第16話 男子高校生の朝

 

 文化祭当日の朝は、どのクラスも準備や打ち合わせのために本来の登校時間よりも早く集合する。

 もちろんそれは俺のクラスも同じことで、役者や舞台演出は最後の確認を、裏方は前日準備で運びきれなかった大道具の移動を、そして手が空いた者たちは小物の準備をと、それぞれが最後の仕上げにかかるため本来の登校時間より一時間以上早く集まることになっていた。


 それ自体は別に良い。

 元々俺は朝に強く、登校時間が早くなってもさして問題ではない。

 現に、普段ならば寝ているこの時間にも既に台所に居り、それどころか優雅にサンドイッチを食べつつコーヒーを飲んでいたりする。


「お互い、せめて朝食ぐらいは静かにゆっくりと食べたいよな」


 なぁ、と腕の中へと視線を落として同意を求める。

 そこに居るのは、哺乳瓶を抱えて一心不乱にミルクを飲む赤ん坊。甥の一人だ。

 今でこそ静かにミルクを飲んでいるが、十五分程前までは泣き喚いていた。それを聞きつけ俺が起き、ミルクをやり、そのかいあっての今の静けさである。

 んぐんぐと音がしそうなほどの飲みっぷりは豪快の一言で、両腕にズシリと重さが伝わってくる。日々成長しているようで何より。


 そんな甥子の成長を実感していると、廊下からパタパタとスリッパを履いた足音が聞こえてきた。

 扉を開けて入ってきたのはまさに寝起きといった姿の義姉、早苗さん。パジャマ姿に肩からガウンを羽織り、寒そうに両手を合わせている。


「ごめんねぇ健吾君、助かるわぁ」

「いや、良いよ。飯食いながらだから」

「ミルクをあげつつも自分の朝食とは、さすが慣れたものね。コーヒー淹れるけど、もう一杯飲む?」


 早苗さんが流し場へと向かっていく。その後ろ姿を眺め、俺は思わず肩を竦めてしまった。

 大家族の宿命というものか。これといって習ったわけでも無理に強いられたわけでもなく、気付けば赤ん坊にミルクを飲ませながら自分の食事をするぐらい造作ないレベルにまでなってしまった。


 これで良いのか、男子高校生……。


 そんなことを腕の中の赤ん坊に尋ねていると、台所の扉が再び開いた。

 弟の健也がパジャマ姿で欠伸をしている。こいつも俺と同様、甥の泣き声を聞いて起きてきたのだろうか。

 それでいいのか、男子中学生……。


「兄貴、今日早いんだろ、代わろうか」

「いやまだ大丈夫だ。それよりお前もう少し寝てろよ」

「そうしたいけど、そろそろ双子も起きてくるだろ」


 寝てもどうせ起こされる、と再び大きな欠伸をしつつ健也が俺の隣に座る。まだ眠そうだが、確かにこの状況を考えれば二度寝は望めそうにない。

 健弥の言う双子とは、甥の小学生男児。小学生のテンションというものは恐ろしく、とりわけ出かける日となれば朝から最高潮。

 特に今日なんかは、俺の高校に遊びに行けると昨日の夜からはしゃぎまわっていた程だ。あのテンションで学校に来られたら……そう考えるとゾッとしてしまう。


「健也、今日よろしくな。目立たないように、極力俺の家族とばれないように……」

「あぁ、なんとか頑張ってみる。その代わり俺の時もよろしく」


 お互いに堅い協定を結び頷きあう。

 その光景を眺めていた早苗さんが「大袈裟ねぇ」と笑いながら、俺と健也に淹れたてのコーヒーを注いでくれた。


 ……だが俺は知っている。

 早苗さんが今日のためにとワンピースを新調していることを。それどころか母さんも新しい上着を買っていた。

 なにより、俺が王子役の台詞はおろかダンスまで覚えてしまったのは、他でもない早苗さんがやたらと乗り気になっていたからだ。

 そのはしゃぎぶりを思い出せば、俺達の結束が大袈裟なわけがない。



 そこまで俺の文化祭にくるのが楽しみなのか……、そう考えて思わず肩を落とした。



 ◆◆◆



 前日に委員長から頼まれたとおり、途中で宗佐を拾って学校へと向かう。

 早い登校が決まった時点で嫌な予感を感じ取っていた俺が、笑みを浮かべながら近づいてくる委員長に断れるわけがない。

 そして案の定、俺が迎えにいった時間でも宗佐は半ば夢の中状態で、母親と珊瑚に押し出されるようにして玄関から出てきたのだ。着替えをすませ、鞄を持ち、それでもうつらうつらとしているのだから呆れてしまう。


 もっとも、新芝浦邸だから珊瑚は居ないだろうと油断していた俺には呆れる余裕など無いのだが。


「宗にぃってば、ずっと『あと五分』を繰り返してたんですよ。お布団取り上げてベッドから転がり落として、枕で三回叩いて、ようやく起きあがったんです」

「そ、そうか……。大変だったな」


 まったくと言いたげに話す珊瑚に、俺は上擦った声ながらに労って返す。

 曰く、珊瑚のクラスもベルマーク部も事前準備は昨日の内に終えており、彼女の登校時間は通常時と同じらしい。

 それでも宗佐に合わせて起床し、それどころか彼女も既に制服にまで着替えているのだ。改めて感謝を告げれば大袈裟に肩を竦めた。


「寝起きの悪い兄を持った妹の宿命です」

「何から何まで悪いな。他にベルマーク部の店に行けそうな奴がいないかクラスの奴らに声掛けてみるから」

「ふむ、手を打ちましょう」


 どうやら俺の譲歩案で納得してくれたらしい。

 そんなやりとりで気分が晴れたのか、珊瑚が宗佐の背を叩いて「いってらっしゃい」と見送った。

 なんとも面倒見の良い妹らしい仕草ではないか。思わず笑みを浮かべれば、俺に気付いた珊瑚が、


「健吾先輩もいってらっしゃい!」


 と手を振ってきた。

 やっぱり可愛いな、なんて思いつつ、ひとまず彼女から託された寝起きの悪い兄を学校に連れて行くべく、ふらふらと歩く宗佐の背を叩いた。



 ◆◆◆



 そうして宗佐を引きずるようにして教室へと向かえば、ちょうど委員長と出くわした。

 既に彼女はクラスTシャツに着替え終えており、それどころか一仕事終えたかのようだ。文化祭当日も働き者である。


「敷島君おはよう。芝浦君のことちゃんと連れて来てくれたのね、ご苦労様」

「宗佐に関しては、俺よりも妹の方が功労賞だな。あいつ、わざわざ宗佐を送り出すために早く起きてたみたいだから」

「珊瑚ちゃんにはなにからなにまで助けて貰っちゃって、今度ちゃんとお礼しなきゃ」

「それならあいつ部活合同でメイド喫茶やってるから、そこに食いに行ってやってくれ」

「分かった。お昼はそこで食べるわ。それじゃあ、ひとまず二人は着替えてきて」


 よろしく、と委員長が俺に告げてくるのは、もちろんいまだ宗佐がうつらうつらとしているからだ。

 きっと着替えと同時に宗佐を起こしておいてくれという事なのだろう。


「私美術室を覗いてくるから、戻ってきたら最終調整ね」


 手早く連絡を終え、小走りに委員長が走っていく。

 委員長という立場とその性格からクラス全体の管理を任され、そのうえ予算や進行係からも頼られ、今日も全体を把握しようと慌ただしげに行き来する。

 なんて立派なのだろうか。


 委員長みたいなタイプが一番宗佐と相性が良いのかもしれない。

 同年代だが、姐さん女房というやつだ。宗佐の性格を考えるに、尻に敷かれて手玉に取られても苦とは思わなさそうだし。

 そんな事を考えつつ、宗佐を引きずって教室に入って行った。



 教室の隅でクラスTシャツに着替える。

 といっても制服のシャツの下にTシャツを着ていたので脱ぐだけだ。宗佐も同様。

 そうして手早く着替え終えれば、ちょうど教室内に入ってきた月見と目があった。


「芝浦君、敷島君、おはよう。いよいよだね!」


 意気込む月見も既にクラスTシャツに着替え終えている。

 上は名前やイラストの入った派手なTシャツ、対して下は制服のスカートのままというミスマッチな服装をしているが、逆にそれが文化祭らしさを感じさせる。

 否、文化祭らしさを感じさせるのは月見だけではない。校内全部だ。


 教室は殆どの道具を運び終えたためガランとして舞台の面影はないが、あちこちに転がる工具やゴミが直前の慌ただしさを物語っている。そこかしこに荷物が転がされ、果てには脱ぎ捨てたシャツまでもが落ちている。

 廊下を見れば各々のクラスTシャツを纏った生徒達が慌ただしげに行きかい、普段の学校生活では決して見られないボンベや鉄板を担いでいる生徒までいる。

 そんなまさに『お祭り騒ぎ』といった賑やかな光景に、いよいよだと緊張と期待が高まる。


「……そんな中で、よく眠そうに出来るな」


 溜息混じり隣を見れば、宗佐がいまだ舟を漕いでいる。

 これはもはや神経が図太いを通り越して大物の器と言えるのかもしれない。

 そんなことを考えながら肘で脇腹を思いっきり突けば、宗佐が鈍い呻き声をあげた。


「うぐっ……。こ、ここは学校? いつの間に! 俺はベッドで眠っていたはずじゃ……!? パジャマがクラスTシャツに替わってる!」

「なんだよ、そっから覚えてないのか?」


 呆れて溜息をつけば、宗佐が「流石に覚えてるよ」と言ってよこした。

 本人は冗談のつもりだったらしいが、こいつの性格と不出来さを日頃嫌というほど見ている俺からしてみれば、本当に冗談かどうか怪しい所だ。

 宗佐のことだ、俺が教室に連れてくるまでは転寝状態だったが、月見の声に反応して一瞬にして目を覚まして……なんてことも有り得る。

 そんな疑いを抱く俺を余所に、宗佐が月見へと声を掛ける。


「月見さんおはよう。今日は絶対に成功させようね!」

「うん、頑張ろう!」


 意気込む宗佐に、月見が応えるように頷く。

 先程まで船を漕いでいたというのにいつの間にか台本を手にし「最後の仕上げだ!」なんて気合を入れている始末。


 なんというか……寝ぼける宗佐をあの手この手で布団から引きずり出した珊瑚や、ここまで引っ張ってきた俺の努力を考えると切なくなってくる。

 それほどまでに、宗佐にとって月見の笑顔は絶対的な効果があるのだ。


 だがなんにせよ、宗佐が目を覚ましてやる気になってくれたのは良いことだ……と、そう自分に言い聞かせながら、俺は最終調整へと向かう宗佐を見送った。




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