第14話 メイドの手作りクッキー



 宗佐と舞台上で踊る時を想像してはにかむ月見を見れば、もう彼女を意識したりなどしない。

 一度吹っ切れてしまえば後は楽なもので、家での練習を思いだしながら動けばそれに月見が着いてくる。

 最初こそ時に遅れたり俺の足を踏んだりと持ち前の運動音痴を披露していた彼女も、俺の方に余裕が出来たからか次第に動きが安定し始め、時には楽しそうに笑顔を浮かべるようになった。


「月見も大分慣れてきたみたいだな」

「本当? 実はさっきより動けてるって自分でも思えるんだ」

「だけど当日はドレスにガラスの靴だろ? はたして練習通りに動けるか……」

「もう、せっかく慣れてきたのに!」


 順調に動けるようになった頃合いを見計らって茶化せば、月見が拗ねたように俺を見上げてきた。

 だが冗談抜きに当日の月見の恰好は厄介だ。ドレスは裾が大きく広がっており見るからに重く、更にヴィッグも被る。ガラスの靴はさすがにガラス製ではないものの、光を受けて輝く薄水色の綺麗な靴で、ヒールも高かった。


 一気に着用して練習するより段階を踏んで慣らしていくべきか、そんな事を話していると、ふと視線を窓辺に移した月見が「あ、」と小さく声をあげた。

 彼女の視線を追えば、窓辺に立つ珊瑚の姿。彼女は俺達の視線に気付くとまるで皆まで言うなと言いたげな表情を浮かべ、


「ついに宗にぃ王子は引きずり降ろされたわけですね。これも壮大な歴史の一幕、新たな時代を迎えるために仕方のないことです」


 と、なぜか一人納得して頷きだした。

 教室の後方から「まだ現役だよ!」という宗佐の声が聞こえる。……が、次いで「余所見しない!」という委員長の厳しい叱咤の声が続いた。

 それが聞こえたのか、珊瑚がならばと不思議そうに俺を見てくる。ひとまず練習はいったん休憩しようと月見と話し、窓辺へと近付いていった。


「宗にぃが降板じゃないなら、どうして健吾先輩と月見先輩が踊ってるんですか?」

「宗佐があまりに使い物にならないから、今はとりあえず俺相手で練習してるだけだ。委員長曰く俺は『代理王子』だと」


 今に至るまでを話せば、珊瑚が理解すると同時に楽し気に笑った。

 どうやら『代理王子』という名称がいたく気に入ったらしい。


「代理王子ということは、健吾先輩もダンス覚えちゃったんですね?」

「俺もってことは……。妹、お前もダンス覚えたのか?」

「健吾先輩の妹じゃありませんけど、シンデレラの台詞もダンスもばっちりですよ!」


 ドヤ!と珊瑚が自慢げに胸を張る。

 それどころかシンデレラの長台詞を一つ易々と喋るではないか。もちろん台本無しで。

 そのうえ見せつけるようにゆっくりと足を動かしステップを踏み、スカートの裾を揺るがせる。最後に一度見せつけるようにクルリと回れば、胸元のネクタイがふわりと浮いた。

 得意げに披露するだけあり台詞も動きも見事の一言。思わず拍手を送ってしまう。


「凄いな。ダンスに関しては月見よりも出来てるんじゃないか?」


 素直に褒めれば、嬉しかったのか、まるで舞台役者のようにわざとらしくスカートの裾を摘まんで挨拶をしてきた。

 その仕草に思わず笑いかけると「あら、」と背後から声が聞こえてきた。委員長だ。その隣には、少しばかり疲労を漂わせる宗佐。  


「一年生? もしかして、その子……」

「委員長は初めて会うんだっけ。珊瑚って言って、俺の」


 宗佐が珊瑚と委員長を交互に見やり、まるで仲介のように紹介しようとする。

 だがそれより先に、珊瑚が窓辺に手を掛けるとグイと身を乗り出した。


「こんにちは、委員長さん! 芝浦宗佐と熱い一夜を何度も過ごした唯一無二の存在、妻と言って殆ど差し支えない、芝浦珊瑚と申します!」


 捲し立てるような早口で自己紹介をする。

 これに対して委員長は理解が追い付いていないのか何も言えず眼を丸くさせ、月見は「一夜を……!?」と息を呑む。そして肝心の宗佐はと言えば、相変わらず暢気に「また珊瑚が面白い言い回しをしてる」と言ってのけた。

 これを止められるのは俺だけなのか……と思わず溜息を吐き、委員長に対して得意げな表情をしている珊瑚を呼ぶ。


「妹、だから面倒なことになるから牽制するなっていつも言ってるだろ。なんだよ熱い一夜って」

「一昨年の夏、新芝浦邸のリビングのエアコンが壊れちゃったんです。修理に二週間も掛ったんですよ」

「そりゃ字面通り熱い夜だったな。……というか、そもそもなんで牽制してるんだよ」


 それもどうして委員長相手に……と尋ねようとし、はっと息を呑んだ。

 珊瑚がこうやって牽制する相手は、月見や桐生先輩といった、いわゆる『宗佐を狙う女子生徒』だ。

 それを今、委員長相手に行っているということは……。


 まさか、と委員長へと視線をやれば、彼女は困惑を露わにしている。

 その表情はまるで『自分の想い人に親しい女の子が居ると知った』とでも言いたげな切なさで……、


 そして、まさに恋する女の子そのものだ。


「また珊瑚はそうやって冗談を言うんだから。委員長、珊瑚は俺の妹だよ」


 委員長の表情にも、俺の驚愕に気付くことなく、宗佐が笑いながら訂正を入れる。

 それを聞いて委員長があからさまにホッとした表情を浮かべるのだから、これは間違いないだろう……。

 普段は争奪戦に加わることなく呆れるように眺め、それどころか不真面目な宗佐を叱咤している姿から俺と同類ぼうかんしゃだと思っていたのだが……。


 つまり、日頃の叱咤は愛情の裏返し。

 馬鹿な子ほど可愛いというものだろうか。


 一人分析する俺を他所に、改めて珊瑚と委員長が挨拶を交わす。珊瑚も珊瑚で、牽制こそするが委員長相手に敵意は抱いていないようだ。むしろ「いつも兄が本当に……ほんっ!とうっ!にっ! お世話になってます!」と感謝すらしている。――喋り方の勢いから感謝の度合いが窺える――

 ついでに小声で「いざとなったら殴ってください。大丈夫、宗にぃ頑丈ですから」と委員長に耳打ちしているのが聞こえてきたが、相変わらずシビアな妹である。


「芝浦君の練習に付き合って貰ってるのよね。ごめんなさいね。貴女もクラスや部活があるのに」

「いえ大丈夫です。宗にぃと練習するの楽しいですし」

「ふみちゃん、それに珊瑚ちゃんってば台詞もダンスも全部覚えちゃったんだよ。凄いよね」


 委員長の袖を引っ張り、月見がまるで我が事のように嬉しそうに話す。

 月見の言う『ふみちゃん』とは委員長のことだ。

水原みずはら文乃ふみの。その優れた手腕と働きぶりからクラスの大半は彼女のことを『委員長』と役職名で呼ぶが、一部の女子生徒は月見のように『ふみちゃん』と呼んでいる。

 黒ぶち眼鏡と凛とした佇まいはまさに文学少女、『文乃』という名前がよく似合っている。

 

「ダンスまで踊れるの?」

「宗にぃと踊ってるうちに覚えちゃいました。健吾先輩のお墨付き、月見先輩よりも上手いって褒められましたよ」


 珊瑚が得意げに誇り、またもシンデレラの台詞とダンスのステップを披露する。

 宗佐と委員長がその華麗な喋りと動きを拍手で称え、月見は「私も頑張るぅ……」と切なげな声をあげている。

 そんな月見に対して委員長が苦笑を漏らし、次いで教室の前方にかけられている時計を見上げた。

 

「そろそろ月見さんと芝浦君で踊ってみても良いかもしれないわね」

「う、うん。私、頑張る……!」

「そんなに気合を入れなくても大丈夫よ、敷島君と練習してる時はバッチリだったから。その間に芝浦君もちゃんと覚えたし」


 ねぇ、と委員長が笑顔で宗佐に同意を求めた。その表情は世話の焼ける弟に対する姉のようで、面倒見の良い彼女らしい。

 もっとも、同意を求められた宗佐が引きつった笑みを浮かべているあたり、笑顔からは想像しがたいスパルタ教育が行われていたようだ。声にこそ出さないが『ここで首を横に振るなんて出来るわけがない』と表情で訴えている。


「お、俺も大丈夫だと思う……。委員長がみっちり教えてくれたから。……本当にみっちりと」

「それじゃあ二人で組んで。音響と照明、今から二人で踊るからタイミング合わせてくれる?」


 雑談モードから練習モードに切り替わったのだろう、パン!と手を叩いて委員長が教室内の空気を改める。

 その手腕たるやさすが『委員長』だ。宗佐も随分と絞られたようで「失敗できない、失敗できない……」とブツブツと呟いている。

 若干精神面にダメージがいっているようだが、詳しくは聞くまい。というか怖くて聞けない、聞きたくない。



 そうして三人が練習に戻るのを窓辺にもたれかかりながら眺めていると、珊瑚が「そういえば」と呟いて持っていた紙袋から小さな袋を取り出した。

 透明な袋の中にはクッキーが数枚。


「健吾先輩、これ食べますか?」

「ん? また試食か?」


 手を出せば珊瑚がクッキーの入った袋を渡してくる。

 手早く袋を開けて一枚を口に放り込んだ。

 サクサクとした小気味よい食感。練習疲れにちょうどいい甘さ。砂糖無しのコーヒーや紅茶に合いそうだ。

「美味しい」と一言返せば、珊瑚が良かったと表情を柔らかくさせた。


「さすが調理部だな」

「違いますよ。それ、調理部の人達が作ってる横で私が作ったんです」

「……っ!」


 曰く、調理部がクッキーを焼いているのを見て珊瑚も作ってみたくなり、ベルマーク部の友人と一緒に教えてもらいながら焼いてみた……と。

「メイドたるものクッキーぐらい焼けなくちゃ」と冗談交じりに話す彼女を横目で眺め、俺は動揺を悟られまいと「へぇ……」とだけ返した。

 

 不意打ちの手作りクッキー。

 これに動揺しない男子高校生がいるだろうか?


 もう一枚と袋から取り出すが、その動きは先程よりも幾分遅い。食べたいような、食べてしまうのが勿体ないような……と躊躇ってしまうのだ。

 それでもと意を決して食べる。

 心なしか先程よりも美味しく感じるのだから、俺も大概単純な男だ。


「うん、美味しいな。これもメニューに出せるんじゃないか?」

「本当ですか? 『可愛いメイドの手作りクッキー』、なるほど確かに売れるかもしれませんね」


 珊瑚が上機嫌で話す。更には『五枚購入で握手』だの『十枚購入でツーショット写真』だのと言い出す始末。

 さすがにそれには「怪しい商売をするな」と咎める。もっともこれも冗談でしかなく、俺に咎められると「売れると思ったのに」とわざとらしく拗ねた。

 その表情は楽しそうで、文化祭当日を心待ちにしているのが伝わってくる。


 珊瑚にとって、今回が初めての文化祭だ。

 二度目の俺でさえ当日が近付いてくると浮ついてしまうのだから、初めての彼女が期待を抱き心待ちにするのも当然。

 その分かりやすさに思わず笑みがこぼれてしまう。


「楽しみだな」


 そう声を掛ければ、珊瑚が眩いほどの笑顔で、


「はい!」


 と、元気よく答えた。



 あぁ、可愛いな……なんて思ってしまう。



 ……そして、彼女を可愛いと思う自分に、俺は小さく溜息を吐いた。


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