第15話 眠れない前日夜

 


 文化祭前日の夜。

 帰り際に委員長に言い渡された「今日は全員早く寝ること」という命令に従い、いつもより一時間ほど早くベッドに横になった。


 だが寝付けるわけがない。

 ただでさえ普段の就寝時間より早く、寝ようにも明日の文化祭の事を考えて目がさえてしまう。

 それでもと部屋の電気を消して、時折は目を瞑って睡魔を呼び込んでみる。

 微かに聞こえてくるのは階下の音。テレビと家族の話し声。さすがに小学生の甥達は寝ているが、中学生の弟や両親はまだ起きている。敷島家の明かりが全て落ちるのはあと二時間か三時間後だろうか。


 その頃には寝ていないと……。

 そう心の中で自分に言い聞かせていると、枕元の携帯電話が振動した。暗くした部屋の中、携帯電話の明かりが灯る。


 珊瑚からの連絡だ。

 彼女も文化祭を目前に気分が高まっているのか、文面はいつもよりテンションが高い。恒例の写真には劇の台本と、『封』と書かれた紙が貼られたゲーム機が映っている。

 これはきっとゲームをせずに宗佐を寝かせるという意味だろう。

 あともしかしたら、俺への忠告もあるのかもしれない。

 今まさに寝付けないから少しぐらい……とゲームをやろうとしていたため見透かされた気分だ。枕元に置いていたゲームを慌てて遠ざけてしまう。


「でも、この連絡も今日で最後か……」


 誰にというわけでもなく呟く。

 その声は自分でも分かるほどに名残り惜しそうだ。



 今日まで、一通たりとて忘れることなく珊瑚は毎晩連絡をくれた。

 といってもあくまで宗佐管理のため。内容も家での練習を手短にまとめた文面と写真が一枚。

 それに対して俺は感謝をーー時には宗佐への文句を付け足してーー返し、二度か三度軽くやりとりをして、どちらともなく話を終える。

 最後に彼女から送られてくるメッセージはいつも『おやすみなさい』という言葉で締められており、俺も「おやすみ」と返して終わりだ。


 ただそれだけ。

 長引く事はなく、これといって特段盛り上がるわけでもない。

 他愛ないものだ。宗佐や他の男友達との方が盛り上がったり長く続けたりしている。



 だけど、いつの間にか……いや、きっと早い段階で、この連絡は俺の中で特別なものになっていた。

 携帯電話が振動すると期待して手に取り、画面に『芝浦珊瑚』の名前が表示されると嬉しくなってしまうのだ。


 その感情がどこからくるものか……、


「分かってる……。それぐらい分かってるさ……」


 唸るように呟き、携帯電話を握りしめたまま枕に顔を埋めた。

 くぐもった己の声が聞こえる。我ながら何とも言えない情けない声だ。



 自分の気持ちに気付いていないわけではない。

 珊瑚に対するこの感情が何なのか、さすがに分からないとは言わない。

 薄々、むしろだいぶはっきりと、自覚はしている。


 している、けど……。


「でも、こんなのどうしろって言うんだよ……!!」


 と、そんなどうしようもない呻き声をあげてしまう。

 むしろ呻くどころか暴れたいぐらいだ。大人しくベッドで枕に顔を突っ伏して呻いているだけまだ己を律していると褒めて欲しい。



 珊瑚への想いが何なのか、それは分かっているが認めたくない。


 その理由はひとえに、俺が、俺だけが、彼女の本当の気持ちを知っているからだ。



 過剰なブラコンを演じ、宗佐を慕う女の子達に対して『妹』として牽制する。「血の繋がってない妹は妻と同義語」だの「共に芝浦姓を名乗る伴侶同然」だのとふざけた事を良い、妹として、宗佐から貰ったネクタイを大事に纏う。

 その姿は誰が見ても過剰なブラコンだと思うだろう。

 ……だけどそこに隠されているのは、否、彼女が必死で隠しているのは、『妹』ではなく『一人の女の子』としての芝浦宗佐への想いだ。


 俺の脳裏に、以前に聞いた彼女の涙ながらの訴えがよみがえる。



『私、こんなに宗にぃの事が好きなのに……。大好きなのに……。誰より先に宗にぃに出会って、誰より先に好きになって、誰より一緒にいるのに……』



 そう必死に胸の内を言葉にしていた。

 頬を伝う大粒の涙が、悲痛に掠れた声が、苦しげな表情が、どれだけ本気かを訴えていた。


「それだけ好きなんだよな……。宗佐の事が」


 くそ、と思わず呟いてしまう。


 胸の内に靄がたまる。暴れたいような、喚きたいような、泣きたいような、辛いとしか言いようのない感情だ。

 これが恋の痛みだというのなら、こんなものを何年も珊瑚は抱えていたということか。それでも一途に宗佐を想い続けていると考えれば健気さに胸を打たれ、そして打たれた胸がより痛む。


「よりにもよって恋敵が宗佐か……。勝てるわけ無いだろ……」


 珊瑚と宗佐の間には、俺では埋めようのない長い時間がある。

 珊瑚がいつ宗佐を好きになったのかは分からないが、それでも彼女は『誰より先に好きになった』と訴えていた。

 その言葉を涙ながらに口にするぐらいには、長く宗佐への想いを抱いていたのだろう。



 つまり、

 俺が好きになった子は、俺と出会うずっと前から、俺の友人を好きだったということ。


 そしてそれを知っているのは俺だけだ。



「あぁくそ……だから気付きたくなかったんだ……」


 横恋慕にしたって、あまりに酷な状況では無かろうか。

 以前に、俺は誰かに惚れる可能性を『恋なんてしたらひたすら辛いだけ』と一刀両断していたというのに。


 それでも俺は珊瑚のことを。でもその珊瑚は宗佐を……。

 駄目だ、考えが纏まらない。


「……とにかく文化祭だ! とりあえず今は文化祭のことを考えよう!」


 枕に突っ伏していた状態からガバと勢い良く上半身をあげる。

 現実逃避だ。分かってる。

 それでもひとまず意識は目の前に迫った文化祭に……。


「いや文化祭は明日で終わるし、明日も会うんだよな……。そもそも文化祭が終わったら定期連絡の繋がりもなくなるし……!」


 勢い良く顔を上げたはいいものの、ボスン、と再び枕に顔を突っ伏す。

 自問自答の繰り返しだ。これを繰り返していたら背筋を鍛えられそう……なんて馬鹿な事すら考えてしまう


「考えが纏まらない……。何を考えれば良いのかすらも分からない……。返事もしなきゃいけないのに……」


 枕に顔を突っ伏したまま唸る。ここまで己が駄目になるとは想いもしなかった。

 そんな自虐さえ感じつつ、返事をしようと携帯電話を手に取る。……が、何を打てば良いのかさっぱり分からない。

 当たり障りない文面で良いはずなのに。


 今日までありがとう。

 明日は楽しもう。


 そんな他愛もない内容で良いはずなのに……。

 連絡を取り合うのは今日で最後だとか、明日以降はまた宗佐を仲介して連絡を取り合うべきなのかとか、そもそも今回の件だって結局は宗佐に関することなんだとか、そんなことが頭の中で浮かんでは消える。

 少し文面を打つもすぐさま違うと消して、また打って、消して……。

 いっそ手違いで途中の文章を誤送信してしまった方がまだ諦めがつくかもしれない。


 仮に過去の俺が今の俺を見れば、「情けない」とでも言っただろう。

 これ以上恋愛沙汰に巻き込まれるのはゴメンだと考えていた時が懐かしい。

 自分から横恋慕の沼に飛び込んでいってどうするんだ俺は。しかも俺の立ち位置から考えるに、この沼は一番辛い沼ではなかろうか。


「あぁ、くそ……駄目だ、何を考えれば良いのかわからない……。明日からどんな顔して会えばいいんだよ……」


 枕に顔を突っ伏したまま唸れば、それと同時に部屋のドアがノックされた。

 聞こえてきたのは弟の「兄貴、起きてるか?」という声。寝ていると思い気遣っているのだろう、些か声を顰めている。


 まさか兄が自室で枕に顔を埋めて自問自答しているとは思うまい。


「ラーメン作るけど、起きてるなら兄貴も食べる?」


 こちらの悩みなど露知らず、弟が尋ねてくる。

 それに対して俺は、胸の痛みと苦しさを感じつつゆっくりと顔を上げ……、



「……食べる」



 とだけ返して、ノソノソとベッドから降りた。


 どれだけ悩もうと腹は減る。

 それはそれ、これはこれ。もはや自棄食いの気分である。



 せめてと、今日までの感謝と共にラーメンの写真を珊瑚に送れば、『夜の飯テロはやめてください!』というお怒りの返事がきた。

 それがやはり嬉しくて、画面の向こうにいる彼女の少し不満気な顔を想像すれば思わず笑みを浮かべてしまうのだから、この気持ちを認めざるを得ない。



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