第18話 隣のクラスは地獄絵図



「敷島君ごきげんよう、ついに文化祭当日ね」

「ゴ、ゴキゲンヨウデス桐生先輩……ツイニ文化祭デスネ……」

「あら、なにかしらその棒読み、失礼しちゃうわ」


 俺の腕を抱きしめたまま、拗ねたように桐生先輩が頬を膨らませる。

 その表情はわざとらしい程『怒っている』とこちらに訴えているのだが、それが分かっていても俺は対応出来ずにいた。

 腕に押し付けられる柔らかな感触、そこに意識が集まってしまい頭が回らない。普段よりも強めに押し付けているのは俺を逃がさんとしているのか、それとも文化祭だからだろうか……。


 おまけに、桐生先輩もまた文化祭の出し物のためなのか白いシャツに黒いパンツという普段とは違う出で立ちなのだ。

 特にシャツの胸元がきつそうで、黒いネクタイがその大きさを強調するように胸に乗っかっているのが生々しい。


「き、桐生先輩、とりあえず腕を離してください……」

「私のお誘いにOKしてくれたら良いわよ」

「お誘いって、さっきのお茶ですか? いや、俺ちょっと忙しくて……」

「あら、さっき『敷島君はゆっくりしてて』って言われてなかったかしら?」


 言質は取っていると、楽しげに桐生先輩が笑う。

 その笑顔は、彼女の性格を知らなければまるで天使のように輝かしく見え、彼女の性格を知った上で惚れ込んでいれば小悪魔的な魅惑を感じさせるものなのだろう。

 まさに対極の魅力である。もっとも、どちらでもない俺からしてみればただ恐ろしいだけなのだが。


「……本当にお茶だけで済むんですか?」

「酷いわ敷島君、私のことそんな女だって思ってるのね……悲しいわ……」

「わわ、待ってください!」


 わざとらしく桐生先輩が目元を拭う。そのあからさまな演技に、それでも俺は慌てて彼女を宥めた。

 只でさえ桐生先輩の親衛隊は過激派が多く、泣かせたと勘違いされたらどんな報復を受けるか分かったものではない。一年生から三年生まで漏れなく敵だらけになるだろう。

 それに既に一般開放が始まりあちこちに来場者の姿がある。下手をすれば俺の敵は学校内に留まらず、近隣住民から『美人を泣かせた男』という烙印をおされるかもしれない。


 だからこそ慌てて桐生先輩にフォローを入れれば、彼女は潤んだ瞳で俺を見上げ

「それじゃ、一緒にお茶してくれる?」

 と小さく小首を傾げて強請ってきた。


 その可愛さと言ったらない。

 普段は大人びた仕草と美貌が魅力的で『綺麗』という賛美が似合う桐生先輩が、今だけは甘く儚げで『可愛い』の一言に尽きる。それに当てられつつ、俺は呻きながら額に手を置き、


「……それは新しい戦法ですか」


 と尋ねてみた。

 次ん瞬間、潤んだ瞳で俺を見上げていた桐生先輩が一瞬にして表情を戻し、


「そうよ、ギャップを狙ってみたの。どうかしら?」


 と聞き返してくるのだから参ってしまう。

 その変わり身の早さと言ったらなく、新たな戦法の効果など言うまでもない。


「どうもこうもありません……。お茶でもなんでもお付き合いしますんで、俺には使わないでください」

「効果は抜群ってことね。ありがとう敷島君、それじゃ行きましょうか」


 満足そうに頷き、桐生先輩が俺の腕を放して歩き出す。


 そうして向かった先は……という程の距離でもない、隣のクラスだ。

 自分のクラスの準備に慌ただしく隣の様子までは伺っていなかったが、いつの間にか出入り口には喫茶店らしい装飾が施されている。壁に貼り付けられた手作りのメニューがなんとも文化祭らしい。

 客入りもそこそこのようで、一般開放されてまだ間もないというのに店内から賑やかな声が聞こえてくる。きっと物珍しさが客を集めているのだろう。


 なにせここは俺の隣のクラス、そう


 異装喫茶である。


「……ここはバニーなストーカーが巣食ってる店じゃないですか」

「そうよ。さすがに一人じゃ入れないでしょ」


 入り口を目の前に、二人で扉に施された装飾を見上げる。

 扉上部にはレースのカーテンが取り付けられ、画用紙で作られたコーヒーやケーキのイラストが客を誘う。

 昼時を想定しているのか入口の横には『混雑時は店員が順にご案内致します』と書かれたボードと名前を書くための票が設置され、それも至る所が可愛らしく装飾されている。

 これで扉を開けると喫茶店に見合った格好をした女子高生が出迎え……なんてなれば、それこそ外観と中身のマッチした良い喫茶店であっただろうに。


 そう惜しみながらも扉を開けると、


「へい、いらっしゃい!」


 という勇ましく野太い声に歓迎された。


「ちょっとは外観と合わせような!」

「へい、二名様ごあんなーい! ご指名はありますか?」


 野太い声と体格のまさに男らしい生徒が、セーラー服のスカートを翻しながら近づいてくる。

 それに恐怖すら感じた俺は踵を返しかけ、桐生先輩に背中を押された。

 彼女はしれっと「男の子ならエスコートしてちょうだい」と俺に場を譲るように半歩下がる始末。エスコートなんて嘘で、眼前に広がる地獄絵図を観たくないと俺の背に隠れただけである。


 その間もセーラー服の男子生徒がノシノシと近付いてくる。

 メニューを片手に案内しようとしているあたり、彼はこの店のウェイターなのだろう。この場合はウェイトレスと呼ぶべきなのか微妙なところだ。


「こちらへどうぞ。テーブル担当のご指名はありますか?」

「ご丁寧に指名制かよ、この店。まともな店員は居るのか?」

「居ません!」


 力強く断られ、思わず眩暈を覚えてしまう。

 なんだよこの店、指名制にしても誰も幸せになれないじゃないか……。


 そう思えども俺の予想に反して店は繁盛しているようで、俺達が席に着いたことで店内は満席になってしまった。この場合、席が残っていて良かったと思うべきか、逃げ損ねたと思うべきか。

 それでも他の客は随分と楽しそうで、誰もが楽しそうに笑い中には携帯電話で写真を撮っている者もいる。その殆どが女性客だ。

 女性はこういうのが好きなのだろうか……。よく分からない世界だ。


「お客様、ご指名が無いようなのでフリーで担当をお付けします」

「あ、いや指名する。木戸が居るだろ、呼んでくれ」

「畏まりました。バニーですね。バニー一丁!!」

「だから店内の装飾と掛け声を合わせろ」

 

 可愛らしい店内の装飾に反して、男達の応答は妙に力強い。

 それに呆れる俺を他所に、桐生先輩はキョロキョロと周囲を伺っていた。最初こそ俺の背中に隠れていたのに今はこの調子とは、地獄絵図にも見慣れたのか、それとも興味が勝ったのか。

 若干楽しげにさえ見えるその表情に溜息が漏れ、自分だけが混乱しているのも無様かと渡されたメニューを開いた。

 中身が普通なところがまた憎らしい。

 コーヒーとケーキのセットを女装した男が運んでくるのかと思えば、食欲が一気に粉砕される。


「強引に誘っちゃったから、奢ってあげるわ」

「え、いや別にいいですよ」

「良いのよ遠慮しないで。あまりの魔境ぶりにちょっと罪悪感抱いてるから」

「そういうことなら、コーヒーお願いします……」


 流石の桐生先輩も「これは無い」と思ったのか。

 それでもどこか楽しそうに「女の子なら喜ぶけどね」と苦笑している。どうやら魔境とは言いつつもそれなりに楽しんでいるようだ。

 確かに、男の俺が男の女装を見ても不快感しかわかないが、女性がそれを見るとまた違った感想が出てくるのかもしれない。

 この店の人気と、先程からあちこちで聞こえてくるシャッター音がそれを物語っている。


「文化祭らしくて楽しいって言えばそうなんですけどね」

「ここまで徹底すれば可愛いとさえ思えるものよ」

「そうですか? 俺には徹底すればするほど化物にしか思えませんけど」


 うへぇ…と小さく呻くと共に、隣を歩いて行ったナース――もちろん男である――を横目で追った。

 よく入ったなと思えるほどのミニスカート。見れば注文をとるペンも注射器を模しており、その細かな拘りと全体図の出来の落差といったらない。おまけに何を狙っているのかやたらと髪をかき上げている。

 他の店員達も同様。開き直りか、それとも自棄か、誰もが乗り気だ。


 だがこれもまた文化祭らしいと言えるのか……。

 そんな事を考えていると、ふいに「おまたせしました」と声がかかった。


 その声に、つい咄嗟に振り返ってしまう。

 つい咄嗟に……この混沌渦巻く魔境において、心構えもなく視界を移すことがどれほど危険か知りもせず……。


 そうして振り返った先には、洒落たトレーに水の入ったコップを二つ乗せた木戸が立っていた。



 バニーの衣装を着て。



 鍛えられた男らしい体を纏う、黒く光沢のあるバニー衣装。

 本来ならば凹凸を強調するはずの胸元の大胆なカットは、当然だがそんなもの無く逞しい胸板にピッタリと張り付いている。

 腰には同色のミニスカートを履き、そこから延びる網タイツの何と醜いことか。美脚にはほど遠く、おまけに網タイツにはちらほらと破れや網の歪みが見られ、履くのにどれだけ奮闘したのかが伝わってくる。伝わってきたところで不快感しか浮かばないのだが。


 そんなバニーを前に……、


 「うわぁ……」


 という掠れた声が俺の喉から漏れた。

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