第11話 誰が彼女を
俺が唖然とし言葉を返せずにいると、桐生先輩はきょとんと目を丸くさせた。「違うの?」という声は彼女らしくなく驚きの感情が色濃い。
予想外だったのだろう。さすがの小悪魔様あらため悪魔様も、予想が外れれば驚きを隠せなくなるようだ。
もっとも、すぐさま妖艶な笑みに戻り「ふぅん」と楽しげに集計結果を見つめているあたりは相変わらずである。
だが今の俺にはそれを指摘する余裕はない。
珊瑚に一票入っている……。
誰かが彼女に入れたということだ。
「てっきり敷島君だと思ってたけど、違うみたいね」
「俺は……結局、誰にも……」
土壇場で怖気づいて誤魔化したのを思い出す。
誰かの名前を言いかけ、その最中に珊瑚が現れて言い終わらぬ内に誤魔化したのだ。結局俺の票は無効票扱いにでもなっただろう。
そんな俺とは違い、珊瑚に一票を入れた奴がいる。
桐生先輩が持っている集計結果にあるということは、票を入れたのは二年生か三年生だ。
普段の珊瑚の交友関係を考えるに宗佐絡みで二年生か。だがベルマーク部に三年生男子が居るかもしれないし、部活であちこち雑用しているとなればそこ関係でもおかしくはない。文化祭では男子レスリング部とも提携すると言っていたから、その線もある。
ベルマーク部の活動内容の幅広さを考えると、普通の部活に所属している一年生女子より顔は広いとも言えるだろう。
つまり二年生でも三年生でも可能性があるわけで、ベルマーク部の活動を把握していない俺が考えを巡らせたところで分かるわけがない。
「だ、誰ですか……」
「あら、それはさすがに私にも分からないわ。だから敷島君だと思っちゃったのよ。だって匿名でしょ、これ」
「そうですよね……」
思わず項垂れてしまう。投票自体が匿名な上、集計結果には名前と票数が正の字で記録されているだけだ。それだけの情報ではさすがの桐生先輩も人物特定までは出来まい。
いや、もしかしたら彼女なら出来るかもしれないが、頼み込んだところで『ルール違反』とでも咎められて終わりだ。
この投票結果だって手に入れはするが悪用する気はないのだろう。小悪魔的な性格ではあるが――いや、計算高い小悪魔的な性格だからこそ――そういった迂闊なことはしない人だ。
だからこそ俺は探る術がなく、思わず溜息が漏れてしまった。
次いではたと我にかえり、己の露骨な態度にしまったと顔を上げるがもう遅い。
桐生先輩が笑っている。その嬉しそうな笑みと言ったらなく、瞳が輝き、まるで新しい玩具を見つけた子供のような表情だ。
彼女の隣では木戸が、憐れみたっぷりな表情で「ご愁傷様」とでも言いたげに俺を見ている。これは言わずもがな、桐生先輩の目の前で弱点に繋がる失態をしでかした俺に同情しているのだろう。
俺の反応は明らかな『焦り』だ。
誰かが珊瑚に好意を寄せていると知り、誰が見ても分かるほどに焦ってしまった。その反応がどういうことかなど言われなくたって分かるだろう。
それもよりにもよって、桐生先輩と木戸の前で……。
「……えっと」
思わず小さく呟いてしまう。
さて、ここからどうやって誤魔化すか……。
そう考え俺は一度小さく深呼吸すると、さも「気にしていない」風を装って爽やかに笑って見せた。
「い、いやぁ、あいつも票を得るなんて、意外と見てる奴はちゃんと見てるんですねぇ」
……。
…………。
サァッ……と音たてて流れるこの冷ややかな空気と言ったらない。
「お願いします、スルーだけはやめてください」
この空気に耐え兼ねて頭を下げれば、二人の呆れたような溜息が頭上から聞こえてきた。これならいっそ鋭く突っ込まれた方がマシだ。
そのうえ恐る恐る顔を上げれば生暖かい視線が降り注ぐのだから、今すぐに走って逃げだしたいくらいに居心地が悪い。
二人は俺の態度について、きっと俺以上に冷静に分析しているのだろう。いったいどう分析されてるのか、想像だけで変な汗が額に浮かぶ。
そんな俺の無様な様をひとしきり楽しむと、桐生先輩は満足したと言いたげな表情で「安心なさい」と笑った。
「このこと、珊瑚ちゃんには言わないでおいてあげる。女子には秘密なんでしょ」
確かに隠れミスコンは女子生徒達には秘密裏に進められ、結果も隠し通すことになっている。だがそれを女性である桐生先輩が言うのも、男として情けない話だ。
したり顔なのはきっと情報を得た者の余裕なのだろう。
だが珊瑚に言わないでおく、という言葉に安心してしまったのも事実。
だけど……。
「な、なにを言ってるんですか……。妹が知ったからって俺は別に何とも……」
これ以上弱みを握られてたまるかと虚勢を張る。
「そうなのね、分かったわ。珊瑚ちゃんに票が入ってると知ったときの貴方の反応も一挙一動伝えておくわね」
「敷島、すっとぼけるなら芝浦の妹にお前の挙動不審さを身振り手振り真似して全部伝えるからな」
「すみませんでした。この件は俺の反応含めどうか内密にお願い致します」
くそ、明らかに足元を見られている。
「安心しなさい。人を利用するのは好きだけど、人の恋路を言いふらすのは主義じゃないの」
くすくすと品良く笑って、桐生先輩が集計結果をはためかせながら去っていく。
その背中に黒い羽が見えた気がしたが、あれは幻だろうか。桐生先輩は悪魔だ。小悪魔なんてものじゃない、悪魔だ。俺はそんな人に弱みを握られてしまったのだ。
そんな絶望ともいえる状況で項垂れた俺の肩を、木戸が哀れみの表情で叩いてきた。
こいつも桐生先輩と同罪と言えば同罪だが、桐生先輩に操られている身では俺と同じ、むしろ俺以上の被害者でもある。
「大丈夫だって。桐生先輩はああ見えて話のわかる人だから悪いようにはしないさ」
「そうだと良いんだけど……」
「そろそろお前も自覚しろってこどだ。良いぞストーカーは! 日々やるべきことがいっぱいだ!」
「俺をそっちに引き込むな!」
なんですぐにストーカーに直結するんだ木戸は。
というかストーキングしてる自覚はあるのかよ。
「俺があいつを……?」
「なんだよ敷島、お前まだ自覚しきってないのか。往生際の悪い奴だな」
呆れたと言いたげに木戸が溜息を吐く。
だが俺が混乱するのも仕方ないだろう。たとえ皆が宗佐に好意を寄せているとしても、俺は日頃から月見や桐生先輩達と接している。恋愛という好意こそ抱かれていないが、かといって『ほかの男子生徒』という程の距離でも無いだろう。自惚れと言うなかれ。
つまり校内トップを誇る美少女達と親しくしているのだ。
だけど誰にも恋心なんて抱いていない。むしろ恋愛沙汰で振り回されるのはごめんだと、俺を巻き込まないでくれと思っていた。
そんな中で、俺は珊瑚のことを……?
自分自身の事が理解出来ず混乱していると、木戸が再び俺の肩を叩いてきた。
何かを悟ったようなその表情が腹立つ……。だが今はそれに対して文句を言える状態ではない。
「まぁ落ち着けって、お前の言いたいことも分かるけど芝浦の妹だって可愛いじゃん。性格も面白い奴だし、お前ら仲良いだろ」
「そりゃそうなんだけど……」
「そうだ、良いこと教えてやるよ」
にやりと笑って、木戸が再度俺の肩を強めに叩いた。
いったい何だと顔を上げれば、随分と楽しそうな表情で、
「俺、入学したてのころ『桐生先輩だけは絶対に有り得ない』って思ってたからな」
と言い切った。
「……はぁ?
「あぁ、桐生先輩の容姿も性格も俺のタイプじゃなかったからな」
「ウソだろ……。だって
「なぁ、さっきから俺に対して失礼すぎないか」
俺の驚愕ぶりが失礼なのか、それともストーカー扱いが失礼なのか、木戸が不機嫌そうに睨んでくる。
だが事実だ。木戸は桐生先輩の親衛隊でありながら仲間を出し抜き、どれだけ冷ややかにあしらわれようとも付き纏う不屈のストーカー。その厄介すぎるストーカーぶりと言えば、あの桐生先輩でさえ時に根負けするほどだ。
桐生先輩が不満そうに木戸を睨み「素直にあしらわれなさいよ、可愛くない」と文句を言っているところを何度見たことか。
それが、入学した時は『有り得ない』だって?
タイプじゃない!?
「ちなみに、当時の俺のタイプは月見さんだ。彼女みたいなふわふわしてて可愛い子に弱かったんだよなぁ」
過去を懐かしむように木戸が話す。
確かに月見は木戸の言う通り『ふわふわして可愛い子』そのものだ。そして小悪魔的な魅力の桐生先輩は真逆……。
あまりに信じられない話を聞いて唖然とする俺の表情を眺め、木戸が満足そうに頷いた。
「まぁ、そういうことだから。男ってのはどう転ぶか分からないもんなんだよ」
「ストーカーのくせに悟ったようなセリフを……」
「お前なぁ……。せっかく人生の先輩がアドバイスしてやったのにストーカー扱いかよ。この鈍感野郎」
「ストーカーの先輩か。そりゃ良いや、捕まらない方法でも教えてもらおうか」
お互いに罵倒交じりの悪態で返せば、木戸がクツクツと笑いだした。
こいつなりに気遣って、それどころか俺の背中を押そうとしてくれたのだろう。それは分かるが、素直に礼なんて言えるわけがない。男なんてそんなものだ。
そうして再度、念を押すように俺の肩を叩き、
「なんだかんだ言って、結局は『好きになった子がタイプ』ってやつだ」
そう一言告げ、軽く手を振りながら去ってしまった。
ストーカーでバニーのくせに、その背中が結構さまになっているのが悔しい。
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