第20話 ストーカーバニー、プラス
しばらく他愛もない会話を続け、ふと教室の掛け時計を見上げた桐生先輩が「あら、もうこんな時間?」と小さく声をあげた。
つられて見れば、確かに入店してから大分時間がたっている。
昼食代わりに軽食でも食べにきたのか店も随分と混雑してきたようで、セーラー服を着た男が廊下に声をかけているのが見えた。
きっと空席待ちの客がいるのだろう。
店内の地獄絵図を考えれば、そこまでして入りたい店なのかと尋ねたくなる。
「私もそろそろクラスの店番に行かなきゃ」
「そういえば、桐生先輩の所って何をやってるんですか?」
「私のところも喫茶店よ。と言ってもこんな変なお店じゃなくて、本格的なコーヒーのお店」
よっぽどこの喫茶店と一緒にされるのが嫌なのか「本格的」を強調する桐生先輩に、思わず苦笑が漏れてしまう。
だが彼女の恰好を見るに、確かにちゃんとした――少なくとも、バニーやナースの衣装を着た男のいない――喫茶店なのだろう。
黒いパンツに白いワイシャツというシンプルな服装。唯一の飾りも黒い細身のネクタイのみと徹底されている。
シックなその服装は文化祭らしくないが、逆に言えばどのクラスよりも喫茶店らしく見える。扉を開ければ、淹れたてのコーヒーの香りがふわりと漂う……そんなイメージだ。
古めかしくも趣のある喫茶店を想像しつつ、それでも……とチラと桐生先輩に視線を向けた。
学校内でトップを争う美貌の持ち主である彼女が、白いシャツに黒いパンツのみとは何とも勿体ない。流石にバニーやナースとまではいかなくとも、せっかく文化祭なのだから普段は着られないような服装をすればいいのに。
そんな俺の考えを察したのか、桐生先輩は溜息交じりに肩を竦めた。
曰く、彼女も文化祭なのだからと変わり種の喫茶店を希望したらしい。大人びていても高校生だ、お祭り事となればはしゃぎたいと思って当然である。
だがそんな桐生先輩に対し、彼女のクラスメイトである男子生徒は一丸となって拒否を示したという。
硬派な喫茶店にすべきだと一丸となって訴えたらしい。
その影では……、
「呆れちゃう話だけど、『一見の客に桐生さんの生足を拝ませるわけにはいかない!』って言ってたわ」
当時のことを語る彼女の、呆れつつも若干引いてさえいる何とも言えない表情と言ったらない。
というか、来場者を一見呼ばわりするのは流石にどうかと思う。失礼極まりない話だ。
「そういうわけだから、うちは女の子もこの恰好なの。そのぶんコーヒー豆や淹れ方に拘るのは楽しかったけど、やっぱり派手さに欠けるのよね」
「まぁ、派手な格好をしてしつこい男に言い寄られるより良いんじゃないですか。ほら、うちの文化祭ってナンパ多いらしいし」
不満そうな桐生先輩に、彼女のクラスメイトの気持ちを汲んでフォローを入れてみる。
さすがに生足がどうのと彼等ほどの熱意は無いが、それでも後輩として彼女が変な輩に目を付けられるのは許せないのだ。
何だかんだ言いつつ、俺は桐生先輩を尊敬している。
そう考えれば、本人は物足りないようだが彼女がこの恰好で良かった。
それに対して桐生先輩は再び肩を竦め、それでも「確かにそうかもね」と納得の表情を見せてくれた。
「面白味のない服だけど、バニーよりは良いわね」
「そうですよ。バニーに比べれば十分すぎるくらいです」
そう互いに頷きあいながら、どちらともなく立ち上がった。
と、それと同時にこちらに寄ってくるのは勿論バニーである。テーブル担当なのだから当然なのだが、それが分かっていても顔を背けてしまう。
忙しそうに動くたび連動して揺れる兎のミミが不快感を募らせ、やたらヒラヒラと捲れるスカートが俺のHPを豪快に削ってくる。
「桐生先輩、ありがとうございました! また時間があったら来てください!」
「二度と御免よ。むしろ記憶から削除したいくらいだわ」
お世辞も社交辞令もなくきっぱりと言い切る桐生先輩に、思わず同意だと頷いてしまう。
だがそんな辛辣な桐生先輩の言葉にも木戸はめげる様子無く、それどころか「じゃぁ俺が桐生先輩の店に行きます!」と嬉しそうに宣言した。
その相変わらずなメンタルの強さには思わず感心してしまう。そもそも、メンタルが強くなければバニー衣装なんて着られないだろうけれど。
桐生先輩の「来るなら着替えてから来なさいよ」という鋭い一言も納得である。せっかく本格的な喫茶店にしたのだ、バニーが来店したら硬派も本格さも一瞬にして消し飛ぶ。
そんな二人のやりとりを眺めていると、桐生先輩が何かを思い出したのか「そういえば」とポケットを漁った。
「木戸、あんた化粧してるでしょ」
「はい。女子が面白がって色々やられました」
その発言に、俺も改めて木戸に視線を向ける。
今まではバニー衣装から漂う負のオーラにばかり目を向けていたが、確かに顔を見れば化粧の跡が見える。マスカラにアイシャドー、ファンデーションも塗っているのだろうか。
といっても化粧とは縁遠い俺には詳細など分かるわけがなく、ベタベタすると不快そうに頬を撫でる木戸に「遊ばれたな」の一言である。
女装したクラスメイトに化粧を施すのはさぞや楽しかっただろう、はしゃぐ女子の姿が容易に浮かぶ。
だが同じ女性である桐生先輩はその化粧に納得がいかないらしく、「やるならちゃんとしなきゃ」と不服そうな表情を浮かべている。
自分の美に誇りを持ち拘る彼女だからこそ、遊び半分の中途半端さが気に食わないのだろう。
「アイラインもずれてるし口紅もつけてないじゃない」
「いや、流石にそこまでは……」
「ここまで開き直ったんだから、徹底しなさいよ」
まったく、と言いたげに、桐生先輩がポケットから取り出したものを片手に木戸に近付いていく。
彼女の手の中にあるのは……リップクリームだ。
濃いピンク色と可愛らしいロゴが目につく、医薬品というには些か派手な代物である。
口紅だのグロスだのと違いの分からない俺からしてみれば、派手な外装は化粧品ではないのかと疑いたくもなるが、持ち歩いているあたりリップクリームなのだろう。規則の緩い高校ではあるが、流石に化粧品の持ち込みは禁止されている。
それを片手に桐生先輩が木戸に近付くと、片手で器用にキャップを外し先端を軽く指で拭い、ゆっくりと木戸の唇に塗っていった。
「口紅やグロス程じゃないけど、これなら色がつくわ」
「…………っ!」
「これでよし! ここまで開き直ったんだから、化粧もちゃんとしなきゃ」
自分の施術に満足したのか桐生先輩が満足そうに頷き、何事も無かったかのようにリップクリームを軽く拭うとポケットに戻す。
そうして再び掛け時計を見上げ「交代の時間に遅れちゃう!」と慌てて店を後にしていった。
元より教室を改装しただけなので店内は狭く、おまけに客の出入りととウェイターが行きかうため人口密度が高い。それでも人にぶつかることなく器用にすり抜けていくその背中を、俺は別れの挨拶どころか礼すらも忘れて呆然と見送ってしまった。
しかし、去り際にしっかりと「ごちそうさま」と笑顔を振りまいておくのも忘れないあたり、流石は桐生先輩である。
直視した男達の何人かは後日親衛隊に入隊してくるのだろう。
だが今は新たに彼女の魅力に囚われた男達の事を考えている場合ではない……。
なにせ俺の横に、誰より、しっかりと、元々囚われてるうえに追い打ちを掛けるように、桐生先輩の魅力にどっぷりと落ちたであろう男がいるのだ。
「……おい木戸、無事か?」
呆然と立ち尽くす木戸に声をかける。
先程の桐生先輩の行為、あっさりと行われはしたものの、惚れこんでいる木戸からしてみれば大問題である。
なにせ、桐生先輩が使っているリップクリームを塗ったのだ。
いわゆる間接キスというもので、こっぱずかしい単語ではあるが思春期真っ盛りかつ絶賛片思い中の男には大事件ともいえるだろう。
現に桐生先輩が去って行った先を見つめたまま硬直し、ウェイター仲間に呼ばれようとも客に声をかけられようとも無反応。
そうしてしばらく木戸は呆然とし続け、それが解けるとようやくゆっくりと自分の唇に手を当て
「女装最高……!」
と高らかに叫んだ。
……ストーカーのバニーに女装癖が追加された瞬間である。
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