第35話 舞台を降りて
「敷島君! 凄い良かったわよ!」
嬉しそうな委員長が興奮冷め切らぬと言った様子で俺の腕を引っ張ってくる。
彼女らしくないそのテンションの高さに、対して俺は未だ呆然としながら大人しく腕を取られ、早々と片付けられていく大道具達を見送っていた。
「さっきの空気と言い、去り際のタイミングと言い、台本以上よ!」
「台本……。そうだ、俺かなり台詞飛ばしたけど……」
「大丈夫よ、あれぐらいなら他で補足できるから。むしろ台詞が無い方が雰囲気出てたわ!」
「そ、そうか……」
それなら良かった、と心ここにあらずな声色で返し、委員長に引っ張られながら舞台裏へとはける。
相変わらず舞台裏は慌ただしく、先程まで舞台上で組まれていた大道具が邪魔にならないよう隅に立てかけられ、使い終わった小道具が通路の隅に積みあげられている。
クラスメイト達のテンションも最高潮に達しており、片付けをしていた数人が俺の姿を見るや駆け寄り、嬉しそうに労い肩を叩いてきた。
「格好良かったよ、王子様」なんて、普段は話もしないような女子にまで労われるのは文化祭特有の空気だからだろうか。
だが今の俺はそれらをぼんやりと眺めるだけで、碌に働かない頭をそれでもなんとか駆使して先程の一件を振り返っていた。
あの瞬間。
真っ暗になった舞台で、俺の服が破けて、俺の体が揺らいで……、
それで……!!
「い、委員長! あいつはどこに居る!」
一瞬にして記憶が鮮明になり、俺は慌てて委員長の腕を掴んだ。
突然のことに彼女が驚いたような表情を浮かべるが、今は説明をしている余裕はない。というか余裕があっても説明出来るわけがないのだが……。
とにかく、慌てて珊瑚の姿を探す俺に委員長は不思議そうな表情を浮かべつつも「珊瑚ちゃんなら、準備室で着替えてるはずだけど」と答えてくれた。
それを聞くや、俺は大急ぎで珊瑚の元へと向かおうとし……
「いやー、代役悪いな健吾!」
という、聞き慣れ過ぎた声に足を止めた。
言わずもがな宗佐である。その隣には申し訳なさそうな表情で周囲に謝っている月見。
宗佐が乾いた笑いを浮かべながらも身構えているのは、俺が激怒していると考えてのことだろう。
確かに、普段の俺ならば王子の代役を押し付けられれば怒りを抱き、宗佐を見るなり数発殴っていただろう。
「あ、あの、敷島君、ごめんね! 本当に、ごめんね……!」
殴り合いが始まると思ったのか、月見が俺と宗佐の交互に視線をやった。
その瞳は若干潤んでおり、目元が少し赤くなっている。もしや泣いたのだろうか。見れば宗佐の口元には傷があり、唇の端が切れて血がにじんでいる。
既にどこかで殴られてきたのか。
いったい何があったのかと疑問に思えども、今の俺の状況ではまともに頭は働かない。
更に一歩近付けば、宗佐が殴られる覚悟を決めたと目を細めた。
そりゃあ俺だって宗佐を殴りたい気持ちはある。
結局こいつの咄嗟の行動のせいで劇は頓挫の危機に陥り、代役として俺が駆り出されたのだ。むしろ俺と珊瑚が居たから危機を乗り切れたが、そうでなければ劇は途中で幕を閉じざるを得なかった。
クラス全員の今までの努力が台無しになるところだったのだ。
それを踏まえて普段の俺と宗佐の関係を考えたなら、ここで一発殴っていてもおかしくない。現に委員長が「まだ出番があるから顔は駄目よ!」と制止の声をかけてくる。
だけど、今の俺には怒りよりも勝る感情があるわけで……。
「宗佐……」
「……おう」
「お前が無事に見つかって良かったよ! まったく、心配かけるなよな!」
と、乾いた笑いで宗佐の肩を叩いた。
もちろん、宗佐のシスコンぶりを知っているからだ。当然あの瞬間の事は言うわけないのだがーーむしろ口が裂けても言えるわけがないーー、それでも申し訳無さが怒りに勝る。
宗佐は恋愛感情こそ無いが兄妹として珊瑚を大事に思っている。過保護とさえ言えるほど。
それを知って俺は……、事故とはいえ…………。
「無事に帰って来てくれてよかった!」
胸の内の罪悪感を押し隠すため、白々しく宗佐達を労う。
……どうも胡散臭いらしくて宗佐が更に身構えているのが気になるのだが、事情を話せるわけもないのでこのまま誤魔化すほかない。
「だ、大丈夫か健吾……。代役を押し付けられて壊れたか?」
「俺が壊れる? そんなまさか!」
馬鹿なことを言うなよ、と爽やかに笑いながら宗佐の肩を叩くも、それが逆効果になっているのか更に宗佐が警戒する。若干青ざめているのは気のせいだろうか。
喧嘩を止める覚悟で居た月見に至ってはきょとんと目を丸くさせ頭上に疑問符を飛ばしているし、委員長までもが心配そうに「敷島君、どうしたの?」と俺の顔を覗きだした。
数名の男子生徒が残念そうに持ち場に戻るのは、日頃の宗佐への嫉妬から俺が殴るのを期待していたのだろうか。果てには「敷島が壊れた」とあちこちで伝達が出始める。
ところでクラスメイト達よ、そんなに爽やかに笑い宗佐を労う俺はおかしいのか?
……うん、おかしいな。俺自身そう思う。
「そうか……。よく分からないけど、健吾が怒ってないならそれで良いか……」
「怒る? そんなわけないだろ。ほら早く準備しろよ宗佐。俺も着替えてくるから、お前もさっさと王子様に戻れ。後は頼んだぞ」
「わ、分かった……」
若干引いてすらいるような表情で、宗佐がコクコクと頷く。
その頷きの速さを見るに、今の俺はかなり胡散臭く白々しいようだ。感付かれる前にさっさと話を終いにしようと判断し、宗佐の背中を押して着替え用スペースへと押し込む。
そんな俺達のやりとりを見て思い出したのか、委員長が男子生徒の制服を手にして俺の背を叩いた。
「敷島君、これ
「預かってた、ねぇ……。奪い取った、の方が正しい気がするけど」
「あら、もう少しその姿で居たいのかしら。それならまだ預かっててあげるわ」
「冗談です。着替えてきます。……そういえば、俺この衣装破いちまったんだけど」
どうなってる?と身体を捻って背後を確認すれば、視界の隅にシャツが破けているのが見えた。
委員長もそれを見て「無理に着たからね」と笑っている。どうやら多少の破損は覚悟していたらしく、「ズボンじゃなくて良かったじゃない」とまで言ってくるほどだ。
確かに委員長の言う通り、ズボンじゃなくて良かった。
それも破けたのは暗くなった瞬間で、幸い照明が点いた後も舞台からは見えない部分である。これで舞台上でズボンが破けて観客に……なんてことになっていたら、今日を最後に二度と学校には来なかっただろう。
といっても、それ以上の大変なことを引き起こしてしまったのだが。
それを考えれば先程の一件が思い出され、次第に顔が熱くなっていく。
駄目だ、鮮明に思い出してはいけない。落ち着け……落ち着け……。
「敷島君、どうしたの? 顔が真っ赤よ」
「しょ、照明が熱かったから……」
「照明って、今更?」
怪訝そうな委員長の視線を、はたはたと己を手で扇いで誤魔化す。もちろん照明云々は嘘である。
むしろ時間が経てば経つほど先ほどの感触が思い出され、余計に顔が……どころではなく全身が熱くなってくる。
となればここは問い質される前に逃げるべきだと委員長から制服を受け取り、着替え終わった宗佐と入れ代わるように着替えスペースへと逃げ込んだ。
制服に着替え終え準備室へと向かう最中、改めて一人になって考えてみる。
先程の一件は間違いなく事実なわけで、考えるまでもなく明らかに俺に非がある。となればここは言い訳も誤魔化しもせず謝るのが正解だ。
だけど……。
泣いていたらどうしよう。
嫌われたらどうしよう。
そんな嫌なパターンばかり浮かび上がって消えてくれない。
あのまま宗佐達に構わず珊瑚の元へと向かっていれば、勢いのままに謝れたのに……。時間の経過が冷静さを取り戻す反面、様々な考えが浮かんで決意を揺るがす。
意気地なしと言ってくれるな、ようやく己の気持ちに自覚した矢先にこれなのだ。
「俺のほうが泣きそうだよ……」
盛大な溜息を吐き、その場にしゃがみ込んで頭を抱える。
あんな事をしでかして嫌われたに決まっている。ただでさえ友人とも言えない微妙な距離なのに、更に遠ざかってしまう。
今までのような気楽なやりとりさえも二度と出来ないかもしれない……。
「でも謝らないわけにはいかないよな……」
せめて怒っていてほしい。
いつもの拗ねた態度と冷たい視線、それに生意気な口調で対応してくれたらどれだけ良いか。それならば俺は何度だって謝って頭を下げて、彼女の気が済むまでご機嫌取りに徹しよう。
だがそれすらも許されないかもしれない。
泣かれて、果てには無視され、避けられる可能性だってあるのだ。
それだけのことをしてしまった。ちゃんと自覚しているつもりだ。
だからこそ覚悟を決め、俺はゆっくりと立ち上がると幾分遅い足取りで再び準備室を目指した。
ごめん、と素直に謝るのが一番か。
わざとじゃなかったことだけは分かってほしい。
でも言い訳はしたくないし、下手なことを言って更に傷付けるのだけは避けなくては。
そんなことを考えながら歩いてるからか、それともまだ覚悟を決めきっていないからか、俺の歩く速度は随分と遅く、どうやら幕が上がったようで拍手が聞こえてくる。
宗佐達は上手く舞台を続けられただろうか。
台本を無視してしまったことが気掛かりだが、宗佐は土壇場に強いし月見は頭が回る、それに西園がカバーしてくれるからきっと大丈夫だろう。
そうボンヤリと考えながら、今すぐにでも逃げ出しかねない足をなんとか引きずる。
往生際が悪いぞ、敷島健吾。
ここは潔く謝ろう。泣かれようが嫌われようが、受け入れるほかない。
自覚した矢先に失恋と考えると泣けてくるが、俺より珊瑚の方が泣きたいはず。
「覚悟を決めろ。ひたすら謝るんだ……、とにかく謝罪を……っ!」
「きゃっ!」
あまりに考えごとをしていたためか、前から走ってくる生徒の姿に気付かず、勢い良く正面衝突してしまった。
見事なまでの前方不注意である。
しまったと悔やむも、次の瞬間、ぶつかった人物を見て目を見開いた。
「い、妹……」
「健吾先輩……」
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