第12話 芝浦家プリン消失事件

 


 珊瑚に一票入ってる……。



 いや、あいつだって蒼坂高校の生徒だし、票が入ること自体は不思議な話ではない。

 いくら蒼坂高校の男子生徒が嫉妬だ何だと騒ぐ馬鹿ばかりとはいえ、中には俺のように親衛隊に属していない男子生徒だっている。色恋沙汰の感情抜きで冷静に宗佐争奪戦を眺め、そして眺めている内に珊瑚の良さに気付く……。という流れもおおいに有り得る。


 生意気な性格をしているが意外と健気な一面も有り、誰よりも一途。宗佐を慕いながらいざという時は一歩引いて物事を見る冷静さもある。妹という立場に苦しむ珊瑚の心情を知れば情も湧くだろう。

 時折切なげな表情を見せるのに気付けば、そんな顔をせず笑っていて欲しいと思って当然だ。そして楽しそうに笑うと可愛くて、生意気に笑う時は何か企んでいると分かってもちょっかいを掛けたくなってしまう。

 つまり、珊瑚も魅力的ということだ。



 それに気付く奴がいるとは、蒼坂高校にもまともな奴がいるじゃないか!

 馬鹿な男ばかりだと思っていたけど、安心した。



 ……。

 …………とは、どうにもいかない。

 どうしたって気になる。気になって落ち着かない。

 それはつまり、やっぱり、そういう事なのだろうか。



 ◆◆◆



 宗佐達を見つけて回収したは良いが桐生先輩達と話したことが忘れられず、その後の練習は心ここにあらずと言った状態だった。

 といってもなんの役にも就いていない俺が教室の隅で呆然としていたところで支障をきたすわけでもなく、練習自体は順調に――宗佐のポンコツ王子ぶりも想定内として順調と言い切ろう――進んでいった。


 教室の隅に置いた椅子に座り、呆然としながら目の前の練習風景を眺める。

 だが眺めてはいるだけで頭の中までは届かない。どれだけ宗佐が台詞を飛ばそうと噛もうと気付かず、むしろ時折は今どのシーンをやっているのか分からなくなり、はたと我に返って慌てて台本を捲る始末。

 そんな俺の状況は誰が見ても異変を感じるだろう。何度かクラスメイトが俺の目の前ではたはたと手を振っていた。「芝浦のポンコツぶりが感染したか」だの「芝浦が完成する前に敷島に限界がきた」だのと好き勝手言ってくれていた気がするが、それだってあんまり覚えていないからよっぽどだ。


 まずいな。ちゃんとしないと。

 明日も学校、すなわち珊瑚に会う可能性がある。彼女を目の前にして動揺なんて出来ない。


 そう自分に言い聞かせ、意識を取り戻すために両手で己の頬を叩く。少し痛いがこれぐらいでちょうどいい。

 しっかりしろ、俺! と心の中で自分に喝を入れ、台本を片手に立ち上がった。





 そうして練習を続け、下校時刻少し前に解散となる。

 中には申請を出して最終下校時刻を伸ばして貰うクラスもあるようだが、俺達のクラスは今のところ順調なのでそこまでしなくても良いだろうと踏んだのだ。

 やみくもに練習を繰り返すより、全体練習で改善点を見つけ、各々自宅に帰ってから仕上げる。そして翌日また全体で調整して……。というのが委員長の考えだ。


 そういうわけで、最終下校時刻を知らせるチャイムが鳴る頃には教室を片し終え、それぞれが帰路についていた。



「うちのクラスは順調そうだし、当日が楽しみだな」

「なにが順調だポンコツ王子、お前だけが不安要素だ」


 暢気に語る宗佐に、思わずツッコむと共に蹴りまで入れてしまった。

 いったいどうして唯一の不安要素である本人が『順調』なんて単語を口にできるのか。

 今日だって、他の役者達のケアレスミスを総合しても宗佐の失敗回数には及ばない。台詞は噛むし飛ばすし、立ち位置は間違える。舞台から捌ける方向を間違えて、付き人達を置いて一人意気揚々と歩き出すこともあった。


 本当、なんだってこんな男が王子役に抜擢されたのか。

 決定した女子生徒達を集めて問い詰めたいぐらいだ。――まぁ、それをやったところで委員長あたりに『敷島君が管理役をやってくれるだろうと思ったから』とでも言われそうなものだが。もちろん、有無を言わさぬ満面の笑顔で……――


「お前に叩き込んでるうちに、俺まで台詞覚えちまっただろ」

「えぇ、敷島君すごいね!」

「いざとなったら敷島が舞台裏で台詞当てれば良いんじゃない?」


 溜息混じりに呟けば、月見が驚き、西園が冗談交じりに提案してくる。挙句に宗佐までも「それは名案かも」と冗談に乗っかる始末。

 対して俺は冗談じゃないと肩を落とすも、それすらも楽しいのか彼等は笑って返してくる。


「そういえば、敷島君って王子役のダンスも覚えたんだよね?」

「あぁ、家で練習してるうちに覚えた」

「健吾、ダンスも覚えたのか!?」


 宗佐の驚愕の声に、当然だと頷いて返す。

 というか、本来ならお前が既に覚えているべきものなんだけどな……。

 

「敷島君、凄いなぁ……。ダンスまで覚えちゃうなんて」

「義姉さんが妙に張り切っててさ、俺の方が練習に付き合わされてる気分だよ」

「私、まだダンスは覚えきれてないんだ」


 恥ずかしそうに月見が笑う。彼女の残念な運動神経を考えれば、たとえ簡単なダンスと言えども難解で複雑なステップになるのだろう。

 だが月見は努力家だ。きっと家で何度もダンスの練習をしているのだろう。言われずとも分かる。

 彼女ならシンデレラ役もこなせるに違いない。何より見た目も中身もシンデレラを演じるに適している。

 健気で淑やかな性格の少女が魔法により華やかに彩られる……、まさにではないか。

 


 ◆◆◆



 月見と西園を駅の近くまで見送り、再び帰路に……となったところで宗佐の携帯電話が鳴りだした。


「あれ、珊瑚からだ」


 という宗佐の何気ない言葉にドキリとしてしまうのは、言わずもがな桐生先輩と木戸と話したことを思い出してしまったからだ。

 練習中は心ここにあらずで、それでもようやく冷静さを取り戻しつつあるというのに、彼女の名前を聞いただけで落ち着きを無くしてしまう。


「珊瑚、どうした? ……あぁ、うん、食べた。俺が食べた。いや、だって冷蔵庫にあったから……。なんでもありません。ごめん……うん、……わかった。かしこまりました」


 宗佐が電話を耳に当てながら何やら話す。

 生憎と電話越しの珊瑚の声は聞こえないが、どうやら怒っているようだ。最初こそ気楽に話していた宗佐の声色が次第に畏まったものに代わっていき、挙句に「大変申し訳ございませんでした」と深い謝罪さえしだす。


 聞こえてくる話から推測するに、珊瑚が取っておいた食べ物を、宗佐がそうとは知らずに食べてしまったのだろう。

 そしてそれを彼女が気付き、今お怒りで電話をしている……と。こんなところか。俺の家でもたまに起こる事だ。

 そのなんとも言えない兄妹らしいやりとりに思わず笑いそうになってしまう。

 

 きっと珊瑚はさぁ食べようと冷蔵庫をあけたものの目当てのものがなく、きょとんと眼を丸くさせたに違いない。次いですぐさま犯人に思い当たり「宗にぃ!」と怒りながら電話を掛けて来たのだ。

 コロコロと変わる彼女の表情は容易に想像できる。

 思わず口元を押さえて笑いたいのを耐えていると、「お待ち申し上げております」という低姿勢の言葉を最後に宗佐が電話を切った。


「なに食ったんだ?」

「プリン……という名のムースケーキ。昨日夕飯の後に食べたんだよ。で、夜にお腹空いて冷蔵庫漁ってたら一個見つけてさ。余ってたんだ、ラッキー……なんて思って食べた」

「それでお怒りの電話か。怒りつつもプリンって言うところが妹らしいな」


 珊瑚は和食主義で、それはスイーツ関連も同様。

 先日宗佐が『美味しいプリンって言いながらババロア食べてた』と言っていたが、どうやら彼女の中ではムースケーキもプリンに入るらしい。


「コンビニの限定商品だったらしい。今から買いに行くからついてこいって」

「へぇ、そりゃ大変だな。まぁお前の自業自得だから同情は一切しないけど」

「もし売ってなかったらコンビニはしごかな……。そういうわけで、今こっちに向かってるから。相当お怒りの様子なので一緒にご機嫌取りよろしく」


 頼む、宗佐があっさりと言い切る。

 それに対して俺が再びドキリとし、それどころか「えっ……」と声をあげてしまうのは、今から珊瑚が来ると知ったからだ。

 不意打ちで名前を聞いただけでこれなのに、いざ会ったらどうなるか。


 明日会うかもしれないし、その時には落ち着いていなくては。

 なんて、そんな事を考えた矢先なのに……。これはいわゆるフラグ回収というものだろうか。それにしても早すぎる。



 そうして、宗佐はどうやって珊瑚を宥めるか、対して俺は彼女を前にどう対応するかを考えながら道を歩いていると……、


「あ、居た」


 と宗佐が呟き、片手を上げた。

 見れば道の先には珊瑚の姿。制服ではなく灰色のワンピースにオフホワイトのカーディガンを羽織り、その裾を揺らめかせながら足早にこちらに近付いてくる。

 その表情は不満を露わにしており、心なしか普段よりも足幅も広い。それだけお怒りなのだろう、察して宗佐が「やばいな」と呟いた。


「宗にぃ! なんで私のプリン食べちゃうの!」

「ごめんな珊瑚。ついお腹空いてさ……。こっちの冷蔵庫にあったから珊瑚のだって気付かなかったんだ。あとあれムースケーキって言うんだ」

「宗にぃの分も買って来たし、昨日食べたでしょ! あれは今日のために残しておいた私のプリンなの!」

「そうか、そうだよな。ごめんな。余ってるんだと思ったんだ。それとあれムースケーキっていう名前だからな」

「限定のプリンなんだよ。去年は直ぐに売り切れちゃったから多めに買っておいたのに!」

「そうなんだな、ごめんな。今から買いに行こう。ところであれムースケーキっていう名前なんだよ」


 怒りを露わに珊瑚が宗佐に詰め寄る。それを受ける宗佐は平謝りだが、非はすべて宗佐にあるのだから仕方あるまい。

 それを横目に、俺はなんとも言えない気持ちを落ち着かせるように深く息を吐いた。落ち着け、動揺するな……と自分に言い聞かせる。


「よ、よぉ、妹。せっかくのプリンを宗佐に食べられて残念だったな」


 なんとか冷静を取り繕い――少しだけ声が上擦ってしまった気もするが――珊瑚に声を掛ける。

 宗佐を睨みつけていた彼女がパッとこちらに向き直り、呆れをこれでもかと露わにした表情で肩を竦めた。


「健吾先輩の妹じゃありません。……けど、健吾先輩の妹ならプリンを盗み食いされる可能性は低そうですね」

「そうだな。もし俺が芝浦家の兄でありお前が妹なら、プリンを盗まれる事は無かっただろう。でも逆にお前が敷島家として俺の妹だったなら、冷蔵庫のプリンなんて二時間ももたないだろうな」

「修羅の家……!」


 敷島家の冷蔵庫事情を察したのか珊瑚が慄く。

 それを聞いていた宗佐が慌てて珊瑚の名前を呼びコンビニに行こうと急かしだすのは、このままでは俺に妹を取られると焦っているのか。


「珊瑚、お詫びにムースケーキ何個だって買ってやるからな! 珊瑚は俺の妹だもんな!」

「宗にぃの妹だけど、私が食べたいのはプリンだよ」

「これは根強い……。いやもうプリンで良い。そうだ、プリンだ。兄妹仲良くプリンを食べよう!」


 ほら、と宗佐が珊瑚を急かす。

 それに対して珊瑚は不思議そうに首を傾げつつ、それでもと頷いた。しれっと『三つね』と強請っているあたりがなんとも妹らしい。


 そうしてしばらく歩き、俺は自宅のある道へ、そして宗佐と珊瑚はコンビニに向かう道へと分かれる。

 といってもどうせ明日また学校で会うのだから別れを惜しむわけがなく、お座なりな言葉を交わすだけだ。珊瑚だけは丁寧に「では失礼します」と軽く頭を下げた。

 いつも通りの後輩らしい彼女の態度に、俺も落ち着きを取り戻して「またな」と声をかけ……、


「夜にまた連絡しますね」


 という彼女の言葉に、せっかく取り戻した落ち着きを早々に手放した。



 もちろんそれが宗佐の練習管理の報告だとは分かっている。

 分かっているけど……どうにも気恥ずかしくて妙に落ち着かなくて、そしてなんとも言えない嬉しさが湧くのだ。



 ちなみに夜に送られてきた連絡は、宗佐の練習に関しての報告と……、


 そしてプリンという名のムースケーキが三つ並んでいる写真だった。




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