第13話 代理王子作戦

 


 文化祭も目前に迫り、学校中が浮足立つ。

 授業も一応やってはいるのだが集中など出来るわけがなく『文化祭が終わったらちゃんとしろよ』という先生のお小言さえも右から左だ。

 壁には各出し物のポスターが張られ、空き教室を使用するところは早々に飾り付けを始めている。吹奏楽部や軽音部も仕上げの段階に入っているようで、放課後聞こえてくる音楽は既に完成形に近い。



 そんな中、俺達のクラスの練習も佳境に入っていた。

 ……一部を除いて。




「何度月見の足を踏んだら気が済むんだ!」


 怒鳴ると同時に丸めた台本で宗佐の頭をひっぱたく。

 パコン!と小気味よい音がしたのだが、なんだか中が空洞っぽい音だったような……。

 いや、さすがに宗佐ばかの頭といえども中身は入っているはず。


「月見さんごめんね! 痛くなかった!?」

「か、軽くだから、大丈夫だよ! それに私の方こそ足を引くタイミングがずれちゃって……!」

「いや、大丈夫だよ。俺が足の位置をずらせば良かったんだ」

「そんな事ないよ。私が服を引っ張っちゃったし」


 慌てて謝罪の言葉を口にする宗佐に、月見もまた慌てて首を横に振り自分に責任があると謝る。両者のその落ち着きのなさと言ったらない。

 互いに食い気味に謝り、あれこれと早口で話し、次いで顔を見合わせ……慌てて顔を背ける。

 その初々しいを遙かに通り越した態度と言えば、会ったばかりの一年生の春を思い出させる。

 あぁ、互いを気に掛けつつも声を掛けられずに居るのを見兼ねて、何度手助けをしてやったことか……と、そんな懐かしさすら感じてしまう。


「いや、今は過去を懐かしんでいる場合じゃない。……場合じゃないけど過去を懐かしんでしまうのは、これは現実逃避か」


 そんな事を考えつつ、今まさにぎこちない動きの末によたよたと倒れ込んだ二人を前に、見ていられないと台本で顔を覆った。


 ちなみに、なぜ宗佐と月見がこんな初々しいことになってしまったかと言えば、劇の練習が山場であるダンスシーンに入ったからだ。

 さすがに日々の練習のかいあって、宗佐のポンコツな頭にも台詞は詰め込む事が出来た。演技も中々で、素直に認めるのは癪だが王子様らしい立ち振る舞いだ。

 これならばきっと山場も様になる……と期待を抱き、いよいよ練習は劇中一番の見せ場であるダンスシーンになった。


 ……のだが、ここで再び宗佐がポンコツ王子になってしまった。


 二年になって二人の距離はだいぶ縮まったが、さすがに向かい合って……というのは気恥ずかしさが勝るらしい。

 とりわけこの部分では二人は身を寄せ手を繋ぎ、それどころか宗佐の片手は月見の腰に、月見の片手は宗佐の肩へと回される。

 その距離はまさに密着。そんな状態で華麗にステップを……なんて無理な話。

 少し距離が詰まれば途端に宗佐の動きが鈍くなり、元々運動音痴の月見がそれに引っ張られて動きを止め、あげくに大きくバランスを崩して転ぶことも一度や二度ではない。

 そのうえ、転ぶと二人の体が余計に密着する。時に宗佐が月見を押し倒し、時に月見が宗佐にのし掛かり……、


 そして嫉妬に駆られた男達が宗佐を掻っ攫い、月見がそれを追いかけ、俺が回収に行く……。

 とんだタイムロスである。ようやく宗佐がまともな王子に育ったと安心したのに、まさかここにきて問題が発覚するとは。


「こんなんで間に合うのか……」


 いったん休憩となり、窓辺にもたれかかって溜息を漏らせば、隣に立つ宗佐も溜息を吐いた。

 疲労の色が見られるが、疲れてるのはこっちも同じだ。というか俺の疲労はこいつのせいだ。


「宗佐お前なぁ、ここが見せ場って分かってるのか?」

「分かってるよ。分かってるけど月見さんが近くにいるって意識すると……!」

「それなら意識しなけりゃ良いだろ」

「無理に決まってるだろ! 月見さんは小さいし柔らかいし可愛いし、近付くと良い匂いがするし……!」


 精神的な限界が近いのか、宗佐が捲し立てるように訴えてくる。

 その訴えには呆れを抱くも、反面、分からないでもないと頷きかけてしまう。

 宗佐の言うとおり月見は小柄で見るからに柔らかく、そしてなにより可愛い。さすがに匂いがどうのとまでは俺には分からないが、惚れている宗佐がそれらの誘惑に耐えられるわけがない。

 だがいかに月見が魅力的だろうと宗佐が惚れこんでいようと、舞台成功のためには耐えて貰わなければならないのも事実。

 どうしたものかと俺が悩んでいると、月見と話していた委員長が「敷島君!」と俺の名を呼んで近付いてきた。


 彼女に名前を呼ばれると反射的に身構えてしまうのは、宗佐監視役を押し付けられた時のことがあるからだ。そんな俺の反応を見て、委員長が不満そうに俺を見上げてきた。

 二つ結びの三つ編みと黒ぶち眼鏡というまさに文学少女といった風貌。だが大人しく控え目そうな外見とは裏腹に芯は強く、時には男子生徒さえも一括して黙らせてしまう。

 その見た目に騙され「押せば何とかなりそう」と迂闊に近付きこっぴどく振られる男が後を絶たないとか……。


「西園さんから聞いたんだけど、敷島君、ダンスも覚えてるって本当?」

「あぁ、宗佐に教える以上は覚えておかなきゃと思って」


 さすがに『はしゃいだ義理の姉に付き合わされていつの間にか覚えていた』とは言えず、誤魔化すようにそれでも肯定すれば、委員長が何かを思いついたのかパン!と手を叩いた。

 レンズ越しに目を細めてにこりと微笑む表情は、まさに『文学少女の笑み』だ。だが彼女の性格を知っていれば寒気しかしない。この表情こそ、委員長が『良いこと』を――そして対面する者にとっては『面倒なこと』を――思いついた時に浮かべる表情である。

 俺の脳裏に、より鮮明に宗佐管理係を押し付けられた時の光景が蘇る。


「な、なんだよ……」

「それなら、敷島君が月見さんの練習相手になってあげてよ」

「……俺が?」

「本物の王子様があの調子だから、二人に組ませても一向に練習は進まないでしょ。だからまずは敷島君と月見さんで練習して、その間に芝浦君に覚えて貰うの。代理王子作戦よ!」


 名案だと言いたげな委員長に、その背後で休憩を取っていたクラスメイト達も同意を示すように頷く。

 中にはいまだ宗佐が王子役ということに納得がいっていない者もいるようで、「芝浦が月見さんの足を踏むくらいなら、敷島と……」とグチグチと往生際の悪い声すら聞こえてくる始末。

 確かに、委員長の話は分かる。二人がここまで無様なことになっているのは互いに意識しあっているからで、ならばせめて別々に練習してひとまずステップに慣れ、それから改めて……という進め方の方が良いだろう。二度手間になるかもしれないが、月見が足を痛めないためにも必要な手段である。


 だが俺としては突然の抜擢に素直に従えるわけがなく、どうしたものかと月見に視線をやった。

 宗佐の意見はどうでも良いが、彼女の意見は尊重したい。


「代理王子作戦って言われてもなぁ……。月見はそれで良いのか?」

「うん。私もまだちゃんと動けないから。敷島君、お願いできるかな?」



 申し訳なさそうに月見が上目遣いで頼んでくる。

 果たして、これを断れる男がいるのだろうか……。



 ◆◆◆



 そういうわけで、俺と月見が組んで練習することになったのだが……。


「わわ、ぶつかっちゃった。ごめんね敷島君」

「うっ、いや別に……。だ、大丈夫だ」

「きゃっ、あ、足止めちゃだめだよ」

「うわ悪い! 待て月見、近い!」


 と、さすがに宗佐程ではないが、我ながら情けなく思えてくるほどにグダグダな状況だった。


 なにせ月見が近い。

 腕の中に収まる程に小さく、腰に添えた手がその細さと柔らかさを直に伝えてくる。

 絡めた指は細く、少しでも力を入れれば折れてしまいそうで怖い。動けば目の前で髪がふわりと揺れ、その度に甘い香りが鼻をくすぐる。見つめてくる上目遣いの瞳は見惚れるほど黒く綺麗で、そこに自分の間抜けな顔が写っているのがどうしようもなく恥ずかしくて耐えられない。

 

 おまけに、月見の足を踏まないよう足元に視線を落とせば彼女の胸元が視界に入る。真上から見下ろせば余計にその大きさが分かり、そのうえ体を寄せれば触れそうで……。耐え兼ねて視線を他所に逸らせば足の動きが合わなくなる。

 結果、月見が躓いてバランスを崩して俺にももたれかかってくる……。

 もっとも、小柄な月見がもたれかかってこようが痛くも重くも無い。が、その軽さと柔らかさが逆に俺の精神に辛い。


 すまん、宗佐。お前がポンコツ王子に戻るのも仕方ない。

 これは意識するなという方が無理な話だ……。


 そう心の中で謝罪してしまうぐらい、俺は月見の一挙一動とそれに合わせて触れる体に意識を振り回されていた。

 鏡を見ずとも己が挙動不審に陥っていると分かる。


「と、とりあえずもう一回いくか……」

「うん、よろしくね」


 一度立ち止まり、ゆっくりとカウントを取りながら足を動かす。それもまた上擦った声になってしまうのだが、今の俺はどれだけ無様なのだろう……。想像したくもない。

 もちろんそんな情けない悲鳴をあげられるわけもなく、出来るだけ冷静を取り繕って横目で月見に視線を送った。練習熱心な彼女は小声でカウントしながら、俺を見上げては足元に視線を送ってと忙しそうだ。

 その表情に先程宗佐と練習していた時のような緊張は無く、少しぶつかっても焦りはするが顔を真っ赤にして慌てるようなことは無い。


 男として意識されていないのだろうか。

 それとも『宗佐の友人』または『自分の恋路の理解者』として安心しきっているのか。

 何にせよ、熱心どころか必死とすら言える彼女の表情に思わず苦笑が漏れてしまう。


 月見は宗佐が好きだ。

 以前に聞いた話だが、二人は入学式の朝に偶然出会い、その時から惹かれていたという。その日から今日まで一途に想い、一日も、一度たりとて、他の男に余所見はしていない。

 それほどに宗佐を想い、そして今これほど熱心に練習しているのだ。


 文化祭当日、ずっと恋焦がれていた宗佐と舞台の上で踊るために……。


「そんなに宗佐のことが好きなんだな」


 苦笑交じりに思わず声を掛ければ、月見の頬がポッと赤く染まった。

 不意を突かれて驚いたのか、絡めた指がピクリと震え、微かに力が入ったのが分かる。といっても痛くもきつくもなく、むしろくすぐったいぐらいだ。


「ど、どうしたの敷島君、突然そんな……」

「月見があまりにも必死だから。眉間にシワ寄ってたぞ」

「もう、からかわないでよ」


 少し拗ねた表情で月見が見上げてくるが、その表情もまた可愛く、思わず俺の口元が緩んだ。

 腰に添えた手を軽く引き、改めて月見の手を握り直す。細さや柔らかさが手に伝わってくるが、今は邪魔でしかないと無視しておこう。


「よし、練習するぞ!」

「う、うん……。だけどどうしたの?」

「今の相手は俺だけど、当日はちゃんと王子様と踊らなきゃいけないんだからさ」


「ポンコツ王子だけどな」と苦笑交じりに付け足し、ダンスのステップに倣って足を動かす。

 それに遅れまいと月見もステップを合わせつつ、不思議そうな表情で俺を見上げてきた。

 先程まで無様な動きを見せていた俺が突然こんなことを言い出したのだから、彼女が疑問に思っても当然だろう。


 それでも月見はしばらく不思議そうに俺を見つめた後、次第に頬を赤くさせ、


「私、芝浦君と踊れるんだね……」


 と、その幸せを噛みしめるように小さく呟いた。


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