第20話 真夏のプール
先日の墓参り同行から数日後、相変わらず外は暑く、射すような日射しが降り注いでいる。
だが目の前にプールがあると不思議と幾分涼しく思え、それどころか暑いからこその光景とまで考えるに至っていた。やはり俺も単純なのだろう、宗佐の事はあまり言えない。
「しかし、こう……。向こうが出てくるのを待つって言うのもなんだか落ち着かないな」
更衣室から出て案内板近くのベンチに腰掛け、隣に座る宗佐へと声を掛ける。
こちらも同様、浮ついているがそれをどうにか隠そうとして、結果的に隠し切れず落ち着きのなさを露見させている。妙にそわそわとし「女の子は着替えに時間が掛かるからなぁ」なんて上擦った声で返事をしてきた。
その間も女性更衣室から着替え終えた人が出てきて、時折は「お待たせ」と声を上げている。そのたびに俺も宗佐もぴくりと反応し、他人と分かっても落ち着きを無くしてしまう。
情けないと言うなかれ。
思い返せば、異性とプールなんて授業以外で初めてなのだ。――もちろん母親と義姉はノーカウントで――
といっても、もちろんだが変な期待や下心があるわけではない。
月見も桐生先輩も、そして珊瑚も、恋心を寄せているのは宗佐だ。それは理解している。
……理解しているが、それでもやはり落ち着きを無くしてしまう。
「俺も宗佐程じゃないが馬鹿だよな。なぁ宗佐」
「だからなんでそう突然俺を貶したうえで達観するんだ。絶対に同意なんかしないからな」
「まぁそう言うなって。でも妹も元気になったみたいで良かったな」
半ば無理やりにでも珊瑚の話題を出せば、俺を睨んでいた宗佐の表情が一瞬にして明るくなった。
俺に貶された記憶も頭の中から消え去ったのか、先日は世話になったと礼まで言ってくるではないか。自分が単純だと自覚しているが、こいつよりはマシだと思う。
そんなやりとりの中、俺と宗佐の肩が同時に叩かれた。
はっと息を呑んで勢いよく振り返れば、そこに居たのは……、
「よぉ二人共、待たせたな」
と、妙に爽やかな笑みを浮かべる、水着姿の……木戸。
そう、木戸である。
さも当然のようにそこに立ち、口調も待ち合わせしていたかのようではないか。
こいつ……と俺が思わず表情を歪める。
「お前、ここまで着いて来たのか……。待て、お前も居るってことは!?」
まさかいつも通り、親衛隊達まで集結しているんじゃないのか。プールまで来て嫉妬だの吊るすだのと騒がれるのはごめんだ。
だが慌てて周囲を見回すも、木戸以外の男子生徒の姿はない。
「安心しろって、今日は俺一人だ。ここに遊びに来るのは『明日』だって桐生先輩が情報を流してたからな。皆それを信じて、明日乗り込むつもりでいる」
「なるほど、あえて違う情報を流すことで妨害を阻止したのか。さすが桐生先輩。……で、お前だけは事実を知って、抜け駆けしたってことか」
「そういうこと。というわけで、ばらされたくなければ今日一日よろしく」
仲良くやろうぜ、と木戸が笑う。罪悪感など一切感じていない、むしろしてやったりと言いたげな顔だ。きっと木戸のような男を『食えない奴』と言うのだろう。
ちなみに宗佐はと言えば、木戸の厄介さに全く気付かず歓迎ムードだ。それどころか先程の会話をどう曲解したのか『木戸は桐生先輩が呼んだ』と解釈する始末。
「……宗佐、お前それはどうなんだ」
「芝浦、俺が言うのもなんだけど、お前そんなんだから恨まれるんだぞ」
俺と木戸が冷ややかに宗佐を見つめる。
だが次の瞬間聞こえてきた「お待たせ」という声に、俺達は――「恨まれてる!? 俺が!誰に!?」と躊躇っている宗佐も含めて――揃えて動きを止め……そしてゆっくりと振り返った。
「ごめんね、着替えに手間取っちゃって」
照れくさそうに笑いながらこちらに来るのは、水着に着替えた月見。
上はフリルをあしらった白色、下は花柄の短いスカートを履いており、穏やかに微笑む彼女に似合って可愛らしい。普段は下ろしている髪も器用に編み込まれており、それがまた夏らしさを感じさせる。
もっとも、高校生らしからぬ体つきとその殺傷能力もとい魅力は『可愛らしい』の域を優に出ている。
恥ずかしいのか胸元を隠そうと腕で押さえているが、それが余計に……というのはさておき。
「晴れて良かったわ。暑いのも日焼けするのも嫌だけど、こういう時は別よね」
上機嫌で話すのは桐生先輩。
さぞや大胆な水着を……と思いきや、白いカギ針編レースのトップスを着ていた。洋服というには薄いからきっと水着の付属品なのだろう。丈は腰元まであり、彼女の胸元や腰をふわりと覆うように隠している。
……もっとも、トップスで隠しても抜群のプロポーションだと分かるから流石である。というか、トップスは腰までしかなく、そこから伸びる長くしなやかな足だけでも並のモデルは白旗をあげて逃げ出すだろう。
そんな二人の登場に、周囲が一瞬にしてざわつきだした。
無理もない。俺だって第三者としてここに居て二人の姿を見たら動きを止める。中には「モデル?」とひそひそと話す声までも聞こえてくるではないか。
もっとも当の二人はそんなざわつきには一切気付かず、施設内マップを嬉しそうに眺めているのだが。
「まずどこから行こうかしら。着替えてる最中、月見さんってば『ウォータースライダーはしばらく遊んでからにしましょうね、水に慣れてからが良いですよね』って五回くらい言ってきたのよ。その必死さに免じて、スライダーは最初に行く候補から外してあげましょ」
「き、桐生先輩! その話はしないでって言ったじゃないですか!」
地図を見ながら話す二人には、周囲の囁き声も届いていないようだ。
そのやりとりを木戸が「あえて隠すのも良い」と拝みかけながら眺めている。挙句、宗佐が二人から水着選択の礼を告げられると事態を理解し、……そして握手を交わした。
「俺からも感謝する、芝浦、ありがとう」
「なんで木戸君からも感謝を……。い、痛い、待って手が! 強く握りすぎ!!」
「いやぁ、素敵な水着を選んでくれてありがとうな、芝浦。本当、感謝と嫉妬が渦巻くぅ……!!」
木戸の胸中はさぞや複雑なのだろう。確かに桐生先輩が今着ている水着は素敵だ。
抜群のプロポーションをあえてトップスで隠すところも小悪魔的な桐生先輩らしいし、なによりかぎ針編みのトップスは少し大人っぽくて彼女に似合っている。
水着選びの時はなんで今ここでファッション魂を燃やすのかと呆れていたが、なるほど確かに、燃やすほどのファッションセンスがあったと納得できる。
そんな感じで俺は素直に宗佐のセンスを認めたわけだが、桐生先輩に惚れている木戸はそうもいかないのだろう。
複雑だなぁとのんびりと考えている間にも、宗佐の悲鳴がますます強くなる。更にその隣では冷やかす桐生先輩に対して月見が悲鳴をあげており、かなり賑やかだ。
そんな中、「予想以上に皆さんはしゃいでますね」と、ちょっと呆れを交えた声が背後から聞こえてきた。
「よぉ妹、相変わらず面倒くさい感じに賑やかに……」
賑やかになってるぞ、と言いかけ、振り返るや言葉を止めた。
そこに立っているのは、俺達の騒ぎを冷ややかに眺める珊瑚。……水着姿の。
ホルターネックの空色のワンピース。下はスカートになっており、シンプルながらに女の子らしさを感じさせるシルエットになっている。
その姿に、俺は一瞬言葉を失い……そして怪訝そうにこちらを見つめる珊瑚に「健吾先輩?」と顔を覗かれ、ドキリとしてしまった。
「どうしました?」
「い、い、いや、別に……。あいつらはいつも騒がしくて困るなぁ」
無理やりに宗佐達の話題を出しそちらへと顔を向け……それでいて横目でちらりと珊瑚を見る。
水着だ。当然と言えば当然なのだが、水着である。
見慣れた蒼坂高校の制服でも無ければ、先日の墓参りで着ていた黒く落ち着いたワンピースでもない。時々新芝浦家に遊びに行って遭遇するときのラフな服装ともまた違う。
その姿はなんとも言えず新鮮で、直視して良いのか分からなくなる。
だけど、なんで俺はここまで動揺しているのだろうか。
珊瑚の水着はワンピースタイプ。月見の水着みたいに腹部や腰が露わになっているわけでもなく、桐生先輩のような上は隠しつつも下は大胆に晒すようなタイプでもない。
布面積は彼女達の中で一番多い。
「不意打ちだったから驚いただけだな。うん、そういう事にしよう……。ところで、今日も暑いから気を付けろよ」
誤魔化すように空を仰いで暑さを心配すれば、珊瑚が不思議そうに首を傾げつつ、それでも先日の事があるからか「気を付けます」と素直に頷いた。
「分かってます。ちゃんと対策しますよ」
「対策か……。とりあえず一時間遊んだら十分は日陰に入るようにしろよ。あと小まめに水分補給して、少しでも体調が悪いと感じたら俺か宗佐に報告。それに急に立ち上がったり動くのも駄目だからな」
「予想以上に対策が厳しい……! そんなに心配しなくても大丈夫ですよ!」
「なるほど『大丈夫』か。その言葉、この間も聞いた気がするけどな」
指摘してやれば、返事替わりに小さな呻き声が返ってきた。
この暑さのもとでは彼女の『大丈夫』はあまり信用できない。
いざとなれば宗佐と結託してでも日陰に連れ込むと宣言すれば、俺が本気だと察したのか珊瑚が参ったように「従います」と素直に答えてきた。
そんなやりとりのおかげか、俺も幾分かは冷静になった。
改めて水着姿の珊瑚を見て、「それで」と話を改める。……その声が未だ上擦っているあたり、自分が思っているほど冷静さは取り戻せていないのかもしれないけれど。
「それが月見と桐生先輩に選んだもらった水着か?」
「はい。二人共自分の時と同じくらい真剣に選んでくれました」
「そうか、良かったな。うん、良いんじゃないか。……に、似合ってると思う」
「ありがとうございます。家に帰ってお母さんにも見せたんです。そうしたらお母さん凄く褒めてくれて、せっかくだから久しぶりに家族でプールに行こうって」
彼女が口にする『お母さん』という単語は自然で、それどころか褒められたと嬉しそうだ。
そこに、数日前に見た辛そうに二人の母を語る色は無い。良かった、と小さく内心で呟いた。
「家で着たってことは、宗佐にも見せたのか?」
「はい。……でも」
「でも?」
「いえ、何でもありません。そういえば、宗にぃがさっき飲み物を買いたいって……」
ふと珊瑚が言葉を止め、「宗にぃ!」と宗佐を呼んだ。
いまだ木戸に手を握られ悲鳴をあげていた宗佐がはたと我に返り、そそくさと逃げるようにこちらに来る。軽く右手を振っているあたり相当痛かったようだ。
「宗にぃ、あっちに自販機あったよ」
「わざわざありがとうな珊瑚。それと、やっぱりその水着似合ってるな。可愛いよ」
宗佐が珊瑚を褒め、自販機へと向かっていく。
今の褒め言葉は兄としてのものだ。それは横で聞いていた俺にだって分かる。照れることなく、恥ずかしがることもなく、言い淀む様子も勇気を出して口にしたといった様子もない。ただ兄として見て、妹の水着を褒めただけだ。
そこにあるのは家族愛だけ。
それはきっと珊瑚も分かっているはず。
だけど、それでも、宗佐に褒められた珊瑚は嬉しそうだ。
頬を赤く染め、胸元を押さえる手はまるで宗佐からの「可愛い」という言葉を胸の内にしまうかのようではないか。
……なんだか少し釈然としない。
俺だって褒めたのに。
なんて、そんな事を考えてしまった。
本当、どうしたんだろう、俺は。
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