第21話 俺の居ないところで



 木戸のクラスを出ると、校内はより賑やかになっていた。

 次はどこへ行こうか校内案内を見ながら歩く来場者や、そんな来場者に声をかける歩き売り。

 看板を背負った熊の着ぐるみと白装束の幽霊が話しているのは各々のクラスの宣伝係だろう。おかしな組み合わせではあるが文化祭らしくもあり、数人の女子生徒が忙しそうにその横を駆け抜けていった。

 そんな賑やかな廊下を、俺は人混みを縫うようにして歩いていった。



 向かったのは一年のとあるクラス。言わずもがな珊瑚のクラスである。

 文化祭の規定により一年生は殆どのクラスが展示発表になり、おかげで一年生の教室がある階は他の階と比べると人の行き来も少ない。ガランと静まり返っているわけではないものの、それでも窓から聞こえてくる賑やかな声とのギャップが妙な空気を漂わせている。

 規定だから仕方ないとはいえ、なんだか味気ない。


 そんなことを考えながら廊下を歩き、目当ての教室の前で足を止めた。

『蒼坂高校周辺 曰く付き物件について』

 と垂れ幕がかかっている。白い画用紙に色とりどりのペンで描かれたその看板は、ぱっと見では他のクラスと同類に思われるだろう。

 先程通りかかった教室の『蒼坂高校周辺 歴史と偉人』の幕とも大差はない。あくまで、パッと見の話ではあるが。

 これでは展示の異色さに気付かず通り過ぎてしまう人が殆どだろう。


 そう考えて扉を開けるも、中の混雑具合に一瞬にして先程の考えを撤回した。


「……なんだこれ、かなり混んでるじゃねぇか」


 さすがに教室から溢れかえる程とまでは言わないが、それでも教室内に飾られた掲示物の前には人集りが出来ており、中には写真を撮っている者もいる。

 展示なのにこの集客、大盛況と言っても過言ではない。


 思わず感心しつつ教室内を見回せば、当番なのだろう数人の生徒が椅子に座って教室内を眺めていた。

 監視兼案内役といったところか、美術館等でよく見かける光景だ。もっとも時には欠伸をしたり友人と話しているあたり本職にはほど遠いのだが。

 その中の一人、携帯電話をいじっていた女子生徒が俺に気付き、立ち上がるやこちらに近付いてきた。上級生が展示物も見ず教室内を見回していれば目立って当然か。


「何か探しものですか?」

「ちょっと妹の展示を……。じゃなくて、芝浦の班の展示ってどれ?」

「珊瑚ちゃんの班ならこっちですよ。あ、もしかして珊瑚ちゃんのお兄さんですか?」

「いや、違う。俺の言い方が悪かったな、俺は芝浦妹の兄貴の友達だ」


 俺が珊瑚を「妹」と呼んでしまったことで混乱させたのだろう、女子生徒は頭上に疑問符を浮かべ、そのうえ「どうしてわざわざ、お兄さんの友人が?」とでも言いたげな表情で俺を見上げている。

 それに対して俺がどう説明したものかとあぐねていると、ふと何かを思い出したかのようにパッと表情を明るくさせた。


「もしかして『健吾先輩』ですか?」

「え? あぁ、そうだけど……」


 見ず知らずの後輩に突然名前を呼ばれ、思わず戸惑ってしまう。

 だがそんな俺に対して目の前の女子生徒は晴れ晴れとした表情で「そっかぁ」と頷いた。疑問が解けた、とでも言いたげなその晴れやかな様子に、対して俺はわけが分からず首を傾げて返した。

 学年問わず女子からは羨望・男子からは憎悪を抱かれ名が知れ渡っている宗佐ならまだしも、なぜ彼女は俺の名前を知っているのだろうか。それも苗字ではなく下の名前だ。

 生憎と目の前の女子生徒に見覚えはないし、そもそも一年女子の知り合いなんて珊瑚しかいない。


 それを尋ねると、彼女はさも当然のように「珊瑚ちゃんがよく話してますよ」と言ってのけた。


「……え、俺の話を?」


 思わずドキリとしてしまう。

 勿論それが宗佐の話のついでだということは分かっている。だけど俺の居ない場所で珊瑚が俺の話をしていると考えれば妙な気恥ずかしさを感じてしまう。

 いったいどんな風に話しているのか……聞きたくもあるのだが、それを尋ねるのは『俺と珊瑚の関係』ではおかしいことなのだろうか?いや、そもそも『宗佐』という仲介があってこそのこの関係で、俺が一人で珊瑚の展示を見に来るのもおかしな話なんだが……。


「は、話ってどんな?」

「お兄さんがよくお世話になってるって。この間なんて、真剣な表情で『宗にぃが迷惑かけすぎてるし、今年は健吾先輩にお歳暮を贈った方が良いかな』ってギフトカタログを眺めてましたよ」

「そうか……」


 世話になっているからお歳暮、という高校生らしからぬ考えはどことなく珊瑚らしい。

 思わず笑いそうになるのを堪える。

 ついでに、彼女が俺の居ないところで俺のことを考えてくれているという事実ににやけそうになるのも堪えておく。


 俺が冷静を取り繕っていることに気付かず、女子生徒は一枚の展示物を指さし「あれが珊瑚ちゃんの班のです」と教えてくれた。見れば大きめの模造紙に写真や書き込みがされ、まさに学生の発表といったその紙には『芝浦珊瑚』の名前が書かれている。

 なかなかに出来が良いらしく、模造紙を前に読みいっている者もいれば、携帯電話を掲げて写真を撮っている者さえいた。


「それじゃあ、楽しんでいってください」

「あぁ、案内ありがとう。……えっと、もう一つ聞きたいんだけど、妹……じゃなくて、芝浦の妹は?」

「珊瑚ちゃんならさっきまで当番だったんですけど、交代して部活に行っちゃいました」


 どうやらすれ違ってしまったらしい。

 それを残念と思うべきか、それとも本人不在だからこそ思いがけない情報を聞けて良かったと取るべきか。自分自身ではっきりとしない複雑な胸中ながら、さも冷静を取り繕って「そうか」とだけ返しておいた。

 幸いにも女子生徒は俺の胸中に気付かなかったようで、軽く頭を下げると再び椅子へと戻っていった。


 そうして、俺は色々と整理しきれていない複雑な思考回路で展示物を眺め……。


 珊瑚がどうの思うところ全てを「よくこれで文化祭委員の許可が下りたな」という思いに上書きされた。




 教室を出て、思わず溜息を吐いてしまう。

 せっかくだからと珊瑚の班だけではなく全ての展示物を見たのだが、文化祭らしい陽気さを纏いつつ内容はおどろおどろしいものだった。

 特に、白い模造紙にピンクや水色といったカラフルなペンで『壮絶! 痴情のもつれからくる事件現場!』なんて書かれた模造紙を見たときには、このクラスの全員を――担任含めて―ー呼びだしてそれで良いのかと問い詰めたい程だった。

 おまけに、住人もインタビューに答えるどころか女子高生に囲まれて嬉しそうに笑顔でピースまでしているのだ。全ての班が漏れなくこの調子なのだから目も当てられない。


 一番の目玉らしき班の発表に至っては、模造紙を前に蒼坂高校と他校のオカルト研究部が論議を交わし始める始末。

 だというのに、当の班員は――どうやら俺を案内してくれた女子生徒も班員らしい。まともそうな子だと思ったのに……――暢気にクレープを食べながら、三年生のお化け屋敷が怖かっただのと話をしているのだからあきれてしまう。

 文化祭レベルのお化け屋敷どころか本物の事故物件に行っているのに、と出かけた言葉を飲み込んだのは、下手にツッコんで絡まれるよりとっとと逃げた方が得策と考えたからである。


 そうして教室を出て、一度自分のクラスへと戻ろうかと歩き出した瞬間。


「兄ちゃん発見!」


 と、勢いよく背中に突撃された。


 忘れてた……と、自分の迂闊さを呪ってしまう。

 なんだかんだ言いつつも俺は文化祭を満喫していたようで、だからこそ何より注意しなくてはいけないある一点をうっかりと忘れていたのだ。

 本来ならば隠れて行動するか、自分のクラスに引きこもっていてもおかしくない程なのに。

 だが見つかってしまっては既に遅く、俺はゆっくりと背後を振り返り……そこに見慣れた家族の姿を見つけて盛大に肩を落とした。


「……やっぱり来たのか」

「失礼ねぇ健吾君、せっかく遊びに来たのに」


 溜息混じりに肩を落とす俺に、早苗さんが不満げに頬を膨らませた。

 身に纏っているのは今日の為に新調したワンピース。いつもは一つ縛りに纏めている髪を今日は下ろしており、普段の肝っ玉母さんぶりはどこへやら。

 そんな早苗さんの背後には赤ん坊を抱いた母さんと、そして両手を合わせて口パクで「ごめん!」と謝ってくる弟健弥の姿。

 双子が一人しかいない気がするが、どうせ迷子になったのだろう。あと数分すれば校内放送で聞き慣れた名前が呼ばれるのかと思えば、疲労が更にたまる。


「健吾君はこんなところでどうしたの? ここって一年生のクラスよね?」

「え!? い、いや別に……ちょっと見てただけだから」

「あらそうなの? 一年生は展示だらけで面白くないって言ってたじゃない」


 怪訝そうな早苗さんの表情に、俺は慌ててどう繕うべきかと思考をフル回転させた。

 これはまずい。わざわざ一人で珊瑚のクラスを見にきたなんて知られるわけにはいかない。

 早苗さんは只でさえ他人の恋愛話が大好きな人なのだ、それが義弟となればどう暴走するか分かったものじゃない。

 そんな俺の動揺を同じ思春期真っ盛りの健弥が察してくれたのだろう、ハッと何かに気付いたように俺に視線を向けた後、慌てて校内案内を開きだした。


「兄貴! 俺達、科学部の体験学習に行きたいんだけどさ、迷っちゃったんだ。ちょっと案内してくれよ!」

「あ、そうそう。そうなのよ、どう行けばいいのかしら?」


 健弥の話題そらしに、早苗さんも思い出したように手元の校内地図に視線を落とす。

 その瞬間、俺が心の中で健弥に感謝したのは言うまでもない。持つべき者は同じ境遇の兄弟である。


 そうして、俺もさも平然と校内案内を覗き込み、現在地と科学室を教えてやった。

 目的地は一つ上の階。それも真上というわけではなく、科学室は離れたところにある。そのうえ各部室や特別教室が集まっているためややこしく、とりわけ文化祭時は色々な団体が使用し混沌としている。

 なので分かりやすく教えてやると、早苗さんは確認するように再び地図を覗き込み「そうだ」と顔を上げた。


「ねぇ、健吾君。健吾君も一緒に見てまわらない? せっかくだから案内してよ!」

「あー、残念。俺これからクラスの仕事があるんだ!」


 嘘です。暇です。俺の仕事はもう終わりました。

 家族と自分の文化祭をまわるなんてまっぴらゴメンなだけです。


 と、そんなことをバカ正直に言えるわけがなく多忙をアピールすれば、それを信じてくれたらしく早苗さんや母さんが「残念ね」と顔を見合わせた。


「それじゃ、俺はクラスに戻るから!」


 これ以上話をしていてもボロが出るだけだと判断し、さも時間が無いかのように装って踵を返す。

 背後から早苗さんや甥の「またあとでね」という言葉が聞こえてくるが、それには同意せず軽く片手を上げるだけで返した。


 一刻も早く家族から離れたい一心なのだ。

 親不孝者と言うなかれ、思春期の男子生徒にとって家族と接している姿は誰にも見られなくないものなのだ。とりわけ、我が家のような騒々しい大家族ならなおのこと。


 そんなことを考えながら逃げるように廊下を歩けば、校内放送で大々的に迷子放送がかかった。聞き覚えのある名前……。言わずもがな、先程居なかった甥の片割れだ。

 おまけに、迷子センターで何か言ったのだろう俺の名前まで呼ばれる始末。


 これには眩暈すら覚え、俺は廊下の壁にもたれかかり、繰り返される迷子案内を聞くまいと耳を押さえた。



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