第32話 幕間(前)

 


 夏休み最後の夜。

 といっても何をするでもなくだらだらとゲームをしながら過ごしていると、枕元に置いていた携帯電話が震えだした。

 画面を見れば宗佐の名前。

 大方ゲームの誘いだろう。夏休み中どころかその前から何度もあった事だ。暇だしちょうど良いやと誰にともなく呟き、画面に触れて着信を取ると同時にスピーカーに切り替えた。


「よぉ、宗佐。ゲームの誘いか? 付き合うけど明日遅刻するなよ」

『宗にぃの遅刻の原因の一つは健吾先輩との夜更かしゲームです!』

「い、妹!?」

『健吾先輩の妹じゃありませんが、今電話してるのは私です!』


 電話口から聞こえてきた珊瑚の声に、慌てて起き上がって携帯電話を手に取る。

 スピーカーを解除するのは家族に聞かれたくないからだ。疚しい気持ちは無いのだが、異性と電話しているのを知られたくないという思春期真っ盛りの事情である。

 そうして携帯電話を耳に当てれば、珊瑚が改まって『こんばんは』と挨拶をしてきた。耳元で聞こえてくる彼女の声が妙に擽ったい。


「どうした、何かあったのか?」

『健吾先輩に伝えなきゃいけないことがあるんです。本当は宗にぃに電話して貰うつもりだったんですけど、宗にぃもう寝ちゃってて。起こそうとしたら携帯電話を手渡してきました』


 珊瑚の声はまったくと言いたげで、きっと電話越しで肩を竦めていることだろう。

 次いで少しばかり声が小さくなり「いつもは夜更かしするくせに」と文句を言っているが、もしかしたら宗佐が寝ている隣で電話をしているのかもしれない。


「えーっと……。それで、俺に伝えなきゃいけないことって?」


 明日は始業式、学年は違うが会おうと思えば会える。そもそも明日の朝になれば宗佐は起きるんだから、その時にだって俺に連絡を入れることは可能だ。

 だというのに宗佐の携帯電話を使ってまで今連絡する事とは?


 そう俺が問うも、珊瑚曰く宗佐は朝ぎりぎりまで寝ており、見兼ねた彼女に起こされて出掛ける準備を慌ただしく済ませるという。その間に俺に連絡をする余裕は一切無い。

 宗佐らしい話になるほどと思わず電話しながら頷けば、珊瑚が一度溜息を吐き、『それで……』と本題に移った。


『この間のプールの事なんですけど……』



 ◆◆◆



「敷島、お前に聞きたいことがある」


 そう数人の男子生徒達が集まって俺の前に立ったのは、珊瑚から電話を受けた翌朝。二学期初日、登校してしばらくしてからの事。

 ただならぬ空気と圧に若干気圧されつつ、俺は僅かに身を仰け反らせることで距離を取って「暑苦しい」と文句を言った。だというのに更にぐいと一歩距離を詰めてくる。


「近付くなよ暑くなるだろ」


 あっちに行け、と片手を振って追い払おうとする。

 だが男達は動じることなく、それどころかさらに圧を掛けるように俺に一歩近付いてきた。

 ただでさえまだ夏の暑さが残る九月頭。男達が数人詰め寄り、更に誰もが真剣みを帯びた表情を浮かべているのだ。暑苦しくて重苦しい。最悪だ。


 これは文句を言って追い払うより、大人しく話を聞いてしまった方が早いかもしれない。

 そう考え、俺は教科書で己を扇ぎつつ「話ってなんだ」と促した。


「お前が隠そうとも、お前達の夏休みの行動は全てばれている」

「あぁその件か。デパートの屋上ヒーローショーの親子席で英単語帳を眺めてたのは確かに俺だ」

「なんの話だよ」

「あれ、違うのか?」


 てっきり誰かに目撃されてたのかと思った。――ちなみに、開幕したらちゃんと英単語帳はしまってショーを見ている。いくら子供向けのショーとはいえ観劇席に座っておいて無視して勉強するのはマナー違反だ。……というのが、万年ヒーローショーに付き合わされている俺の拘りである――

 とにかく、どうやらこいつらの言いたい事はデパートの屋上ヒーローショーの事では無いらしい。


 ならば他に何かあったか……。と首を傾げていると、一人が痺れを切らして「プールだ、プール!」と声を荒らげた。


「月見さんと桐生先輩とプールに行ったんだろう!」

「あぁ、なんだその件か。行ったよ。そもそも隠しても無いし」


 あっさりと認めれば、俺の前に立っていた男子生徒達が唸り声をあげた。

 この際なので彼等が珊瑚を省いて『月見さんと桐生先輩』と二人の名前だけをあげたのは気にするまい。扱いの差を感じて多少……いや、結構腹立たしいのだが。

 だが今は腹立たしさよりも話を終いにするのが先だ。

 そう考え、俺は席を囲むように立つ男達に視線をやり――とりわけ約一名を凝視しつつ――「それがどうした」と尋ねた。


「その話が出た時にお前達だって聞いてただろ。……というか、聞いたうえで宗佐を攫っていったよな」

「あぁ、確かに知っていた。だが残念なことに、俺達は別の日に間違えて行ってしまったんだ」

「そいつは残念だったな」


 約一名を凝視ながら思っても無いことを口にすれば、代表で話していた男子生徒達が「本当に残念だ」と呟いた。他の奴等も肩を落として溜息を吐いている。

 ちなみに約一名は青ざめた表情をしており、残念がる男達の中で一人だけ「やばい」と言いたげな顔をしている。何の話をするか知らずに来てしまったのか、もしくは抜け出すタイミングを掴めずにここまで来てしまったのか……。


「で、俺に聞きたいことって何だ?」

「その件なんだが……。プールに行ったのって、お前と芝浦と、芝浦の妹、それと月見さんと桐生先輩だよな」

「あぁ、そうだ」


 はっきりと断言してやる。……嘘だけど。


 それを聞いた男達は何やら訝し気な表情を浮かべている。どうやら引っ掛かる事があるようだ。


「さっき月見さんが友達にプールでの写真を見せていたんだ。運よくそれを見せて貰えて……。で、ちょっと気になることがある」

「気になること?」


 なんだ? と尋ねることで話の先を促す。

 約一名は視線を泳がせ「うわやばい」と言いたげだ。それどころか他の男達が自分を見ていないと分かるや、口パクと手振りで俺に助けを求めてきた。

 気持ちは分かる。分かるが、今の俺にはこいつを逃がしてやる術はない。


「プールで遊ぶ月見さん達の写真を何枚か見せて貰ってたんだが、なんかこう……気配を感じたんだ。あの場にもう一人居なかったか?」


 鋭さを増した質問に、俺は意味が分からないと言いたげに首を傾げて見せた。

「もう一人って?」と逆に問うことで『思い当たる節がまったくありません』と示しておく。



 ……が、実際には思い当たる節はある。

 というか、居る。今俺の目の前に。怪訝な表情を浮かべている男達の中に、一人で真っ青になりながら。


 言わずもがな、木戸である。


 もちろんそれを言うわけにもいかず、どう切り出すかと考えていると……。



「友達です!」



 と、威勢の良い声が聞こえてきた。

 見れば窓の外には珊瑚の姿。暑いのか扇子ではたはたと己を扇いでいる。

 彼女の登場と発言に誰もが視線を向けた。


「よぉ、妹。いや、この場合は『よぉ、友達』って言うべきか」

「健吾先輩の妹じゃありませんし、友達じゃ……。さすがにこれは失礼な発言ですね。言わないでおきましょう。つまり私は健吾先輩の妹じゃありませんがそれは私の友達です!」

「なんだか言い回しがややこしいな」

「ややこしくさせたのは健吾先輩です!」


 きっぱりと断言し、次いで珊瑚が俺を睨んでくる。――いつもの応酬をしつつも『友達じゃありません』とは言わずにおいてくれたのが嬉しいのはここだけの話――

 責めるような彼女の視線に対して軽く謝罪を返せば、話を聞いていた一人が「芝浦の妹の友達?」と尋ねた。


「はい。皆さんが言ってる『もう一人』って私の友達のことです。偶然プールで遭って、ちょっと話したり、写真をお願いしたんです」

「芝浦の妹の友達……。中学の時のか? それなら一年で知ってるやつがいるかも」

「いえ、私がこっちに引っ越してくる前の友達なので、皆さん知らないはずです」


 珊瑚の口調は随分とはっきりとしており、まるで事実を平然と語っているかのようだ。

 隠し事の後ろめたさや誤魔化すようなしどろもどろさは皆無である。

 それでもなお話を聞いていた一人が俺に視線を向けてくるのは、彼女の話が正しいかを問いたいのだろう。随分と疑い深いその視線に、俺は一度頷くことで肯定した。

 あくまで表情は冷静を取り繕い、むしろ「あぁ、なんだそのことか」とでも言いたげに。


 そのかいあってか男達も信じ始めたようで、次いで後方へと視線をやった。


「……そう言ってるけど、月見さん、本当?」


 俺に対して問い詰めてくる声色とは一転して、男達が優しく月見に尋ねる。

 それを受けた月見はと言えば……、


「本当だよ、珊瑚ちゃんの友達だよ……」


 と、机に突っ伏したままゆっくりと顔を上げて答えた。

 だが答えるとすぐさま力尽きて顔を下げてしまう。「まだ暑いよぅ……」と掠れた声が聞こえてきた。

 二学期が始まったとはいえまだ暑い。むしろ最近は残暑の方が厳しい年もあり、きっと九月いっぱいは暑く、そして九月いっぱいは月見は溶けているのだろう。

 彼女が朝から固形状態を保てるようになってようやく秋と言えるかもしれない。


 そんな事を考えながら机に突っ伏す月見を眺めていると、男達も納得したのか「そうだったのか」と誰からともなく頷きだした。

 次いで代表のように話していた男子生徒が片手を差し出してくる。


「変なことを聞いて悪かったな。少し疑心暗鬼に陥っていたようだ」

「いや、気にするな。ただ握手は暑いから嫌だ」


 何が悲しくてこの暑い中で男と握手しなくてはいけないのか。そうはっきりと拒否すれば、相手も同感だったのか差し出していた手を引いた。

 そうして「またな」と残して教室を去っていく。足並み揃えているのは格好つけているからだろうか。その姿はまさに『颯爽』という言葉が似合っている。



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