐と離れた別の席だった。確か中央の後列あたりで……と薄っすらと記憶に残る席番号を思い出して視線をやれば、そこではクラスメイトが話している。――話してはいるが時折頭を抱えているあたりテスト結果を嘆いているのだろう。ご愁傷様――
宗佐はどこだったか。すっかり席番号は忘れてしまったが、俺とは離れた席だったのは覚えている。
なにせそれを見て俺は……、
「やった! ようやく宗佐から離れられる!!」
と、両手をあげて喜んだのだ。
俺にしては珍しく大きめのリアクションを取ってしまったのだが、それほど待ち望んだ結果だったのだ。
対して宗佐は俺の喜びように文句を言いつつ、それでも席番号を書かれたくじを手に「ついに離れたなぁ」と話していた。
というわけで、本来ならば俺と宗佐は今頃別々の席に座っているはずだった。
だがいざ席を移動しようとなった時、委員長と数名のクラスメイトが俺と宗佐を呼び止めた。
「芝浦君と敷島君、席はどこ? また一緒?」
「さすがにこんなに連続はしないだろ。俺も宗佐も別々の場所だ。ようやく俺は宗佐の世話役から解放されたんだ……!」
「そう……。ねぇ、席の交換しない?」
委員長の突然の提案に、俺も宗佐も思わず目を丸くさせてしまう。
といっても席の交換自体は珍しいものではない。視力が悪いから前の方に行きたいだの、授業に専念しやすい席にいきたいだの、その逆もしかり。男女違わず均等に仲の良いクラスではあるが個々の交友関係もあり、誰と隣が良い近くの席に行きたいといった交換交渉はあちこちで多発している。――とりわけ月見の近くの席を狙う男達の交渉は白熱している――
だがさすがに規律があり、男女の列は崩さないようにするのがルールだ。つまり、席交換は同性のみ。
それを話せば、委員長がふるふると首を横に振った。つまり彼女との交換ではないらしい。
代わりに視線を向けるのは、彼女の隣に立つ二人のクラスメイト。どうやら彼等と交換らしいが……。
「なんで交換? お前ら、俺と宗佐がどこの席かもまだ知らないだろ?」
「俺達、前後で窓辺の席なんだよ。だから芝浦と敷島に譲ろうと思って。委員長と話してたんだ」
ね、と男二人が委員長に同意を求める。彼等の頬が僅かに赤くなっているが、ひとまずそれは気にするまい。
今はなぜ窓辺の席に宗佐と……という事だ。それを疑問に思えば、委員長が「あのね」と話し出した。
「
「妹?」
「そうなの。珊瑚ちゃんには文化祭で色々とお世話になったから、そのお礼ってことで窓辺の席を当てた人達に交換して貰おうと思ってたの」
ねぇ、と今度は委員長が男二人に同意を求める。それに対して頷いて返す彼等は随分と嬉しそうだ。
惚れた女子生徒からの頼み事。それも普段はきびきびと働きなんでも自分でこなす委員長からの頼み事となれば、彼女を慕う者からしてみれば光栄の至りなのだろう。
下心か……と俺が視線を向ければ、言わんとしている事を察したのか一人が慌てた様子で「文化祭で世話になっただろ」と話し出した。
「俺、あの劇で台本作ったんだよ。こいつは監督役。本気で劇を成功させようとしててさ。芝浦の妹には王子の管理役やってもらっただろ」
「しかも当日にあれだもんな。芝浦の妹が居なかったらどうなってたか……。だから席ぐらいなら譲ってやろうと思って」
どうやら二人とも『委員長に頼まれたから』という下心だけではないようだ。
だが確かに、文化祭で行われた劇において珊瑚の功績はかなりのものである。というか彼女が居なければ劇は主演行方不明で山場を前に幕を下ろしていた。文化祭が大成功の良い思い出となったのは、彼女が台本を覚えるほど宗佐の練習に付き合い、そして当日に代理役を買ってくれたからだ。
それに感謝の気持ちを抱くのは当然。とりわけ脚本と監督を担っていた二人は舞台への意気込みも一入だったろう。
その話に、俺はどうしたものかと宗佐と顔を見合わせた。
対して宗佐はと言えば真剣な表情でこの提案を聞き……、
「さすが俺の可愛い珊瑚……。皆、俺の妹のためにありがとう!!」
と、歓喜に震えだした。
きっと珊瑚がクラスメイトに受け入れられ、それどころか感謝されている事が嬉しいのだろう。兄として良い妹を持ったと誇りだす始末。相変わらず妹溺愛で、もちろん席の交換は喜んで受け入れている。
そんな宗佐を横目に、俺は次いで委員長に視線を向けた。「俺も?」と視線で問えば彼女が頷いて返してくる。
「芝浦君って、休憩時間に席にいない事が多いでしょ?」
「よく呼び出されてるもんな」
「本当はそこを改善してくれるのが一番なんだけど……。それで、芝浦君が居ないと珊瑚ちゃんは敷島君に声掛けるじゃない。多分、敷島君が居ないと来にくいと思うの」
ちらと横目で宗佐を見れば、ついには席を交換してくれるクラスメイトと握手までしているではないか。
だが委員長の言う通り、宗佐は度々席を外す。やれ教師に呼び出された、教科書を忘れたから隣のクラスに借りてくる、出し忘れた提出物を職員室に届けにいってくる……と、殆ど怠惰な生活が原因とはいえ理由は様々。そしてそのタイミングで珊瑚が窓辺に現れることも多々ある。
『健吾先輩、宗にぃどこですか?』
と、覚えのある声を思い出す。何度聞いたことか。
窓の縁に手を掛けぐいと身を乗り出し、きょろきょろと教室内を見回すのだ。時には「宗にぃ?」と呟く時もある。
それに対して呼び出しだの出し忘れた提出物だのを説明してやれば、珊瑚は決まって兄の不出来さを嘆き、一言叱ってやろうと窓辺で待機する。そうして宗佐を待つ間、俺と他愛もない雑談をし……。
なるほど、確かに俺が窓辺に居ないと、珊瑚は宗佐が戻ってくるのを待つことも出来なくなる。
いくら文化祭の功績を経てクラスメイト達に顔が知れ渡っているとはいえ、彼女からしてみればここは一学年上の先輩の教室だ。それも窓辺の席は男子の列となっており、兄を待つには居心地の悪さを感じるだろう。
宗佐を探して、居ないと知るや「また後で来ます」と一礼して去っていく姿が脳裏に浮かぶ。もしかしたら遠目で宗佐の不在を確認して近寄ってこない可能性もある。
「なるほど、それで俺もか」
「そういうこと。芝浦君は交換してくれるみたいだけど、敷島君はどうする?」
先程宗佐の世話役からの解放を喜んだからか、委員長がどうするかと尋ねてくる。
そう、俺は宗佐の世話役からの解放を喜んだばかりなのだ。
一学期、二学期と……むしろ一年生の頃から宗佐絡みの騒動に巻き込まれていたが、席が離れれば多少は落ち着くだろう。
少なくとも、宗佐へと向けられる嫉妬の視線を間近で感じる事も無ければ、嫉妬心を暴走させた男達に攫われる宗佐を目の当たりにする回数も減るはず。授業中の居眠りを起こす係からも解放だ。
俺が望んだ平穏な学校生活の第一歩……。
なのだが、
「俺も交換する」
と、つい答えてしまうのは――我ながら即答だった気がする――、ひとえに『宗佐の世話役からの解放』よりも『珊瑚の近くに居たい』という気持ちが勝ったからだ。
それに、委員長やクラスメイト達から珊瑚と仲が良いと思われているのは嬉しい。
たとえ『宗佐が居ない』という条件が付いたとしても、俺が居ないと珊瑚が窓辺に来れないという話に思わず顔がにやけそうになる。
だがさすがににやけるわけにはいかず、冷静を取り繕いながら俺も席番号が書かれた紙を交換した。
「引き続きよろしくなー」と暢気に言って寄越す宗佐に、ここまで来たら最後まで面倒を見るかと覚悟しつつ……。
もっとも、その直後に珊瑚が窓辺に現れるのだから、この交換はやはり俺にとって有難いことこの上ない。
そういうわけで、三学期も継続して、俺と宗佐は並んで窓辺に座っている。
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