第31話 近くて遠い、近付いた距離

 



 着替えを終えて施設を出て、電車に乗って帰路に着く。

 遊んでいた時には感じなかった疲労が一気に押し寄せ、電車の中では危うく全員眠って乗り過ごすところだった。眠らないようにと会話をしても誰からともなくうつらうつらと船を漕ぎ、目的の駅になって互いに起こし合って慌てて電車を降りる状況だ。


 俺は宗佐と珊瑚と共に最寄り駅で降り、ロータリーで迎えの車を待っていた。

 宗佐のお母さんが車で迎えにくるらしく、ついでに俺も乗せてもらえることになったのだ。暗かろうとバスで帰れば良いと考えていたが、先日の墓参りの件の礼にと食い下がられたので有難く世話になる事にした。


「色々あったけど楽しかったな」


 晴れ晴れとした声色で宗佐が笑う。

 それに対して俺も頷いて返した。確かに面倒事は起こったが、終わってみればそれも含めて楽しかったと言えるだろう。

 自分達の手で犯人を捕らえられたのも、周囲に言い触らしこそしないが少し誇らしくもある。


 そんな俺達の話に珊瑚が良かったと言いたげな表情を浮かべた。

 彼女は帰路の最中、自分がおかしなことに巻き込まれたせいだと俺達に詫びてきたのだ。だが彼女に一切の非はない。

 それを聞いて、俺達はを誰もが珊瑚のせいではないと話し……、そして木戸はコンビニで買ったアイスを差し出していた。――これに関してのみ珊瑚は「なぜ……?」と不思議そうな表情をしていた。アイスはしっかり食べていたが――


「健吾、この間と言い今日と言いありがとうな。お前があいつの携帯電話を守ってくれてなかったら、盗撮に関しては有耶無耶にされてたかも」

「別に、その場で出来ることをやっただけだ。でもあの時の俺のスライディングレシーブは我ながら褒め称えたいくらいに見事だったな。あとは着水が決まってれば満点だったんだけど」


 惜しかった、とわざとらしく悔やむ素振りをしてみせる。

 もちろん冗談だ。改めて礼を言われるとどうにも照れ臭くなってくる。

 だというのに珊瑚まで俺を見上げて礼を告げてくるのだから、気恥ずかしさは増して居心地の悪さまで感じてしまう。「気にするなよ」と慌てて二人を止めた。


「宗佐だって、実行犯を押さえたわけだし活躍しただろ」

「そうだな。……でも珊瑚の事は守れなかった。やっぱり俺が守らないと!」


 拳を強く握って宣言するあたり、今の宗佐は兄としての使命感に燃えているのだろう。

 次いで珊瑚に向き直ると、自分が居ながら危険に晒してしまったと詫び、そして堂々と「これからは俺が守るからな」と告げた。

 その言葉も、声色も、真っすぐに見つめる視線も、同性の俺からしても男らしいと思えるほど。

 もっともそこには兄としての気持ちしかない。たとえ男らしかろうと、宗佐は『男』としてではなく、『兄』として告げているのだ。


 珊瑚もそれは分かっているはず。

 それでも、彼女の頬がほんのりと赤くなっているのが夜の暗さの中でも分かった。

 そしてどういうわけか、頬を染めて宗佐を見つめ返す珊瑚から目が離せない。


 俺が居たのに、とか、

 俺だっているのに、とか、

 そんなわけの分からない対抗心が俺の中で靄を作って渦巻く。

 

 だがそんな俺の胸の内など知る由もなく、珊瑚は告げられた言葉に胸を打たれたと言いたげに胸元を押さえ、吐息交じりに宗佐を呼んだ。


「宗にぃ……。そんなに私のことを……」

「当り前だろ、俺が必ず珊瑚を守る。よし、まずは水着の新調だ! 今度こそ俺が完璧に安全な水着を選んでやるからな!!」


 兄の使命感に燃えたまま宗佐が高らかに宣言する。これもまた先程同様に堂々としたものだ。

 先程まで頬を染めて見つめ返していた珊瑚が一瞬にして顔を顰め、そのうえ「丈の長い水着を着させられる!」と悲鳴をあげた。


「今の宗にぃは絶対に変な水着を選ぶでしょ!」

「変な水着? そんな、俺は安全を考慮して選ぶだけだ。考えてみろ、丈の長い水着なら露出も押さえれるし日焼けもしにくい。いっそ帽子代わりに頭まで覆っても良いかもしれない!」

「その格好はダイバーや海女さんだよ。私にどこまで潜れって言うの!」


 宗佐の熱い訴えに珊瑚が抗い、挙句にさっと俺の背に隠れた。

 俺を盾にし、そして擁護をと期待しているのだろう。兄妹の言い争いに挟まれるのは複雑だが、俺を頼って背に隠れる珊瑚の事は可愛いと思う。

 それに絆され「落ち着け」と宗佐を宥めれば、俺の擁護を得られると察して珊瑚が表情を明るくさせて見上げてきた。味方を見つめる期待に満ちた瞳だ。


「いいか宗佐、お前が心配するのは確かに分かる。だからって無理に趣味じゃない水着を着せるのは違うだろ」

「……確かにそうだな」

「それに、被害に遭った妹にこれ以上嫌な思いをさせるのか?」


 二度と被害に遭わないようにと対策をするのは当然だ。だがそれを考えすぎるあまり珊瑚に無理を強いては意味がない。そう話せば宗佐が確かにと言いたげな表情を浮かべた。

 ちなみに珊瑚はいまだ俺の背後に隠れたまま、先程から小声で「そーだそーだ」と後押ししている。

 そんな珊瑚に一度視線をやり任せろと頷いて返せば、彼女の瞳が更に期待で輝いた。そして宗佐も落ち着きを取り戻した声色で俺を呼んできた。納得したのだろう、晴れ晴れとした表情をしている。


「確かに健吾の言う通りだ。俺は珊瑚を守ることばっかり考えてて、一番大事にするべき珊瑚の気持ちを考えられなかった」

「ようやく分かってくれたか。無理に水着を新調する必要はない。……ただ、結び目をがっちりと接着剤で止めておけば良いだけの話だ」


 これで解決、と俺が断言すれば、宗佐が目から鱗が落ちたと言わんばかりに顔を上げた。

 対して珊瑚は悲鳴をあげて俺の背から慌てて離れていく。


「その手があったか! さすが健吾!」

「その手はないよ! 宗にぃ、落ち着いて!」

「接着剤は透明のにしてやれよ。最近流行ってるレジンってやつが良いんじゃないか?」

「お洒落にがっちりと固められる! 健吾先輩も落ち着いてください! ひとの水着を魔改造しないで!」


 やめて! と珊瑚が喚き俺と宗佐を睨んでくる。

 彼女の鋭く警戒さえ感じさせる視線に、宗佐が困ったような声色で「だけどな」と食い下がった。それ程までに心配しているんだと訴えるので俺も思わず頷いてしまう。

 珊瑚を擁護する気はある。……擁護する気はあるが、個人的な考えは宗佐と同じだ。もし宗佐が水着の結び目をがっちり固める気でいるのなら俺は喜んで協力しよう。


 そんな俺達の意思を感じ取ったのか、珊瑚が溜息をと共に肩を落とした。 


「もう、健吾先輩まで……。過保護で心配性な兄は一人でも手一杯なのに」


 まったくと言いたげに珊瑚が落胆を露わにした声色でぼやく。

 そんな彼女を見つめ、次いで宗佐と顔を見合わせた。

 

 先程の珊瑚の言葉は、まるで俺まで兄のようだと言いたげだった。

 過保護で心配性な元々の兄である宗佐に加えて、俺という過保護で心配性な兄が増えた……と。

 つまり俺は彼女の中で、『兄の友人』から、『兄のような兄の友人』になったのだろうか。なんだかおかしな立ち位置である。


 だが珊瑚を気に掛けている自覚はあるので反論も出来ずにいると、宗佐が真剣みを帯びた声色で俺を呼んできた。

 普段の宗佐とは違う重々しい空気に思わずドキリとしてしまう。もしや、俺が珊瑚を心配し過ぎていることに何かしら思うところがあるのか……?


「な、なんだよ……」

「健吾、いくらお前には世話になってるとはいえ、珊瑚の兄は世界で唯一俺だけだ。珊瑚は俺の、俺だけの、他の誰のでもない俺ひとりだけの妹だ。譲らないぞ!」

「……馬鹿らしい。兄妹なんて譲る譲らないの話じゃないだろ」


 宗佐の相変わらずなシスコンぶりに思わず溜息を吐く。

 次いで珊瑚へと声を掛けた。


「なぁ、妹」

 

 そう俺が同意を求めれば、話を聞いていた珊瑚と宗佐が揃えたようにきょとんと一度瞬きをし……、


「健吾先輩の妹じゃありません!」

「だから珊瑚はお前の妹じゃありません!」


 と、いつもの応酬を兄妹バージョンで返してきた。



 宗佐の言う通り、珊瑚は俺の妹じゃない。

 そして俺も珊瑚の兄じゃない。



 俺と珊瑚はただの『兄の友達』と『友達の妹』でしかない。






 ……とは、さすがにここまできて言う気はないけれど。



 

 …第二章 了…






第二章完結です。お読み頂きありがとうございました!

前後編の幕間を挟み、三章秋のお話に続きます。

賑やかな文化祭。健吾の心境に大きな変化も……? 引き続きお読み頂けると嬉しいです。


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