第33話 幕間(後)

 


「……あっぶなかったぁ!」


 とは、去っていく男達を見送り一人残った木戸。

 緊張の糸が一気にぶつりと音立てて切れたのか大袈裟に肩を落とし、それどころか俺の机に手を着いてしゃがみこんだ。話の最中、生きた心地がしなかったのだろう。命拾いしたと言いたげな脱力具合である。

 ちなみに背後から「なんだかごめんねぇ……」と情けない声が聞こえてくるが、これは顔を上げた半溶けの月見だ。自分が見せた写真が原因だと考えたのだろう。

 木戸が片手を上げて月見のせいではないとフォローすれば、またぐったりと机に突っ伏して溶けてしまった。


「写真には写らないようにしてたのに、まさか気配って……。というかなんだよ気配って。朝から変な汗掻いた」

「抜け駆けして桐生先輩とプールで遊んだ、なんて知られたら、あいつらの嫉妬と憎悪が爆発するだろうな。いつもの宗佐への復讐が優しく感じるぐらいの報復が待ってるかも」

「怖いこと言うなよ……。それにしても、よく咄嗟に口裏合わせられたな」


 木戸が俺と珊瑚に視線をやり、次いで月見へも視線を向ける。


『もう一人』に言及された際、珊瑚が出てきて『自分の友達』と説明した。

 もちろんこれは嘘である。彼等が気配を感じ取った『もう一人』とは木戸の事であり、『偶然出会った珊瑚の友人』なんて者は居ない。

 だがそれを俺は直ぐに肯定し、それどころか月見まで同じ架空の人物を口にしたのだ。おかげで男達もそれ以上は言及せず早々に納得して去ってくれた。


 その連携を感謝と同時に驚きもしているのだろう、木戸の言葉に珊瑚が「それは」と話し出した。


「昨日の夜、桐生先輩から電話が掛かってきたんです」

「桐生先輩が?」

「はい。知らない番号から着信があって、誰だろうと思って出たら……」




 恐る恐る出てみたところ、覚えのある声が『こんばんは』と挨拶を告げてきたらしい。


『桐生先輩?』

『えぇ、そうよ。こんばんは』

『私、先輩に電話番号教えてませんよね』

『こんばんは、珊瑚ちゃん』

『誰ですか。誰が私の電話番号を横流ししたんですか!』

『こんばんは、良い夜ね』

『……こんばんは、ご用件は何でしょう』


 という会話から始まり、プールの事で誰かが木戸の同行に勘付いたら口裏を合わせようと提案してきたという。

 それを聞いた珊瑚が『自分の友達と出会ったことにしよう』と提案したのだ。


 日頃宗佐を相手に嫉妬だ憎悪だと爆発させている男達とはいえ、一年生女子の交友関係を漁ったりはしないだろう。

 そのうえ珊瑚は『引っ越してくる前の友達』と言ったのだ。過去の、それも離れた場所の遠い交友関係ともなれば調べようがない。

 ……なにより、あいつらは日頃の会話から珊瑚と宗佐の両親が再婚だと知っている。嫉妬に駆られた男達とはいえ、無遠慮に他人の事情に踏み入って聞き出そうとはするまい。


 それを踏まえての珊瑚の提案に、桐生先輩は電話口で感心したように褒めてきたという。


『それなら、何か聞かれたら珊瑚ちゃんの昔の友達ってことで統一しましょう。このこと芝浦君にも伝えておいてね。最初に彼に電話したんだけど出てくれなかったの』

『ゲームでもしてるんですかね。さすがにまだこの時間だと寝ては居ないと思うんで、伝えておきます』

『お願いね。あと芝浦君から敷島君にも伝えておいてもらえる? 彼の電話番号、まだ入手してないの』

『今、入手って言いました?』

『それじゃあ、私は今から月見さんの電話番号を入手しなくちゃいけないから、電話切るわね。おやすみ』

『……おやすみなさい』


 そんな会話で電話を終えたという。

 その後珊瑚が宗佐のもとを訪れるも既に寝ており、宗佐に伝えるのは翌朝に回して俺に連絡をしてきた。




 珊瑚が一通り説明し終えると、背後から「私にも掛かってきたよぉ」という間延びした声が聞こえていた。

 言わずもがな月見である。彼女も電話番号を教えてないのに桐生先輩から連絡がきて驚いたらしく、「ビックリしちゃったぁ……」と話し、またとろりと机に溶けた。もとい突っ伏した。暑くて辛いだろうに律儀に会話に加わってくる。

 そうして前日に口裏を合わせた俺達は、見事先程の言及を回避できたというわけだ。


 この話に「え?」と驚きの声があがった。

 木戸だ。当人でありながらも目を丸くさせている。


「俺なんも連絡貰ってないんだけど……。桐生先輩には以前に俺の連絡先を押し付けてあるし、敷島も俺の連絡先知ってるよな?」


 当事者だというのに自分一人だけ蚊帳の外で話が進んでいたと知り、木戸が不思議そうに俺達を見てくる。

 それに対して俺は思わず珊瑚と顔を見合わせ、次いで二人揃えて月見へと視線をやった。彼女は俺達の視線を受けるとゆっくりと顔を上げ……ゆっくりと突っ伏した。どうやら頻繁には顔を上げていられないらしい。「九月はまだ夏」という弱々しい訴えが哀愁を誘う。


「月見さんが説明できないのはこの際仕方ないとして、敷島、それか芝浦の妹、どうして俺だけ連絡来てないんだ」


 どっちか答えてくれと木戸が訴えてくる。

 それに対してやれやれと言いたげに肩を竦めたのは珊瑚だ。


「電話の最後に、桐生先輩がこう言ってきたんです……」



『この件、木戸には黙っておいてね。最後の最後まで、本当にギリギリまで黙っておきましょう。もしあいつが多少の痛い目を見ても仕方ないわ。……私に素直に騙されないから悪いのよ』



「…って。最後の方は本気のトーンでしたね。色々と言いたいことはあったんですが、猫が抱っこしてほしそうだったので『分かりました』って言って電話を終わりにしました」

「芝浦妹、そこはちょっと食い下がって俺を庇ってほしいんだが……。いや、でも助かったことには違いないか」


 これ以上は望むまいと考えたのか、木戸が己に言い聞かせるように頷く。

 そのうえ晴れ晴れとした嬉しそうな表情を浮かべ「桐生先輩が助けてくれたって事だ」と結論付けるあたり、根から前向き思考な男なのだろう。


「まぁそういうわけだから、今後は俺はあの場には居なくて、居たのは『芝浦の妹の友達』ってことでよろしく」


 木戸が片手をひらひらと振って去っていく。「じゃぁな」という去り際の言葉のなんと暢気な事か。

 この切り替えの早さ、そして不屈の前向きさ。桐生先輩が手こずるのも頷ける。厄介極まりない男だ。

 呆れたように去っていく木戸の後ろ姿を見届ければ、窓ぶちに寄りかかっていた珊瑚も肩を竦めている。


 ……ところで、


「妹、宗佐はどうしたんだ」


 普段は珊瑚が登校すれば隣に宗佐の姿があるのだが、今日に限っては彼女しかいない。

 もっともそれ自体は珍しいものではないのだが、珊瑚だけが登校する時はきまって……。


「……二学期初日からか」

「昨日十時間以上寝てるはずなんですけどね」


 窓辺にもたれかかり珊瑚が肩を落とす。

 それを労いつつ俺は時計を見上げ「おい、妹」ともう一度彼女を呼んだ。


「あと十五分でホームルーム始まるけど、そこに居て良いのか?」


 俺が教室に居るのに対して、珊瑚はいまだ外。ここから教室まで行くには昇降口を通って靴を履き替え、一年の教室まで上がって……。

 十五分あれば辿り着けるだろうが、かといって外でのんびりしていられる程の余裕というわけでもない。

 それを教えてやれば、時間を忘れていたのか珊瑚が悲鳴をあげた。咄嗟にあがる高い悲鳴が女の子らしい。


「宗にぃが来たらさっきの件確認しておいてください! 話したとき寝起きだったんで夢だと思ってるかも!」

「あぁ、分かった」

「多分あと十五分くらいしたら来ると思います! ギリギリ大丈夫だって言ってたけど、もし遅刻したら後で密告お願いします!」

「了解。しかし二学期もあいつのスライディング登校から始まるのか……。先が思いやられるというか、なんというか……」


 これは二学期も宗佐絡みの騒がしい日々が続くという予兆だろうか。

 思わず盛大な溜息を吐けば、珊瑚がクスクスと楽しそうに笑った。


「健吾先輩も苦労しますね」

「その苦労の殆どはお前の兄のせいなんだけどな」

「兄のせいであって妹のせいじゃありません」


 悪戯っぽく笑って、珊瑚が「では失礼します」と一礼した。

 そうして昇降口へと向かい……、その途中でくるりと振り返った。

 いったいどうしたのかと窓から少し身を乗り出して様子を窺う。


「どうした? まだ何かあるのか?」


 何かあったのかと尋ねれば、珊瑚が楽しそうに笑って、


「二学期もよろしくお願いしますね、健吾先輩!」


 そう明るい声で告げ、今度こそ昇降口へと向かって小走り目に去っていった。




 時折見せる胸の内を誤魔化す苦しそうな表情とも違う、

 墓参りの時に見せた辛そうな表情とも違う、

 プールで見せた青ざめて強張った表情でも無い。



 少し生意気で、そして楽しそうな笑顔。



 やっぱりその笑顔が一番だな。


 なんて、そんなことを考えつつ、俺は窓辺に肘をついて小さくなっていく珊瑚の背中を見届けた。





 幕間 了





次話から三章。季節はまた少し進んで秋、文化祭のお話が始まります。

楽しんで頂けるよう頑張ります!


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