第31話 メイドの底知れぬ持久力


 珊瑚の手に乗せられた携帯電話から、文化祭らしい賑やかな声が聞こえてくる。

 さすがに校外までは出てないようだが、かといってどこに居るかは判断できない。


「……もしもし、実稲ちゃん?」


 恐る恐る珊瑚が声を掛ける。

 それに対して電話口からだいぶ大きめの『珊瑚ちゃん!』という声が聞こえてきた。音割れしそうなほどの声量、携帯電話を耳に当てていなくて良かった。


『珊瑚ちゃん! 今どこ!? 今どこにいるの!?』

「それは私の方が聞きたいよ……。実稲ちゃんはどこにいるの? さっきの男の子達は?」

『まだ追いかけてる! 安心して! 実稲、持久力には自信があるから! 捕まえて「生まれてこなければよかった」って言わせてあげるから!』

「そんなの誰も望んでないから。あのね、実稲ちゃんが追いかけてる人なんだけど……」


 そこまで言いかけ、携帯電話に視線を落としていた珊瑚が俺を見上げてきた。

 困惑の表情。どう説明をしようか迷っているのが分かる。

 俺からの話を聞いたとはいえいまだ事態を理解しきれずにいるのだろう。そもそも俺だって慌てて宗佐達を追おうと出てきただけで、なぜ靴が盗まれたのかやどういった流れだったのかは把握しきれていないのだ。

 かといって他に探す当てが無いのも事実で、せめて俺が説明して状況を聞き出そうと珊瑚に頷いて返した。


「東雲、聞こえるか? 今どこに居るか教えてほしいんだが」

『ひぃ! 男の声!? 珊瑚ちゃんの携帯から男の声が! 誰よ名乗りなさい、それ以上珊瑚ちゃんに近付くなら電話越しとはいえ容赦しないわよ!』

「……今すぐ切って良いか、妹」

「別に構いません」

『その呼び方! 敷島先輩ね!』


 どうやら珊瑚の携帯から俺の声がすることが不愉快らしく、携帯電話から東雲の威嚇の声が聞こえてくる。

 それにしても、逃げる男子高校生を追いかけつつこれだけ喚いているあたり、東雲の持久力には恐れ入るものがある。小学生に間違えられかねないほどの小柄だが、内に秘めた体力は相当なのだろう。

 そんな俺の考えを察したのか、珊瑚が呆れたように「実稲ちゃん、体育だけは・ ・ ・ ・ ・成績良いんです」と説明をしてくれた。それが褒め言葉ではないことは言われなくても分かる。――なにせ、俺が宗佐を説明するときにまったく同じ言い回しをするのだ――


 溜息を吐く珊瑚を宥めたいところだが、今はそれよりもガラスの靴だ。

 まだ東雲は犯人を追い続けており、居場所を聞けば昇降口の前だという。

 

「昇降口……。もうそんなとこまで逃げてるのかよ」

「ここから走って行っても時間掛かりますね。ところで実稲ちゃん、そこに宗にぃと月見先輩いない?」

『芝浦先輩と月見先輩? 見てないけど。……っ!』


 何かあったのか、東雲が息を飲むのと同時に電話口から派手な衝突音が聞こえてきた。

 それと同時に男女の悲鳴が聞こえ、さすがにこれには東雲を案じたのか珊瑚が慌てて携帯電話を持ち直した。


「み、実稲ちゃん?」

『…………』

「実稲ちゃん、大丈夫!?」


 東雲からの返事がなく、彼女の名を呼ぶ珊瑚の声に緊張の色が見え始める。

 突飛な行動と我儘さに呆れて冷たい態度を取ってはいるが、何だかんだ言いつつも東雲を友達だと思っているのだろう。しきりに「大丈夫?」と声をかける姿はまさに友人そのものだ。

 だが電話口から聞こえてきた衝突音は相当なもので、加えて珊瑚の呼びかけにも返事が無いとなれば心配するのも当然。もしや誰かとぶつかってそのまま気を失ったのでは……と、思わず俺も東雲の身を案じて携帯電話を覗き込んだ。


 ……と、それとほぼ同時くらいだろうか。

 周囲のざわつきだけが微かに聞こえる中、小さく『珊瑚ちゃん……』と東雲の声が聞こえてきた。


「実稲ちゃん、大丈夫だったの!?」

「おい東雲、無事か?」


『捕まえたわ珊瑚ちゃん! 今から八つ裂きにして、実稲の珊瑚ちゃんを傷つけたことを後悔させてやるから!』


「……今すぐ切っていいですか、健吾先輩」

「構わない。……と言いたいところだが、ちょっとだけ待ってくれ」


 身を案じたのに空回りしたことが余程不満だったのだろう、冷ややかな声色で通話終了ボタンに指を沿える珊瑚を、あと少しだからと宥める。

 というか、あと少しに抑えておかないと珊瑚の堪忍袋の緒が切れ、通話終了どころか電話帳から東雲のデータを消しかねない。それほどまでに凍てついた空気を纏っているのだ。

 だが今は珊瑚の機嫌を直すより問題解決だと判断し、俺は今まさに通話を終わらせようとする珊瑚から携帯電話を死守し、再度東雲に話しかけた。

 ……この際だ、聞こえてくる男の悲鳴は無視しよう。


「東雲、近くに宗佐や月見は居ないか?」

『だからぁ、居ないって言ってるじゃないですか!』

「くそ、あいつらどこ行ったんだ……。そうだ、そいつが持ってる箱なんだけど」

『箱? 何の話ですか?』


 電話口から東雲の不思議そうな声が聞こえ、思わず珊瑚と顔を見合わせてしまう。

 東雲が捕まえた男子生徒は、ガラスの靴が入っている箱を持っているはずじゃ……。そんな俺達の疑問と期待は、東雲の「箱なんて持ってませんよ」という一言で見事に砕かれてしまった。

 曰く、彼女が捕まえた男子生徒が持っていたのは一枚の封筒らしく、それを強奪したのかさらなる悲鳴が聞こえてくる。が、今は封筒の中身など気にしている場合ではない。


『実稲は珊瑚ちゃんにぶつかった奴を追いかけてきたの。走り回ってる最中にこいつらバラバラになってたから、その中の一人が持っていったんじゃないですか?』

「宗佐達はそっちを追いかけていったのか……」

『ところで珊瑚ちゃん! この人はレスリング部に連行すれば良い? それとも珊瑚ちゃんの前で土下座させっ』


 ブツン、


 と、東雲の言葉が途中で切られたのは、言うまでも無く珊瑚が通話終了ボタンに触れたからだ。

 その迷いのなさと言ったらなく、さも当然と言った様子でさっさと携帯電話をポケットにしまい込んでいる。もっとも、珊瑚の対応も友達相手にどうかと思えるが、間髪を入れず再び携帯電話が唸りだすのだから何とも言えない。

 

 ……これは触れないでおいた方が身のためだろうか。

 そんなことを考えていると珊瑚が小さく溜息を吐いた。

 

 見れば、先程までの東雲に対する呆れたような冷ややかな表情とは打って変わって、どこか申し訳なさそうに視線を泳がせている。

 眉尻が下がった困惑の表情。挙句に俺に対して「すみません」と謝ってくるではないか。突然の変化に俺は東雲のことなど一瞬で忘れて焦りだしてしまった。


「ど、どうした妹?」

「結局私の見当違いでした……。すみません、健吾先輩が追いかけようとしてたのを足止めしちゃって」

「いや別に、そんなに気にするなよ。それにこれはうちのクラスの問題だし、お前だって心配してくれたんだろ」

「でも、健吾先輩のこと引き留めちゃって」

「だからそれは」



「むしろ敷島君を引き留めてくれてありがとう!」



 威勢の良い声が割って入り、かと思えば次の瞬間グイと俺の腕が強引に引かれた。

 そのまま無理矢理扉の中へと引きずり込まれ、何事かと慌てて振り返った先には……。



 満面の笑みの委員長と、


 なぜかその背後に、王子役の衣装を持っているこれまた笑顔のクラスメイト達。



 ……一瞬にして血の気が引いたのは言うまでもない。


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