第21話 真夏のプールⅡ

 


 妙なもどかしさを抱きつつ、自販機へと向かっていく宗佐を眺める。

 次の瞬間、女性の高い声が聞こえてきた。次いでざわつきが上がる。

 いったい何事かとそちらへと視線を向ければ、珊瑚も窺うように後ろを向き……、


 そして、俺の目に、大きく布地が開かれ露わになった彼女の背中が映りこんだ。


「い、妹……!?」

「先輩の妹じゃありませんけど、何かあったんですかね?」

「いや、そ、それどころじゃなくて……。その水着、せ、背中が……」

「背中?」


 背中がどうしました? と珊瑚が俺に背を向けたままこちらを振り返る。

 正面から見た時はワンピースタイプだった。ホルターネックとはいえ下はスカートになっており、水着にしては露出が少ない方だろう。

 だが後ろを向けば一転。肩から背中、それどころか腰の半ばまで大きく開かれている。背中には左右を留めるためのリボンが一本通っているが肌を隠すほどではない。むしろヒラヒラと裾が揺れて目が離せなくなりそうだ。


「そ、その水着、前面と背面の布の比率が間違えてないか!?」

「間違えるわけないじゃないですか。こういうデザインですよ。知らないんですか?」


 遅れてる、と珊瑚が得意げに笑い、見せつけるように俺の目の前でクルクルと回りだした。

 女の子らしいワンピース姿でひらりとスカートの裾を揺らし、かと思えば背骨のラインがすっと浮いた背中が大胆に露わになる。それが交互に俺の視界に映りこむ……。


 肌が白い、

 腰が細い、

 背中が薄い、

 肩が小さい、

 いや、もうすべてが小さい。


 目の前に晒される肌に思わずそんな事を考えれば、先日彼女を抱きかかえた時の重さまで思い出してしまう。


 これはまずい! と咄嗟に顔を背けた。


「そ、そうか、そういうデザインなのか! うん、良い水着だな。似合ってると思う。でも宗佐がよく認めたな!」

「反対されると思って、宗にぃには前面しか見せてません!」


「お待たせー、珊瑚も何か飲み物……。あ、あぁー!! なんだその水着!? せ、背中が!!」


「今バレました!!」


 宗佐が慌ててこちらへと駆け寄ってきた。

 どうやら珊瑚の水着を単なるワンピースタイプだと思っていたようだ。あわあわと慌てふためき「どうりで不自然に横移動してると思った……」と呟いている。

 背中が、露出が、と焦り、挙句に珊瑚を己の体で隠そうとする。


「宗にぃ、これぐらいの水着は普通なの。それに水着はこれ一着だし、宗にぃが反対したって着替えようがないでしょ」

「そ、そうだけど……」

「……それとも、もしかして似合ってない? それなら着替えるけど」


 拗ねたように珊瑚が問えば、それに対して宗佐は困ったと言いたげに眉尻を下げ「似合ってるよ」と褒めた。次いでむぐと言い淀むのは「似合ってる、で《・》」と言いたいところを堪えたのだろう。

 水着は似合っているが、かといって兄として妹の露出を認められない。そんな複雑さが表情から滲み出ている。


 だが珊瑚はそんな宗佐の胸中など気にもかけず「似合ってる」という言葉にパッと表情を明るくさせた。


「似合ってるなら問題ないでしょ。それにほら、こんな所に立ってても暑いだけだよ」


 早く行こう、と珊瑚に急かされ、宗佐が渋々と言った表情で頷いた。

 なんとも情けない態度だ。妹に強く出られない兄そのもの。

 もっとも、俺も同様。


「健吾先輩も。ほら、行きましょうよ!」


 と誘われれば、釈然としない胸の内を持て余しつつ彼女の後を着いていくしかなかった。



 ◆◆◆



 月見の熱い希望もあり、まずは流れるプール、次は波の出るプールに移り……と遊んで過ごす。

 そうして昼時を少し過ぎたあたりで、飲食店も空いてきたからと昼食にする事にした。


「いっぱい遊んだからお腹空いちゃった。何食べようかなぁ。ここの遊園地って飲食店も豊富で、夏はプールでもいろんな食べ物が選べるらしいね」

「あら、月見さん、ビキニなのにお腹いっぱい食べる気なのね。勇気があって素敵」

「ひっ……!」

「月見先輩、この後ウォータースライダーに行くからお腹いっぱいまで食べるのは控えた方が良いんじゃないですか?」

「そんなっ……!」


 桐生先輩と珊瑚が意地悪く笑う。なんて息の合ったやりとりだろうか。的確に月見の急所を突いており、哀れ間に挟まれた月見は腹部を押さえて震えるしかない。

 そんな反応が楽しかったのか珊瑚と桐生先輩が揃えて笑いだすのだが、そのタイミングまでぴったりときた。揶揄われたと察した月見が怒る素振りをするが、それがまた珊瑚と桐生先輩の笑いを誘う。


 女の子が三人、冗談を言い合ってはしゃぐ。賑やで楽しそうな光景。

 だがその光景も俺には意外に思え「仲が良いんだな」と関心するように呟けば、隣に立って店のメニュー表を眺めていた木戸が「何がだ?」と尋ねてきた。


「妹と桐生先輩のことだよ。てっきり宗佐を取り合って牽制し合うかと思ってた」

「牽制って物騒だな。でも確かに、何度か芝浦の妹が桐生先輩に喧嘩売ってるのは見たな。『妹と書いて伴侶と読むんです』とか『血の繋がってない妹にときめかない兄など存在しません!』って言いながらだけど。芝浦もだけど、妹の方もかなりブラコンだよな」


 木戸の口調はあっさりとしたもので、それどころか珊瑚の無茶苦茶な言い分を思い出して笑っている。

 こいつもまた珊瑚を『兄想いの妹』としか考えていないのだ。

 俺だってあの時彼女の胸の内を知ることが無ければ、きっと今も珊瑚の斜め上な訴えを「相変わらずだ」と笑っていただろう。


 だけど知ってしまったからには笑い飛ばすことはできない。

 積極的に宗佐に対してアプローチしていく桐生先輩を、珊瑚はどんな想いで見つめ、そして彼女に対して『妹』として牽制しているのだろうか……。


 かといってそれを語るわけにもいかず、無理に笑って「そうだな」と返しておいた。


「桐生先輩も楽しそうに芝浦の妹にちょっかい出してるし、意外と気が合うんだろ。以前にお前達を捕まえるように言って来た時も、芝浦の妹には絶対に乱暴な事するなって言ってたし」

「なるほど、どうりで俺には容赦なかったわけだ」

「お前はどう見ても頑丈そうだからな」

「否定はできない。でもそうか、仲が良いのか」


 桐生先輩は容赦ない性格だ。宗佐を奪うためならどんな手段でも取り、自分を慕う男達すらも使いこなす。対して珊瑚は――胸の内を隠しつつ――妹としての立場を主張し、宗佐を慕う女子生徒達に牽制することが多々ある。

 二人が衝突したら……と考え案じていたが、今の彼女達を見るにその心配は無いだろう。


 良かった、と呟けば、木戸が不思議そうに俺を見てきた。


「……何だよ」

「いや、妙に芝浦の妹を気にしてるなと思って。以前の事もあるし、俺としてはお前達の仲が良い方が意外だけどな」

「えっ……」


 木戸の指摘に、思わず声をあげてしまう。


「えーっと……。ほら、宗佐の家に行くと妹と会うだろ。俺一年の頃から宗佐の家に遊びに行ってて、入学前から妹のこと知ってたし。そうなると多少はな」

「そういうものか?」

「そういうものだ」


 断言すれば、木戸が「そういうものなのか」と納得した。良かった、こいつも単純な男のようだ。

 次いで珊瑚へと視線を向ける。桐生先輩と月見と何を食べるか迷っているのだろう。時折月見がお腹を押さえて震えているあたり、隙あらば冷やかしているのか。

 月見にとっては過酷な状況かもしれないが、傍目には微笑ましくさえ見える。


「芝浦の妹か……。生意気だけど可愛い後輩だろ」

「か、可愛いって、妹のことか!?」


 木戸の発言にぎょっとして声をあげた。

 今こいつははっきりと珊瑚の事を「可愛い」と口にしていた。その言葉にどういうわけか動揺してしまう。


「そりゃ確かに可愛い後輩ではあるけど……。お前もそう思ってたってことか……」

「ん? 何の話してるんだ?」

「いや、妹のことを……」

「だから生意気で可愛い後輩なんだろ。桐生先輩、そういうタイプ好きそうだし、気に入ってるんじゃないか?」

「あ、桐生先輩の事か。そうだよな、うん。そうだよな。生意気だけど可愛い後輩、確かにそうだ。桐生先輩が喜んでちょっかい掛けそうなタイプだな」

「……敷島、お前大丈夫か? 熱中症にでもなったのか?」


 訝し気に俺を見つめてくる木戸に、片手を振って何でもないと返す。

 問われたところで、俺自身どうして自分がこんなに動揺しているのか分からないのだ。説明など出来るわけがない。むしろ誰かに説明してほしいぐらいだ。

 ならばこの話題は早く終わらせるべきだと考え、何を食べるかと話題を変える。幸い木戸も深くは考えていないようで、俺の話にのって視線をメニュー表へと戻してくれた。


 もっとも、その直後、



「そうだろう、珊瑚は可愛いだろう!」



 と、得意げな声が背後から聞こえてきた。

 もちろん宗佐である。木戸が振り返り、対して俺は……なぜかぎくりと肩を震わせ、強張った体でギチギチと音がしそうなほどぎこちなく振り返った。



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