第19話 きみじゃなきゃ

 


 あまりに悲惨な姿に言葉も無いと唖然としていると、木戸が眉根を寄せて「いっそ笑い飛ばしてくれ」と言ってきた。

 その声色が痛々しいあたり、やはりここの店の店員は自棄になっているようだ。


「笑い飛ばせって言うなら、笑い飛ばせるレベルのものを持ってこい」


 こちらにも許容範囲がある、と言い切れば、木戸の眉間の皺がより深まった。

 当人もきついと自覚はしているのだろう。それでもよく堂々と客前に立てるもんだと感心しつつ、ふと木戸が履いているスカートに目を止めた。

 バニー衣装とは違う布地の、黒のミニスカート。本来V字になっているはずのバニー衣装を隠すような……。


「さすがにそこは注意がいったか」

「あぁ、風紀委員にかつてないほどに怒られた。正直、殺されるかと思うくらいだったからな」

「だろうな」

「俺とあと五人くらい規制に引っ掛かったんだけど、あの時の風紀委員の凍てついた表情といったら……」


 恐ろしかった、と木戸が話すが、俺としては風紀委員によく止めたと称賛を送りたいくらいだ。


 そんな俺達のやりとりに、クスクスと上品な笑い声が割って入ってきた。

 もちろん桐生先輩である。彼女は運ばれてきた水を片手に優雅に俺達を眺め、自分に視線が向けられていることに気づくと「ウェイターさん、ホットの紅茶をお願い」と微笑んだ。

 木戸が改めて背筋を正すと、注文票変わりのメモ帳を取り出して書きこむ。


「畏まりました。直ぐにお持ちいたします。敷島はどうする?」

「俺はアイスコーヒーで。ミルクも何もいらねぇや」

「はい! よろこんでー!」

「客によって態度変えるのをやめろ!」


 なぜか俺に対してのみ威勢のいい返しをし、木戸が注文票を手に去っていく。

 それを見届ける桐生先輩は楽しそうで、よほどツボに嵌ったのか目元を拭っているではないか。さすがに爆笑とまではいかないあたり品の良さを感じさせるが、楽しいと訴える笑顔は日頃の大人びた桐生先輩とはまた違って見える。


「……桐生先輩もそんな風に笑うんですね」

「あら、どういう意味かしら?」

「いやなんか、普通に笑ってるなって思って」


 そこまで言い掛け、はたと口を噤んだ。これは失礼なことではないだろうか。

 捉えようによっては『普段は作り笑いを浮かべている』と言っているともとれるだろう。慌ててフォローを入れようとすれば、桐生先輩がそれを察したのか「大丈夫よ」と一言告げて、再び楽しげに微笑んだ。


「男の子が馬鹿なことをしてるのは見ていて面白いわ」

「男の俺が言うのもなんですが、男なんて万年馬鹿なことしかしてませんけどね」

「あら、そうでもないわよ。特に私の周りは、格好良く見せようとする男の子ばっかりだもの」

「そりゃあ桐生先輩の前だからですよ」


 総じて男は格好つけたがりである。

 とりわけ美人の前ではその傾向にある。情けないと言うなかれ、男の性だ。


 現に桐生先輩を慕う殆どの男達は、彼女と向き合うと緊張状態にありながら格好つけて自分を取り繕う。俺だって、桐生先輩が宗佐を慕っていると知らなければ、彼女の前では格好付けて男らしく見せようと努めていたかもしれない。

 そこに恋愛感情が有ろうと無かろうと、異性の前でバカで間抜けな姿を披露するのは男として躊躇われるのだ。相手が美人ならば尚更、実際よりも良く映りたいと思ってしまう。


 そう考え、ふと宗佐のことを思い出した。

 宗佐は桐生先輩を美人だと褒めてはいるが、接するときは自然体に近い。というより、馬鹿で不器用な宗佐が自分をよく見せるよう取り繕うなんて器用な真似が出来るわけがないのだ。

 たとえば裏庭の一本松に磔にされていたり、池に沈められそうになったり、そんな姿を見ていてもなお、桐生先輩は宗佐に好意を寄せている。


 それはつまり……。


「もしかして、桐生先輩ってバカな男が好きだったりします?」

「突然どうしたの?」

「なんとなく思っただけなんですけど、宗佐を追いかけてたり木戸を気に入ったるあたり、そうなのかなぁって」

「んー、そうねぇ」


 運ばれてきた紅茶にミルクを入れながら、桐生先輩が思わせぶりに微笑む。

 ゆったりと時間をかけるその動きは焦らしているのだろう。こちらの反応を楽しむ表情に、俺はコーヒーにストローを刺しながら大人しく待った。


 スプーンで混ぜる手つきが妙に様になっており、コクリと一口飲み込めばそれに合わせて白い喉が動く。ただ紅茶を飲んでいるだけだというのに優雅で気品すら感じさせるその仕草に、これを木戸が見ればさぞ喜んだだろうにと俺は教室の端に視線を向けた。

 バニーは凄惨な格好に反して意外と人気があるらしく、他校の女子生徒になにやら話しかけられている。

 だが木戸は見た目も悪くないしストーカーな性質を知らなければ良い男だ。それが文化祭でバニー姿になっていれば、他校の女子は面白半分に話しかける……のだろうか? やっぱり俺には理解しがたい。


 そんな事を考えていると、桐生先輩がゆっくりとティーカップを置くと穏やかに微笑んだ。


「確かに、芝浦君も木戸も他の男の子と違ってるわね」

「バカというか常に全力というか、余裕が無いと言うか……」


 男の俺からしてみれば無様も良い所だ。

 宗佐は月見に対して、木戸は桐生先輩に対して、その想いの強さゆえに常に全力で接し、挙句の果てにバカな姿を晒している。

 ポンコツ王子でも一緒に踊ろうとしたり、バニーだろうが文化祭に遊びに来てくれと頼みこんだり。必死と言っても過言ではない。


 男らしく余裕を感じさせ、恰好良い所を見せようと取り繕う他の奴等とは大違いだ。

 俺としてはどう考えても格好良いところを見せたほうが効果がありそうなものだが、結果的に月見は宗佐に惚れ、桐生先輩は親衛隊の中でも木戸を気に入っている。


 つまり女性はバカで全力な男が好きなのか?

 そう結論を出そうとした俺に、桐生先輩が「女の子はね」と楽しそうに語りだした。


「女の子は、格好良い男の子が好きなの」

「そりゃあそうですよね」

「でも、その『格好良い』はきっと男の子が考えてるものと違うのよ」

「……違う?」


 どういうことですか? と尋ねようとするも、桐生先輩がふと視線を逸らした。

 そこでは木戸が、同じくウェイターであろうロリータ服を着たクラスメイト――もちろん男である――と共に店を切り盛りしている。

 片やバニー片やロリータ、着ているのは二人とも立派な男子高校生なのだからその光景は目も当てられないもの。だが楽しそうに互いの恰好を冷やかし笑っているあたりなんとも文化祭らしい。


 そんな二人を眺めながら、桐生先輩が「バカねぇ」と小さく呟いた。

 確かにバカとしか言い様が無いので、ストローを咥えながら同意だと頷く。


「男の子はちょっと隙があるくらいがモテるのよ」

「隙、ですか」

「伸びしろってことね。完璧な男の子より『完璧の一歩手前』な男の子の方が良いの」

「そんなもんですか?」


 桐生先輩の言うことが今一つ理解できず、思わず首を傾げてしまう。

 しかし、『完璧な男の子』よりその一歩手前が良いとは。桐生先輩に釣り合おうと日々格好つけて取り繕っている奴らが聞いたら、今までの努力は何だったのかと膝から崩れ落ちそうなセリフではないか。


「どうしたの敷島君、納得いかないって顔してるわよ」

「納得いかないっていうか、桐生先輩なら完璧な男を狙う方が良さそうなのに」


 人の趣味にとやかく言うのもアレだが、俺の感想を言うならば只一言『勿体ない』だ。

 桐生先輩の人気は学校内に留まらず、他校の生徒どころか社会人にまで及んでいるという。噂では、高級スーツを纏ったいかにもエリートそうな好青年に声をかけられたとかなんとか。


 だが桐生先輩の美貌を考えれば当然とも言える。

 凛とした美しさを前に臆すことなく声をかけられるような輩は、それこそ勝ち組と言われる自信と実績を持ち合わせた部類だろう。普通の男なら高嶺の花だと声を掛ける以前に諦めそうなものだ。

 そんな桐生先輩の相手となれば、それこそ『完璧な男』が釣り合っているように思える。


「そうね、確かに私の周りには良い男がいっぱい居るわ。でも私は芝浦君が好き。どんなに優れた男の子がいても、完璧な男の子がいても、彼が良いの」

「たとえば、さっき言っていた『完璧になる一歩手前』がいても?」

「えぇ、もちろん同じ。芝浦君じゃなきゃ駄目なの」

「宗佐じゃなきゃって……。随分はっきりと断言しますね」

「あら、それを敷島君が言うの?」


 微笑んだままの桐生先輩が、優雅に小首を傾げる。

 その言葉に俺は一瞬いったい何の話だと疑問を抱き……、すぐさま彼女の言わんとしていることを察して飲みかけていたコーヒーを吹き出しかけた。


「ぐっ……」

「やだわぁ、吹き出さないでね」


 頑張って、と変な応援をしてくる桐生先輩に、言われたとおりに何とかコーヒーを飲み干す。

 あまりに無理矢理に飲み込んだせいか変なところに入って咳き込む羽目になったが、まぁ吹き出さなかっただけ良しとしよう。

 勉強机を二つ合わせただけの近さで吹き出せばどうなっていたことか、考えるのすら恐ろしい。


 だけど……と俺は咳き込んで涙目になったまま、チラと桐生先輩に視線を向けた。


 良い男に囲まれて、良い男に見慣れて、それでも一途に宗佐に想いを寄せる。

「芝浦君じゃなきゃ駄目」と言い切る彼女の口調は、穏やかでありつつも揺るがぬ確固たる意志があった。


 きっとその感情は、どれだけ言い訳じみた理屈を並べても説明しきれない。

 そもそも理屈ではないのだ。


 俺も、それを知っているから……。


「敷島君、私達って似た者同士なのかしらね」


 微笑んで同意を求めてくる桐生先輩に、俺は派手に咳払いをして聞こえないふりをした。



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