第33話 代理王子、再び
着替え用のスペースから出てきた俺を迎えたのは、委員長の嬉しそうな声だった。
「敷島君、似合ってるじゃない!」
もっとも、言われた俺からしてみれば純粋な賛辞とは思えず、皮肉混じりに「そりゃどうも」と返すのが精一杯だ。むしろまともに返事をしただけでも誉めてほしいくらいである。
委員長が「格好良い」だの「さまになってる」だのと褒めだすのは、彼女なりに罪悪感を感じているからだろうか。随分と必死である。
その必死さを目の当たりにすれば、自然と不満は消え失せ、言おうとした文句を飲み込んでしまう。
そもそも今回の件は委員長のせいではない。彼女は舞台を成功させようと努めているだけだ。むしろ彼女が居なければ今頃は舞台どころでは無かったかもしれない。
委員長を責めるのは間違いだ。
そう考え、俺は様子を窺うように見上げてくる委員長に肩を竦めて返した。もう機嫌は直ったと仕草で示せば、察したのだろうほっと安堵の息を吐く。
次いで改めて「格好良い」と褒めながら俺の腕を軽く叩いてきた。
「素敵よ、敷島君。入らないかもって心配だったけど意外とピッタリじゃない」
「本当に宗佐の衣装が俺にピッタリだと思うか? 見えてないところは全開だぞ」
「ま、まぁ、入っただけ良しとしましょう」
俺の惨事に、委員長が引きつった笑みを浮かべた。
だが事実、今の俺は衣装を着てはいるものの『一応着てはいる』と言える状況だ。ギリギリも良いところ。
宗佐と俺は身長も体格も違い、となれば宗佐のために作られた衣装は当然だが俺にはキツすぎる。
動き難いし、立っているだけでも窮屈で苦しい。あちこちの布が引っ張られて破けそうだ。ブーツもサイズが小さく、無理やり足を突っ込んだおかげで指先が痛い。
裾も袖も応急処置として布を継ぎ足しているが、明るいとこで見るとお粗末にも程がある。
「でも、衣装に着替えてくれたってことは任せて良いのよね?」
最終確認をしてくる委員長に、俺は諦め半分と言いたげな顔で頷いて返した。
正直に言えば今すぐにだって断りたい。
なんだったらこの衣装のまま走って逃げても良いくらいだ。
それでも応じるのは、俺だってクラスの一員として劇を成功させたいからだ。
今日まで皆で頑張ってせっかく客も入って順調に進んでいるのに、山場を前に閉幕……、なんて泣くに泣けない。
それなら、ほんの一瞬恥を忍んで舞台に立つくらいならやってやろう。
そう答えた俺に委員長が苦笑を浮かべた。
「敷島君ってば、本当に苦労性ね」
「自覚してるよ……。そういえば、月見に宗佐がどこにいるか聞いといてくれたか? 時間掛かりそうなら誰か回収に行っておいてくれ」
「あ、そのことなんだけど……」
「ん?」
「敷島、出番だ!」
言い掛けた委員長の言葉に俺を呼ぶ声が被さる。
どうやら王子の登場シーンになったようで、見れば舞台袖で進捗を見守っていたクラスメイト達が俺を手招きしている。
となれば、覚悟を決めて行くしかあるまい。
「悪い委員長、もう行かなきゃ」
「あ、あの敷島君」
「こっちはなんとかするから、宗佐のことよろしくな」
頼んだ、と委員長に一言告げて舞台袖へと向かう。
進行係に進捗を聞けば、王子とシンデレラが二人きりで踊るまさに山場のシーン。
それをぶっつけ本番でと考えれば緊張してくるが、ここまで来たならやりきるしかない。
託すように背を叩いてくるクラスメイト達に後押しされ、舞台へと進み出た。
「……うわ」
一瞬にして湧き上がる緊張感に思わず声が漏れる。
スポットライトを浴びた瞬間に心臓が跳ね上がり、緊張なのかライトのせいなのか額に汗が伝う。
ちらと横目に観客席を見れば暗がりの中にうっすらと人の顔が見える。客入りは上々どころではなく満員御礼。その視線が全て自分に向かっているのかと考えると手足が痺れそうな程だ。
それでも幸いなのは『緊張で頭が真っ白』なんて状況に陥らなかったことか。手足が震えて緊張で喉が乾くが、それでも台詞はちゃんと頭の中に残ってくれていた。
「お、落ち着け。大丈夫だ……」
小さく自分に言い聞かせ、台本を思い出して舞台上を歩く。
自然と俯いてしまうのは、目の前にいるであろう月見に視線を向けられないからだ。
ただでさえ観客の視線を浴びているというこの状況で、さらに着飾った彼女を見てしまえば緊張がピークに達してそれこそ真っ白になりかねない。練習相手を勤めたとは言え、制服とドレスとでは破壊力が違うのだ。
だからこそ俺は極力月見を見ないようにと視線を外して彼女に歩み寄り、足下にバツ印が見えると同時に足を止めた。予め設定されていた立ち位置からすると、目の前にドレス姿の月見が居るはず。
美しく着飾ったシンデレラを、王子がダンスに誘う。
まさに夢物語らしいそのシーンに、観客席から女性達の見惚れるような声が聞こえてきた。
溜息にも似たその声に、俺の緊張がさらに増していく。
――ところで、一部から「王子がデカくなってないか?」という声が微かに聞こえてくるのだが……まぁ、俺と宗佐の体格差から考えれば仕方ない。照明係の手腕に賭けるしかない――
「な、なんて美しいお嬢さんだ……。私と踊ってくれませんか」
悲鳴をあげて逃げ出したいほど恥ずかしい台詞を何とか言い切り、目の前のシンデレラへと手を差し伸べる。どうやら月見も緊張しているらしく、普段の彼女とは違う上擦った声で「よろこんで」と返してきた。
それと同時に、差し出した俺の手に柔らかな感触が伝う。
見れば白い手袋に包まれた手が俺の手に重ねられている。握りしめたら折れてしまいそうなほど細く、緊張のせいか練習の時より暖かい。
そうして手を引きながらシンデレラとの距離を詰め、体が触れそうなほど近付いてその腰に手をまわす。ゆっくりと触れればドレスの布越しに柔らかさが分かり、少し力を入れると指先がムニと彼女の柔らかさをダイレクトに伝えてきた。
……まずい、これは非常にまずい。
だが幸いなことに月見も緊張しているのか顔を伏せており、俺の視界には彼女のウィッグとティアラしか見えない。これで顔が見えたら不味かったかもしれないが、月見が俺を見上げなければ大丈夫だ。
「い、いくぞ……。カウント取るからな」
小声で話しかけ、カウントを取りながらゆっくりと足を動かしはじめる。
早鐘状態の心臓でも、一度動いてしまえばあとは慣れでなんとかなるはずだ。
俺がリードするように動けば、月見もそれに続く。いくら代役とはいえ何度も練習したのだから大丈夫だろう……。
そう考えれば若干の余裕が生まれ、それと同時に月見への申し訳なささえ浮かんでくる。
月見は宗佐と踊るのを楽しみにしていた。
運動音痴ながらにダンスを覚え、今もヒールをものともせずに動いているのだ。その努力は計り知れない。
どれだけ必死に練習したのか、どれだけこの日のこの場面を夢見たことか。
なのに、よりにもよって本番で月見の手を取り踊るのは、宗佐ではなく俺。
王子ではない、たんなる代理王子。
可哀想に、高校生活で一番の思い出になったかもしれないのに……。
「月見、悪かったな……。相手が俺で……」
月見の気持ちを考えれば考えるほど申し訳なさが募り、周囲に聞かれないよう小声でそっと彼女に話しかけた。
相変わらず顔を上げることなく俺の視界にはウィッグとティアラしか映らないが、それでも聞こえたのか「え?」と小さな声が返ってくる。
「いや、ほら……。楽しみにしてただろ、宗佐と踊るの。それなのに……」
それなのに、相手が俺になってしまった。
そう話そうとした俺の視界に、体育館の扉が映り込んだ。
観客席と立ち見のさらに奥。舞台上で立っていてようやく見えるその出入り口は、劇の真っ最中なためきっちりと閉められて……はおらず、僅かに開かれている。
そこからこっちを見ているのは……俺の良く知る二人の男女。
申し訳なさそうな表情で両手を合わせて謝罪のアピールをしている……宗佐と月見。
宗佐と、
「……つき、み?」
予想外の光景に、思わず間の抜けた声が出てしまった。
だが仕方ないだろう。月見は今ここで俺と踊っているはずなのに、扉からこちらを覗いているのもまた月見なのだ。
どういうことだ、月見は双子か……?
いやいや、そんなことあるわけがない。冷静に考えろ、俺。
混乱状態の頭を何とか落ち着かせ、音楽に合わせて足を動かしつつもう一度出入り口に視線を向ける。
間違いない。宗佐と一緒に居るのは月見だ。遠目でも俺と視線が合ったのが分かったのだろう、申し訳なさそうに両手を合わせて一度頭を下げると、ゆっくりと扉を閉めてしまった。
あれは月見だ。間違いようが無い。
となると、今俺と一緒に居るのは月見ではなく……。
俺と同じように台詞とダンスを覚えた、
俺と同じように代役を務められる人物……。
まさか……。
落ち着き始めていた心臓が、再び激しく早鐘を打ち出す。小さい服を無理に着た苦しさに、更に心臓が跳ねる苦しさまで加わってしまう。
そんな俺の異変に気付いたのか、腕の中に居る
「健吾先輩こそ、月見先輩じゃなくて残念でしたね」
悪戯っぽく珊瑚が笑った。
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