第30話 消えたガラスの靴
「盗まれたってどういうことだ!? なんで、誰が!?」
「そんなの私も分からないわよ! ただ数人の男の子達が荷物漁ってて、靴の入った箱を盗んで走って出て行ったって……。それで……」
「それで?」
靴が盗まれ、さらに何かあるのだろうか……。
そう視線で問えば、余程の事態なのか委員長が眉根を寄せた。この事態に困惑と憤りを感じているのか表情は硬く、不安そうに胸元を掴んだ手に力が入っているのが分かる。
順調に進んでいた舞台を台無しにされたのだから当然だ。それに彼女の働きと真面目な性格から考えれば、その憤りは俺の比ではないだろう。
「それで……。犯人を見たって、月見さんと芝浦君が追いかけていっちゃったの……」
「そうか、二人が追いかけてるのか。……待て、月見と宗佐!?」
つい先程まで宗佐は舞台に立っていたはずなのに、と慌てて舞台に視線を向ければ、いつの間にやら場面が変わっていた。
今はシンデレラの継母達が王子をものにしようと画策している場面だ。もちろんだがそこにシンデレラである月見の姿はなく、もちろんだが宗佐の姿もない。
きっと俺が桐生先輩と話している間に宗佐は舞台から捌けたのだろう。
そして舞台から捌けたタイミングで、ガラスの靴を盗んだ奴等と出くわし、そして居合わせた月見と共に追いかけた。
なるほどそういう事か、と流れを察する。いや、今は落ち着いている場合ではないのだが。
「なんでよりにもよって二人が……。でもガラスの靴って練習用があるんだろ?」
「練習用の靴は残ってる。でも、なんだか二人ともあの靴に思い入れがあるみたいで」
「あの靴に……。そうか、月見のお母さんの靴か」
以前に月見が、舞台で使用するガラスの靴は母親が使っていたものだと話していた。
彼女の母親もまた大学時代にシンデレラ役を演じ、そして当時の王子役は月見の父親。当時既に恋人同士の関係にあったのかまでは知らないが、その先に結婚し今に至る。
そして今、二人の娘である月見がシンデレラとしてガラスの靴を履く。それも王子役は想い人である宗佐……。
その話をする月見は嬉しそうで、「運命ってやつか」なんて言って茶化したのも覚えている。
思い入れは一入。
それを抜きにしても、あの靴は素人目に見ても分かる程に美しくまさにガラスの靴だった。対して練習用の靴はそれはそれで綺麗なのだが、やはり本物とは比べられない。
だからこそ盗んだ犯人を追いかけるのは理解できる。俺だって、どこに居るのか分かれば今すぐに走っていきたいくらいだ。
だがどれだけ重要なアイテムといえども、結局は小道具でしかない。練習用という予備があるならば尚更、主演二人が舞台を放り出して探しに行っては末転倒とさえ言える。
「あいつら、何考えてるんだ……」
「分からないわ、でも二人とも慌てて走って行っちゃって……。一応、出番の前には戻ってくるって言ってたけど……」
委員長も宗佐と月見の真意が分からないらしく、困惑した表情を浮かべつつ時計を見上げた。
劇の進行状況は至って順調の一言につきる。となると今からしばらくシンデレラの義姉と継母の場面が続き、その後は西園演じる付き人が出てくるはずだ。
それが終わると一度緞帳を下ろして背景や大道具を入れ替え、場面は山場である舞踏会へと切り替わる。
軽やかな音楽と色鮮やかなライトアップ、それに合わせて数名が舞台上で踊り舞踏会らしさを演出した後、王子である宗佐の出番だ。
次いでドレスに着替えた月見が現れ、二人が舞台上で踊る……。
不幸中の幸いというやつか、しばらくは宗佐達の出番は回ってこない。かといって立ち話を続けている余裕も無いのだが。
「……委員長、残り時間はどれくらいだ」
「ギリギリまで王子の出番を遅らせて十分。西園さんが場を持たせてくれて追加で五分ってところかしら。芝浦君達もそれは分かってるはずだけど」
「あの二人のことだ、何もなけりゃ時間までに戻ってくるだろ。……でもなんか引っかかるな。ちょっと探してくる!」
宗佐は馬鹿で間抜けだが責任感のある男だ。咄嗟に追いかけたとはいえ、劇を蔑ろにして追い続けるようなことはしない。引き際はきちんと考えるはず。
月見も言わずもがな。二人は残り時間を把握し、間に合うと踏んだから探しに行ったのだろう。
二人は絶対に戻ってくる。
……何もなければ、だが。
どうにも胸騒ぎがおさまらない。二人のことを信じているのならここで委員長と大人しく待ち、ギリギリに駆け込んできた二人がすぐに舞台に上がれるよう準備しておいてやるべきだ。
それが分かっていても落ち着かない。
だからこそ、俺は居ても経っても居られず、呼び止めようとする委員長の声を振り切って走り出し、裏口の扉を勢いよく押し開け……
「きゃっ!!」
と、あがった悲鳴に目を丸くした。
「……え?」
聞こえてきた声に思わず足を止めてしまう。ところがどうだろう、悲鳴は聞こえたが目の前には誰もいない。
いや、正確に言えばチラホラと人の姿はあるのだが、あまりに遠すぎる。俺が扉を開けたところで彼等には何の関係もないだろう。むしろこちらに気付きもせず誰もが通り過ぎていく。
だが確かに悲鳴が聞こえてきた。
それも直ぐ近くで。タイミングから考えれば、俺が扉を開けたことが原因なのは間違いない。
それでも不思議なことに、見回したところで俺の視界には該当しそうな人は居ないのだ。
あくまで俺の視界には……。
たとえば、勢いよく押し開けたこの扉の裏側、なんてところは例外だが……。
「……やっちまったか」
恐る恐る、ゆっくりと扉を戻す。ギギ……と響くこの不快音が、なんとも俺の心境を表しているようではないか。体育館裏口の扉は室内からだと押し開くようになっている。勿論だが中からでは外の光景は分からず、扉の前に誰が居ても察することは出来ない。
それを勢いよく開けた己の迂闊さを呪いつつ、ゆっくりと扉を引き戻し、巻き込んだ人物が無事であることを祈りながら裏側を覗き込んだ。
「悪い、急いでて……。妹!?」
「健吾先輩の、いやご主人様の、妹じゃ……ふぐぅ」
「おい大丈夫か! 悪い!まさかこんなところにいるなんて思わなかったんだ!」
「いくらご主人様と言えどこの仕打ち……許すまじ……レスリング部送りにしてくれようか……」
ぶつぶつと恨み言を言いつつ、涙目の珊瑚が睨みつけてくる。
メイド服のポケットに手を入れるのは、件のスイッチを押そうとしているのだろうか。離れていてもスイッチもスイッチが反応するとは、侮れない防衛システムである。
「悪い妹、本当にすまなかった。でも今レスリング部送りは勘弁してくれ。今は宗佐と月見を追いかけなきゃならないんだ」
「……宗にぃと月見先輩?」
身内の名前を聞き、珊瑚が怪訝そうな表情を浮かべた。
次いで体育館内を覗き込み、その慌ただしさに首を傾げる。
「詳しく話してる暇は無いから手短に説明するぞ。ガラスの靴が盗まれて宗佐と月見が追ってる、以上」
今はひとまず宗佐と月見を追いかけなければ。そう考えて走り出そうとするも、グイと服を引っ張られた。
見れば、珊瑚が俺を止めようとシャツを掴んでいる。額がうっすらと赤くなってるのは扉にぶつけてしまったからだろうか。
「さっき、宗にぃ達を見ました!」
「本当か!? いつ、どこで、どっちに行った!?」
「ついさっきです。渡り廊下を通ろうとしたら、数人の男子生徒が走って行ったんです。私、それでぶつかっちゃって、その後に宗にぃっぽい人が走っていくのも見えました」
曰く、珊瑚は数人の男子生徒とぶつかりよろけてしまったという。
いったい何事かと顔を上げれば、その後を追うように走る宗佐らしき後ろ姿……。
だが本来ならば宗佐は舞台にいるはず。更に集団は体育館とは真逆の方向に走っていくのだから、珊瑚も見間違いかと考え気にせずにいたらしい。
そう説明し……次いで、珊瑚が顔を背けた。
どうやら言い難い事があるらしく、続けようにも言葉が見つからないのか「それで」だの「その」だのと言い淀んで先に進みそうにない。
それと同時にエプロンのポケットから携帯電話を取り出すのはどういうことだろうか。ヴーと携帯電話らしいバイブ音を上げているあたり、今現在どこかから着信がかかっているようだ。
「それで、私は走ってく人達を見送ったんです。……でも」
「でも?」
「一緒に居た実稲ちゃんが『実稲の珊瑚ちゃんを傷つけるなんて万死に値するわ!』って追いかけて……」
珊瑚からしてみれば余程言い難いことなのだろう、彼女の横顔には疲労の色さえ感じられる。
まぁ、今もこの学校のどこかで自分の友人が『実稲の珊瑚ちゃんを!』と喚きながら走り回っているのだと考えれば、死んだ魚の目になるのも仕方ない。俺だったら空き教室に引き籠っていただろう。
ちなみに、しきりに着信を訴える珊瑚の携帯電話の画面には、『東雲実稲』の名前が表示されている。それをチラと一瞥した珊瑚が今日一番深いと思われる溜息を吐き、そっと画面に触れた。
通話が開始されると同時にスピーカーモードに切り替えるのは、俺にも会話を聞けと言うことだろうか。
もしくは、携帯電話を耳元に持っていく気力もないのか……。
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