第24話 メイド喫茶 ベル
あまりの展開に呆然とすることしばらく。
「な、なんだよ今の……。おい、妹…」
はたと我に返って珊瑚に声をかけようとした俺の言葉は、次いで沸き上がる拍手に掻き消されてしまった。おまけに気付けば警告音もパトランプも消えており、これではまるで先程の一件が余興だったみたいではないか。
だが今のが仕込みではないことは、いまだ呆然と目を丸くしている月見を見れば明らか。そりゃあ、しつこいナンパに困り果てていたというのに、次の瞬間そのナンパ男が屈強なレスリング男達に攫われていったのだから、理解が追い付かず呆然とするのも仕方ない。
そんな呆然とする俺達を他所に、珊瑚はレスリング部達が去っていった先を満足げに見つめた後、パッと振り替えると周囲を囲む野次馬に向き直った。
先程のナンパ男に対する威嚇の表情でもなく、ナンパ男の末路を楽しげに見送る表情でもない。
穏やかに微笑むその笑顔は可愛いの一言だが、彼女の本性を知っていれば猫を被っていると分かるだろう。
「煩くして申し訳ございませんでした、御主人様。どうぞ、ごゆっくりと蒼坂高校の文化祭をお楽しみください」
深く頭を下げる、その姿はまさにメイド喫茶のメイドそのものだ。
余興の終わりと考えた野次馬達が輪を崩していく。中にはメイド喫茶に興味を持ったのか、入ってみようと話し合っている者さえいる。
そうして、野次馬の輪が消える頃には、未だ呆然としている月見と、野次馬達をメイドらしく丁寧に見送る珊瑚、そして俺だけが残された。
「……で、今のはどういうことだ、妹」
「ご主人様の妹じゃありません!」
「おぉ、メイドバージョンできたか」
「出来る妹は出来るメイドにもなれるんです。……というか、健吾先輩も居たなら助けてくれればよかったのに」
「助けに入って欲しいなら、せめて俺が助けに入る余地を残しておいてくれ」
ぶぅと頬を膨らませながら拗ねる珊瑚に、ひとまず助けに入る意思はあったことを伝える。……そのうえで、助けに入る余地が無かった事も。
それを聞くと珊瑚は拗ねた表情から得意げなものに代わり「当メイド喫茶の防衛は完璧です!」と誇らしげに言い切った。
次いで、いまだ呆然としている月見の回収へと向かう。
「月見先輩、大丈夫ですか?」
「えっ……。あ、珊瑚ちゃん。ごめんね、ボーッとしてたみたい」
「そりゃあ、あんなもん見せられたら仕方ないだろ」
珊瑚に声を掛けられ、ようやく月見が意識を取り戻した。
ふるふると小さく首を振って正気に戻る仕草は小動物のようだ。
「珊瑚ちゃん、助けてくれてありがとう。凄い仕掛けだったね。そのスイッチを押すと、音と光が出て、隣の教室から助けに来てくれるの?」
「はい。技術部と提携して作り上げた防衛システムです」
「防衛って言うかあれはもはや迎撃だな」
得意満面に防衛体制を語る珊瑚に、思わず口を挟んでしまう。
だがそれを指摘してやれば珊瑚が不満そうに俺を睨みあげてきた。おまけに手にしていたスイッチを目の前に突き出してくる。
これは「それ以上言うなら押します」という脅しだろうか。
……おいおい、目がマジだぞ。
「すまん妹、ちょっとした冗談だ」
「さっきレスリング部の部長さんが、一般来場者だけじゃなくて、部員確保のために活きの良い在校生を送ってくれって言ってました」
「ごめん! 悪かった!!」
本気の目で脅してくる珊瑚に、慌てて謝罪の言葉を口にする。
そもそも部活に入る気がないうえ、レスリング部なんて頼まれてもごめんだ。だが先程の一件を見るにレスリング部はなかなかに強引で、担がれ運ばれたら最後、入部届けに判を押すまで解放してもらえないかもしれない。
なので慌てて珊瑚のご機嫌取りをするように先程の防衛システムを誉めれば、それでなんとか機嫌もなおったのかゆっくりとスイッチから手を離した。
危なかった。
あの恐ろしいスイッチを持っている以上、珊瑚に反論するのはやめておこう。
「そういえば、二人ともうちにご飯を食べに来てくれたんですよね」
「うん。でも芝浦君と麗ちゃんも一緒だったんだけどね、はぐれちゃったの」
「二人にはメールして、先に入ってるか」
先程の余興もどきの効果もあってか、メイド喫茶のメニューを眺めている人が徐々に増えていた。
この調子では、二人と合流するより先に店内が満席になりかねない。
特に予定のない俺はどれだけ待たされようと構わないが、宗佐達には劇がある。
主演二人に加えて花形役者の西園まで遅刻させたら開幕すら出来ないだろう。いったい委員長になんと言われることか……。
「そうだね。二人もそんなに遅くならないと思うし、入ってようか」
月見も同意し、調理室へと足を進める。
それを見て、珊瑚がまるで場を改めるかのようにメイド服を整えだした。スカートのよれを直し、カチューシャの位置を正す。
そうして俺達より先に調理室内へとひょいと入ると、まるで待っていたと言わんばかりの態度で恭しく頭を下げてきた。扉に掛けられていた鈴がカランと軽やかな音を立てる。
「おかえりなさいませ、ご主人様、お嬢様」
猫かぶりの可愛らしい笑顔で珊瑚が告げる、なんともメイド喫茶らしい出迎えの挨拶。
それがどうにも恥ずかしくて、俺は視線を泳がせながらも先導して歩く珊瑚の後を追い、『メイド喫茶 ベル』と描かれた黒板に目を止めた。
店名なのだろう、大きなベルのイラストも描かれている。
そしてそこの下にある、
『不埒な輩はご主人様にあらず』
という殴り書きの文字と、やたらと多い星の絵に、ここがただのメイド喫茶ではない事を思い出した。
◆◆◆
店内はモノクロを基調とした作りで、テーブルクロスや食器も白と黒で統一されている。クラッシック調の音楽が控えめに流れており、そのうえ、店員を呼ぶ際には卓上に置かれた小さなベルを鳴らすという洒落たシステムも導入している。
よくぞ学校の調理室をここまで作り替えたものだと感心してしまうほどだ。
黒板に記された妙な殴り書きさえなければ……。
いや、このベル拘りも気になるところではある。
きっとベルマーク部由来なのだろう。だがそれは今は洒落た要素に昇華できているので見ないものとする。
「結構凝った造りにしたんだな。えぇっと店名は……たしか『迎撃喫茶 撃墜王』だっけか」
「『メイド喫茶 ベル』です。変な改名しないでください」
「ならあの黒板に刻まれた文字と星は何だ」
「当メイド喫茶のポリシーと撃墜数です!」
「やっぱ迎撃喫茶だろ。というかどれだけレスリング部送りにしてきたんだよ……」
「あ、一個書き足さなきゃ!」
忘れてた!と珊瑚が慌ててホワイトボードに向かい、撃墜数である星を一つ書き足した。その数は既に優に二桁に達している。
それだけの数の男が、あのレスリング部員たちに担がれていったのだろう。なんという恐ろしさだ……。
だが月見はその恐ろしさが分からないのか、もしくは撃墜数よりもメイド喫茶に興味があるのか、瞳を輝かせながら周囲を眺めている。
「素敵なお店だね。それにメイド服もとっても可愛い」
「ありがとうございます」
月見に褒められ、珊瑚が嬉しそうにはにかむ。
次いで改めてコホンと咳払いすると、店内のシステムやメニューについて説明しだした。
店員を呼ぶ際にはベルを鳴らすだの、メイドはお触り禁止だの――なんて事を言い出すんだと内心で動揺したのは言うまでもない――、料理名も洒落ており、デザートや紅茶も拘って選んだという。
その説明の合間に客を『ご主人様』や『お嬢様』と呼ぶあたりがメイド喫茶らしい。
俺としては気恥ずかしいことこのうえないが、対して月見は嬉しそうだ。
「以上です。何か質問はございますか、ご主人様」
「あの撃墜数について聞きたい。店自体はちゃんとしてるのにあんなにナンパ男が来てるのか」
『メイド喫茶』と聞けば浮ついたイメージを抱きそうなものだが、この店自体は浮ついたどころか落ち着きのある雰囲気を漂わせている。――そもそも高校の文化祭なのだから露骨な店があるわけないのだが。……と考えたところで、俺の脳裏にバニー含めた地獄絵図の光景が蘇りかけた――
洒落た内装と拘りの料理。店員の対応もメイドらしさを感じさせつつ説明内容はちゃんとしている。
複数の部活が提携しているだけあり手が込んでいて、そこに惹かれたのか女性客の方が多いくらいだ。
とうていナンパ男が気軽に声を掛けられる雰囲気ではない。
それでも黒板に刻まれた撃墜数が多いあたり、廊下で説明や客の整理をしている時に声を掛けられているのか。それを問えば、珊瑚が困ったと言いたげに眉根を寄せた。
「廊下も多いんですが、店内でもしつこいお客さんはいますね。あ、でも安心してください。当メイド喫茶は店内の防衛システムも完璧です!」
「そうか、この店も赤く染まるのか……」
「いえ、店内はきちんと雰囲気に合わせたシステムです。店内用の青スイッチを押すと大きな鐘の音が鳴って、黒いスーツを着たレスリング部の部員さん達が不埒な客を連れ出してくれるんです。そしてご迷惑をお掛けしたご主人様達にメイドの手作りクッキーが振る舞われます」
防衛システムは言わずもがな、客へのフォローも完璧だと得意気に珊瑚が語る。
曰く、店内担当のレスリング部達は先程のように荒々しく登場するのではなく、静かに厳かにナンパ男に近付き、その両腕を取って連れ出していくという。その間にメイド達は各テーブルを回り、クッキーを配る……。
その光景に俺が言葉も無いと絶句するも、対して月見は「凝ってるね」と褒めている。
「でもそれほどナンパ男が来るのか。やっぱり来年以降は検問所の設置が必要だな」
「検問所……、大袈裟とも言い切れないですね。それに『メイド喫茶』となると、可憐で優雅で献身的な愛らしいメイドがいっぱいと期待する男の人が多いのも要因ですね」
「……その正体は『迎撃喫茶 撃墜王』だけどな」
「大鐘を鳴らしますよ、ご主人様」
「嘘です、すみませんでした」
むすと不満げな表情で珊瑚がスイッチを見せつけてくる。廊下で押したものとは違う青色のスイッチ。店内用のものなのだろう。
どうやらこの店内では軽口も命取りになりかねないようだ。なんて恐ろしい。慌てて謝罪して珊瑚を宥めていると、彼女の背後にふっと人影が現れ……、
「珊瑚ちゃん!
と、突如現れたメイドが珊瑚に抱きついた。
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