第34話 代理王子とメイドのワルツ


 

「い、いもう……いって!」


 思わず声をあげてしまった俺を制するため、珊瑚が思いっきり俺の足を踏ん付けてきた。


 それはそれは優雅な所作で、さながらダンスのステップのように。

 それでいて遠慮なく。


 これは痛い……が、その痛みで幸いなことに若干だが冷静さを取り戻せた。といっても声を上げない程度の冷静さで、いまだ心臓は早鐘を打ち頭の中は混乱状態なのだが。

 それでも疑問符が乱れ飛ぶ脳内で何とか台本を呼び起こし、音楽に合わせてゆっくりと足を動かした。

 小声で珊瑚を呼べば、彼女が俺を見つめてくる。その近さにさらに心臓が跳ねあがるが、それでもなんとか声を潜めて話しかけた。


「な、なんでここに居るんだ……?」

「おまけのお姫様と見せかけて、その正体は可憐に働くメイド。……からの真のお姫様への成り上がり! これぞシンデレラストーリー!」

「頼む、今は言葉遊びに付き合ってる余裕はない。手短かつシンプルに説明してくれ」

「健吾先輩と同じですよ。月見先輩が間に合わないから、私が代役です」


 あっさりと珊瑚が説明する。

 聞けば委員長が現れた時点でこうなる事を予測しており、頼まれるとすぐに了承し、抵抗しながら脱がされる俺を横目にさっさと着替えにいったという。


「私が何年宗にぃの妹をやってると思ってるんですか。踏んできた場数が違いますよ」

「あんまり誇って言う事でもないけどな」

 

 肩を竦めて返せば、珊瑚がごもっともと苦笑を浮かべた。

 次いで音楽に合わせてクルリと回る。それに合わせて手を引けば、優雅な動きで俺の腕の中に戻ってきた。


 降り注ぐスポットライトの中で、彼女が纏うドレスが翻る。それに合わせて髪もふわりと揺れ、飾られたティアラが光を受けて輝く。

 華麗なその姿は代役とは思えない、まさにシンデレラだ。

 愛らしさと気品を感じさせる月見のシンデレラとはまた違った、あどけなさと可愛さのシンデレラ……。


 思わず見惚れていると、足が疎かになっていたのか再び珊瑚に足を踏まれた。

 このシンデレラ、見た目に反して容赦ない。メイドからのし上がっただけある。


「妹、頼むから足を踏むな」

「健吾先輩が悪いんですよ。代理王子と言えどもしっかりと務めないと」

「そ、そうだな……」


 再びクルリと回ったかと思えば俺の腕の中に収まり、珊瑚がクスクスと笑う。

 その表情は随分と楽しそうで、代役を押し付けられたという感じはしない。


 俺と踊るのは嫌じゃないのだろうか。

 かなり近いし体が触れているし、なにより腰に手を添えてるんだが。


 ……腰に。


 そこまで考え、再び俺の心臓が跳ねあがった。

 そうだ、俺の片手は珊瑚の手を握り、そして反対の手は彼女の腰に添えられている。ダンスのためとはいえ抱きしめているようなものだ。


「うわ、わ……」

「どうしました? 足踏んどきましょうか?」

「い、いや、別に……。その、なんでもないんだ。足は踏むな」


 大丈夫だと冷静を装い誤魔化すものの、それでも珊瑚の腰に回した手に意識を向けてしまう。


 細くて柔らかく、力を入れたら折れてしまいそう。それでも抱きしめたくなってしまう。

 意識するなと思えば思うほど考えてしまい、それがまた珊瑚の柔らかさを伝え、心臓が跳ねあがり手に余計な力が入り……と、なんとも無様な悪循環だ。

 更には、夏バテした彼女を抱き抱えた時のことまで思い出してしまう。あの時の感覚、その後に見た水着姿……。

 その体に、腰に、触れている。


 ……まずい。

 これで意識するなというのは無理な話。


 そんな俺の心境など微塵も察していないのだろう、珊瑚は相変わらず楽しそうに踊っている。

 だがふと何かに気付いたように首を傾げた。腰元をチラと見るのは、俺の手に力が入っていることに気付いたのか。


「どうしました、健吾先輩?」

「な、な、なにが、だ?」

「妙に腰を支える手に力が……。まさか!」


 何かに気付いたのか、珊瑚が訝しげに俺をじっと見上げてくる。

 その疑惑の視線に耐え切れず俺が顔を背ければ、それを肯定と取ったのか珊瑚が顔を俯かせた。

 そうして互いに顔を背けあい、それでも台本通りに踊り続ける。観客席から見れば優雅に映っているように見えるだろうが、俺の内心はもう劇どころではない。


 そんな気まずい沈黙を破ったのは、ふぅ…と小さく漏れ出た珊瑚の溜息だった。


「そりゃあ、ウエストはきつかったですよ……」

「……は?」

「月見先輩のスタイルに合わせて作られたドレスですからね。ウエストはきついし、そのくせ胸元はスカスカだし……」

「おい、妹……?」

「調整して貰った時にどれだけ辛かったことか……。弛めて詰めて、あれ以上の屈辱はありません」


 先程までの楽しげな表情はどこへやら。珊瑚の声色は低く口調は随分と恨みがましそうだ。

 それに対して俺はと言えば、いったい何のことだと首を傾げた。


 ウエストがなんだって?

 弛めて詰めて……? 


 確かに月見はスタイルが良い。柔らかな体つきと豊かな胸元をしているが、括れるべき場所はしっかりと括れている。さながらグラビアアイドルのようなスタイルだ。

 そんな月見のサイズで作られたドレスとなれば、平均的な身体つきの珊瑚にとっては苦しいことこの上ないだろう。……あと弛い。どこの部分がとは言わないが。

 どうやら珊瑚は、俺がその事実に気付き、腰に添えた手に力を入れていたと思ったようだ。


 つまり「よく入ったな」という意味である。


 問われる前に自白したその表情は不服そうで、じっとりと睨んでくる目つきが「これで満足ですか」と無言で責めてくる。シンデレラとは程遠い表情だ。

 だがそんな珊瑚に対し、俺は一瞬目を丸くしたのち……思わず小さく笑ってしまった。

 俺の気持ちにも動揺にも気付かず、それどころかてんで場違いなことを言ってくる珊瑚が妙に可愛くて、普段通りの彼女らしさに安堵してしまう。


「せっかくの舞台でなに言ってるんだよ」

「笑わないでくださいよ。健吾先輩だって、随分と大変だったみたいじゃないですか」


 チラと珊瑚が俺の足元に視線を向ける。

 継ぎ足した裾のことを言いたいのだろう。スポットライトのおかげで観客席は誤魔化せているかもしれないが、さすがに目の前にいる珊瑚には応急処置は丸見えである。

 だが彼女が指摘したくなるのも仕方ない。同じ色なら気付かれないだろうと適当な布を継ぎ足した足元に至っては、縫い付ける時間もなくて安全ピンで止めているのだ。

 もとより素人作の衣装。咄嗟にサイズ変更など出来るわけがなく、応急処置の粗さは目も当てられない。


「俺と宗佐の身長差だからな、こうなって当然だろ。俺だって苦しくて堪らないんだ」

「踊ってる最中に破けて、王子様が半裸なんてやめてくださいね」

「十二時の鐘と共にボタンでも弾けさせるか」


 冗談で返してやれば、珊瑚が楽しそうに笑う。

 まるで面白い悪戯を思い浮かんだ子供のようなその表情は、まったくもってシンデレラらしくなく、俺達の会話にも舞踏会らしいロマンの欠片も無い。

 見惚れている観客席も、まさか王子とシンデレラがこんな馬鹿話をしているとは思いもしないだろう……。

 そんなことを考えれば妙に楽しく思え、先程まで動きにくいとさえ感じていた身体の強張りや緊張が解けていった。腰にあてた手も、今は軽く添える程度におさまっている。


 楽しいと、心からそう思える。

 こうやって珊瑚と舞台上で躍り、それでもいつもの俺達らしくあることが面白くて、そしてそれがなにより嬉しい。


 無理矢理舞台に出された代役で、衣装はきつくて苦しくて、ライトは熱いし観客からの視線を感じるが、それでも今は『楽しい』という感覚が何よりも勝る。


 楽しくて、楽しいことが嬉しい。


 そんな俺の気持ちが分かったのか、それとも珊瑚も同じように考えていたのか、音楽に合わせてゆっくりと体を揺らしていた珊瑚が嬉しそうに俺を見上げた。


「苦しいけど、楽しいですね」

「そうだな。これで俺達サイズの衣装だったら言うことなかったのに」

「まったくですよ」


 観客に聞こえないように、王子とシンデレラらしくない会話を弾ませる。

 そうして音楽が盛り上がりをみせると、舞台の中央で珊瑚が足を止めた。

 舞踏会の終わり。それを残念に思っていると、珊瑚が顔を上げ俺を見据え、ゆっくりと目を閉じた。


 僅かに赤くなった頬。睫毛が目元に影を落とす。

 先程まで冗談めいた話をしていた唇も今は閉じられ、なにかを待つようなその表情は……。


「……い、妹!? なにを考えて……いてっ!」


 慌てて小声で問えば、観客席とは反対側の手に痛みが走った。見れば珊瑚の手が俺の手の甲を抓っている。

 優雅な動きで足を踏み、今もまた観客に見えないように手を抓る。……相変わらず容赦のないシンデレラではないか。これなら継母達にいじめられることもなかっただろう。


 だがおかげで俺も我に返り、台本を思い出すことができた。

 そうだ、舞踏会の最後のシーンだ。

 感動的な音楽の最中、王子とシンデレラが互いに見つめ合いキスをしようとし……、


 次の瞬間、舞台が暗転し、暗闇の中で十二時を知らせる鐘が鳴り響く。


 男の俺にとっては肩透かしな展開ではあるが女子には最高のシチュエーションらしく、台本を見た月見がうっとりとしていたのを覚えている。――その背後では宗佐が他の男子生徒達に担ぎ攫われていたのだが――

 とにかく、台本を作った文芸部曰く重要なシーンとのことで、それを思い出した俺はゆっくりと珊瑚の腰を引き寄せた。


 たとえば、このまま抱き締めたらどうなるだろうか。


 珊瑚は宗佐のことが好きで、それは兄妹仲ではない男女の恋愛感情、ブラコンではなく『芝浦珊瑚』として『芝浦宗佐』が好きなのだ。

 そんな彼女からしてみれば、俺はその恋愛感情を知る理解者でしかなく、あくまで『兄の友人』である。字面から見れば知人止まり、クラスメイトより遠い。

 だけど実際には、俺と珊瑚の仲は遠いとは思えない。現に宗佐絡みの問題が起こると俺に話をするし、今だって楽しく過ごせている。

『兄の友人』なんていう赤の他人同然よりは近付いているはずだ。


 だからこそ、仮に俺がその一線を越えようとしたら?

『兄の友人』から距離を詰めて、それどころか『友人』すらも飛び越えて近付こうとしたら、宗佐を慕う珊瑚はどう思うだろうか……。


 そんなことを考え、いっそこのまま本当にキスでもしてやろうかと自棄になりつつ、俺もゆっくりと目を細めた。

 もちろん実行するわけがないし、直前で止めれるように完全には目を瞑らずにいる。暴走しがちな年頃とはいえ常識は弁えているし、なによりそんな不意打ちは趣味ではない。

 だがそんな邪な考えが浮かんでしまうほど、俺と珊瑚の距離は言い表しにくくて、それでいて彼女の気持ちを理解しているからこそ絶望的なのだ。


 あぁ、俺も珊瑚が演じている『ブラコンの妹』に騙されていたら、もう少し希望が持てたんだけどなぁ……。

 そんな情けないこと考えながら、それでもゆっくりと顔を寄せ、舞台の暗転と鐘の音を待つ。

 間近に迫りすぎて珊瑚の顔がうまく見えない。それ程までに近付いているのかと考えれば緊張し、呼吸を止めてしまい息苦しさを感じてしまう。


 あと少し。

 あとちょっと。


 ところで、衣装がきついんだが。

 

 おい照明と音響係、いい加減にしてくれないと限界がくるぞ。

 ……衣装と、あと俺の理性の。


 

 そんな焦らされるような気持ちで待っていると、ふいに周囲が暗くなった。どうやら焦らしに焦らした委員長がゴーサインを出したらしい。

 それと同時に鐘の音が響き……。

 バリッ

 と、軽快な音が俺の背中から聞こえ、



 俺の体が僅かに前に傾いた。



 ……。

 …………。



 暗くなった体育館の中、鐘の音が響く。

 再び照明が舞台上を照らすと、観客席からこのもどかしいシチュエーションへの賛辞代わりの吐息が聞こえてきた。更にそれを後押しすりるように鐘の音が続く。

 だが俺はそれどころではなく、むしろ外野の声も音も何一つ耳に入らず、ただ呆然と目の前にいる珊瑚だけを見ていた。

 目を丸くさせて俺を見つめ返す、その顔が徐々に赤くなっていき……耳まで真っ赤になると同時に、珊瑚は踵を返して舞台袖へと走り去っていった。



 鐘の音を聞いたシンデレラの台詞とか、

 引き留めようとする王子との会話とか、



 それどころかガラスの靴を残していくことすら忘れて。



 そんな珊瑚の背中を呆然と見送った俺はと言えば、逃げるように舞台袖へと消えた彼女のフォローを入れることもできず、ただ幕が下りるのを横目に立ち尽くしていた。


 何があったのか分からない。

 王子の台詞があったはずなのに、何一つ思い出せない。

 観客席から幕を越えて聞こえてくる拍手とか、運ばれてくる大道具とか、嬉しそうに駆け寄ってくる委員長とか、反応しなきゃいけないと分かっているのに体が動かない。


 ただあの暗闇の中、鐘の音が鳴ると同時に俺の体が傾いて、


 そして唇に触れた柔らかな感触だけが今もまだ残っていて……。



「……え?」



 呆然と立ち尽くしたまま呟いた俺の声に、当然だが返してくれる人はいなかった。


   

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