第29話 『お姫様』



「……桐生先輩」


 またこの人は何を言ってるのか……と、さすがに今回は慌てもせずに振り返る。

 そこに居たのは俺達を楽しげに眺める桐生先輩。真新しい飲み物を持っているあたり、彼女のクラスもデリバリーを行っているのか。


「逢引きって、なんてこと言うんですか。彼女はうちのクラスの委員長、二人で宗佐がへましないか見守ってただけです」

「あら、今ちょうど芝浦君が出てるの?」


 見せて、と桐生先輩が俺と委員長の間に割って入るように潜り込んでくる。

 観客席から見られないようにと緞帳に身を隠せば自ずと身を寄せるしかなく、桐生先輩が身を屈めながら舞台を覗きこめば俺の目の前で黒髪がふわりと揺れた。

 

 普段は甘い香りがするのに、今日に限ってはコーヒーの深い香りが漂う……。

 

 これはこれで大人びた雰囲気と似合ってる、なんて一瞬考えてしまったが当然だが口にはしない。言ったが最後、委員長の俺に対する評価がガタ落ちしかねない。

 当の桐生先輩はそんなことに気付いていないのか――この人の場合、気付いているがあえてという可能性もあるが――舞台上に佇む王子を見ると、ほぅ…と深い溜息を吐いた


「芝浦君、素敵ね……」


 ポツリと呟かれたその声には、彼女の気持ちがこれでもかと詰まっている。

 普段の露骨に甘えるような声色の誉め言葉ではなく、正真正銘彼女の本音。一人の少女が惚れた男に見惚れるあまりに出た、心の内の言葉だと分かる。

 そんな桐生先輩らしくなく、それでいて年頃の少女らしい声に、俺と同様に聞き取った委員長が僅かに表情を強張らせた。

 その表情は舞台を見守るクラスメイトのものから一転して、恋敵を見る少女の顔だ。


「敷島君……。私、先生に報告することがあるから。失礼するわ……」

「お、おう……」


 視線を泳がせ、逃げるように足早に委員長が舞台裏へと去っていく。一度桐生先輩に対して頭を下げるあたり彼女らしいが、その胸中は穏やかではないだろう。

 そんな委員長に何と言っていいのか分からず、俺は間の抜けた返事しか出来ずにいた。

 当然だが追いかけることもできない。そうしたところで気の利いた台詞一つも出てこないだろうし、なにより俺ではダメなのだ。


 それがわかるからこそ俺はどうしようもなく、委員長が去っていった先をただ呆然と眺め、同じように舞台裏に視線を向ける桐生先輩に気付いた。

 彼女もまた何かしら察したのだろう。その表情は普段より妙に真剣味を帯びている。

 だがふと俺の視線に気付くと、一瞬にして普段の小悪魔じみた魔性の笑みへと切り替わった。


「彼女もそういうことなのね」

「えっと、それは……」

「真面目そうで可愛い子ね。相手にとって不足なし、ってところかしら」


 クスクスと笑う桐生先輩は、どこからどう見ても普段の彼女だ。傾国の美女だとか、小悪魔だとか魔性だとか、そういった表現の似合う俺のよく知る先輩。

 その口調は穏やかで余裕を感じさせ、それでいて言葉の真意は巧みに隠している。

 『相手にとって不足なし』とは言っているが、見るからに奥手で先程も逃げるように去っていった委員長を果たして桐生先輩がライバル認定するかどうか……。


 桐生先輩の性格を考えるに、彼女が好むのは自分に真向から向かってくるタイプだ。

 たとえば、妹としてだが宗佐との仲を日々主張する珊瑚や、宗佐絡みになると行動力を見せる月見がまさにである。

 その手合いの恋敵を好む桐生先輩と消極的で見守るだけで精一杯な委員長とでは、毛色が合わないだろう。

 仮に真っ向からぶつかればどうなるか……。第三者の俺だって容易に分かる。


「……桐生先輩、あんまり委員長をいじめないでやってくださいね」

「安心して、真面目一辺倒の子には手を出さないようにしてるの。でも敷島君ってば失礼しちゃうわね」


 心外だと言いたげに桐生先輩が頬を膨らませる。その表情を見るに、俺をからかおうとはしているが嘘はついていないだろう。

 それに僅かに安堵していると、拗ねたような表情をしていた桐生先輩がパッと表情を変え「そろそろ戻らなきゃ」と俺の横をすり抜けて舞台裏へと戻っていった。


「え、見ていかないんですか?」

「見るつもりなら最初から席を取るわ」

「そりゃあ、そうなんですけど……。宗佐が出てるのに、桐生先輩が見ないってのも変な気がして。……妹も居ないし」

「あぁ、珊瑚ちゃんも来てないのね」


 やっぱり、と桐生先輩が呟いた。


 その言葉に、俺は胸が詰まるような苦しさを感じた。

 桐生先輩の声色はさも当然の事のようで、驚くでも意外に思うでもなく、理由を問う事すらしない。


 宗佐の晴れ舞台だというのに珊瑚は見に来ない。

 彼女はやはり『来られない』のではなく『来ない』のだ。


 だがその理由はいまだ分からず、慌てて桐生先輩の後を追った。

 

「桐生先輩も妹も、なんで見ないんですか? 宗佐が出てるんですよ。あいつ結構さまになってるじゃないですか」

「そうよ。王子様を演じる芝浦君はとっても素敵で、ずっと見ていたいくらいだわ」

「ならどうして……」


 意味が分からないと訴える俺に対し、桐生先輩がピタリと足を止めて振り返った。

 彼女の黒髪がふわりと揺れる。それと同時にコーヒーの香りが漂う。

 

「舞台上にいる芝浦君は素敵よ。本当に王子様みたいでかっこよかったわ」

「それなら見ていけばいいじゃないですか」

「だから、よ」

「だから?」



「芝浦君が王子様なら、お姫様は私じゃなきゃ嫌なの」



 はっきりと言い切る桐生先輩の瞳は真剣味を帯びていて、今は嫉妬の色すら感じられる。

 俺はその瞳に見つめられ、その奥に宿る熱に当てられてようやく事態を理解した。


 王子役を演じる宗佐は確かに格好良い。男の俺が言うのもなんだが、女子が選んだだけあって様になっている。

 絶望を感じていた練習の日々が嘘のように演技も自然体で、立ち振る舞いや仕草もまさに物語の王子。この調子でいけば山場でもある舞踏会のシーンも順調にこなすに違いない。

 スポットライトを浴びて、シンデレラをエスコートしながら踊る姿はさぞ絵になることだろう。

 宗佐に惚れている女子ならば誰もがうっとりと魅入るはず。


 だがその相手は月見だ。

 どんなに桐生先輩が宗佐に見惚れようが珊瑚が練習に付き合おうが、舞台の上でスポットライトを浴びた宗佐が手を差し伸べるのは彼女達ではない。たった一人、月見だけだ。

 シンデレラ役ではない彼女達は観客席で、楽しげに踊る二人を見なければならない……。


「そうか……だから……」


 だから珊瑚は見に来なかったのか。


 毎晩練習に付き合っていたのに、覚えの悪い宗佐をここまで完璧に仕上げたのに、舞台上での宗佐の相手は珊瑚ではない。それどころか、よりにもよってシンデレラ役は宗佐が惚れている月見である。

 月見の気持ちも、ましてや宗佐の気持ちも知っている珊瑚からしてみれば、いずれくる失恋の光景を目の前で見せつけらるようなものだ。

 そんなもの、耐えられるわけがない。


「……そっか、だから来ないんですね」」

「別に失敗すればいいとか、そんなことは思ってないわ。可愛い後輩達の舞台だもの、心から成功を祈ってる。……でも見たくないだけ」


 頑張って、と肩を叩く桐生先輩の声色はまさに後輩を想う先輩といった優しさを感じさせる。事実、心から俺達の舞台の成功を願ってくれているのだろう。

 だからこそ俺は感謝の言葉を返し、去り際にひらひらと手を振ってくる桐生先輩の背を見送った。手にしていたコーヒーを男子生徒に渡す彼女は普段の様子そのもので、先程までの嫉妬の表情は消え去り穏やかに微笑んでいる。

 このまま裏口から出て、そのまま自分の教室へと帰るのだろう。

 

 二度と舞台上の宗佐を見ることなく……。

 その姿を想像すると俺まで心苦しくなってくる。


 それと同時に沸き上がるのは、宗佐の練習相手をさせてしまった珊瑚への申し訳なさ。

 俺が頼み込んで彼女を引き込んで、練習相手を押しつけてしまった。どんなに珊瑚が熱心に練習に付き合ったとしても、ダンスを覚えたとしても、宗佐にとってのシンデレラは月見だというのに……。

 珊瑚の気持ちを知っているのに浅はかな選択をしてしまった。

 かといってそれを謝れば、彼女に事実を改めて突きつけることになる。どうしようもないもどかしさが胸の内に募っていく。


 そんなもどかしさと同時に沸き上がるのは、言いようのない苦しさ。 

 珊瑚が舞台を見に来なかったのは、やはり宗佐を一人の男として恋慕っているからだ。ゆえに月見に嫉妬し、見たくないと考えた。


 ……それほどまでに、宗佐の事が好きなのか。


 改めて彼女の想いの強さを見せつけられた気がして胸の内が苦しくなる。

 息が詰まるというか苦しいというか、胸のあたりが圧迫されるような……。


「……もしかして、俺はこれから先もこんな思いをしなきゃいけないのか?」

「敷島君! ねぇ敷島君!!」

「いっそ宗佐と離れれば……。いや、でもそうなると妹とも関係が……」

「聞いてよ敷島君! 大変なの!」


 考え込む俺を、しきりに誰かが呼ぶ。

 その声ではたと我に返れば、委員長が俺の腕を強引に掴んで引っ張り……、



「ガラスの靴が盗まれたのよ!!」



 と、とんでもない事を言い出した。



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