第15話 何年か前の今日

 


 頼まれていた買物は家に電話をして健弥に押し付けた。

 最初こそ文句を言ってきたが俺の声色から事情があると察して応じてくれたのだから、持つべきものは話の早い弟である。……後ほど何かしら要求されるだろうが。

 そうして駅のホームへと降りれば、すぐに珊瑚の姿を見つける事が出来た。

 ホームに設けられたベンチに座っている。どことなく落ち着きなく、腕時計と頭上の電光掲示板を交互に見ていた。


 そんな彼女に、なんと声を掛けるべきか……。


 だが相変わらず上手い言い回しなど思いつかず、仕方ないと腹を括り、俺はさも当然と言いたげに近付くと彼女の隣に腰を下ろした。

 きょとんと眼を丸くさせて俺を見上げてくる。


「俺も行く」

「……宗にぃですか」


 どうやら説明せずとも事態を理解してくれたらしい。珊瑚が全くと言いたげに肩を竦めた。

 手元にある携帯電話に視線を落とし「心配性なんだから」とぼやく。

 だが俺に対しては拒否の姿勢は見せず、それどころか「宗にぃが無理言ってすみません」と謝ってきた。ひとまず同行は許されたようだ。


 はたしてそれは、俺ならば良いと考えてくれたからか、それとも無関係な俺なら居ても居なくても同じと考えたからか。

 そのどちらかは気にはなりつつも尋ねる事など出来ず、誤魔化すように電光掲示板を見上げた。



 ◆◆◆



 急行に乗り、更にそこから一度乗り換える。

 降りたのは随分と栄えた駅だった。駅自体が大きな百貨店と併合しており、外に出れば建物が幾つも見える。夏休みだけあり人も多く、わざわざこの駅に買物や遊びに来たという者も多いようだ。映画館もあるのか道に沿ってポスターが並んでいる。


 だがシャトルバスバスに乗って十分ほど走ると、景色は途端に自然溢れるものになった。

 あれだけ栄えていたのが嘘のようで、駅回りの大型の建物が畑越しに見える。なんとも不思議な光景だ。

 珊瑚曰く、駅周辺はここ数年で一気に開発が進んで栄えたらしい。ゆえに駅周辺と少し離れた場所では温度差があるのだという。

 それを話す珊瑚の声に到着を知らせるアナウンスが被さった。霊園前という言葉に窓の外を見れば、それらしき広々をとした施設が見えた。



 霊園に入り、まずは管理事務所へと向かう。

 中は広く、休憩スペースや食事をする個室も用意されている。

 ここの霊園も駅周辺の開発に合わせて大規模な改装をしていたのだという。休憩スペースからは整えられた庭を眺めることもでき、子供が外に出て遊ぶことも出来るらしい。


「ここでお茶も出来るんです。あと、ちょっと歩くと大きな公園とかコンビニもあって……」


 それで……と珊瑚が言葉を詰まらせた。

 言いたい事は分かる。むしろこれ以上彼女に言わせてはいけない。

 そう考え、俺は彼女が再び喋りさるのを「そうか」と言葉を被せることで制した。


「それなら公園に行ってみるか。写真撮って送ってやれば宗佐も安心するだろ」


 そう告げれば、珊瑚が眉尻を下げつつも安堵の表情を浮かべた。

「すみません」と小さく謝罪の言葉を返してくる。しまった、結局珊瑚に気を遣わせてしまった。


「無理に着いて来たんだし俺の事は気にするなよ。それにほら、全部宗佐のせいだから」


 なぁ、と同意を求めれば、申し訳なさそうにしていた珊瑚が一瞬目を丸くさせた後、ふっと肩の力を抜いて笑いだした。


「宗にぃに写真を送るなら『宿題をして待っていて』って伝えてください。宗にぃってば、まだ鞄から出しもしてないんですよ」

「分かった、送っておく。……でもあんまり期待はするな」


 望みは薄いと断言すれば、珊瑚が露骨に肩を落とした。

 まったくと言いたげに首を横に振る。いつもの生意気な彼女らしい仕草だ。少しは気が楽になっただろうか。


「それじゃあ、戻ってきたらそこの休憩スペースにいるから」

「はい。何か注文したら全部宗にぃに請求してください」


 悪戯っぽく珊瑚が笑う。

 胸の内を隠そうとするぎこちない笑みだが、この場所と、そしてこの場所に来た理由を考えれば、普段のように純粋に笑うのは難しいだろう。

 それでも「また後で」と告げて去っていく足取りははっきりとしており、駅で見かけた時の遅々とした歩みではない。



 ◆◆◆



『急に無理言って悪かったな』


 携帯電話から聞こえてくる謝罪の声に、俺は「気にするな」とだけ返した。


 場所は霊園から少し離れた場所にある公園。先程珊瑚が言っていた場所だ。

 遊具は少ないがとにかく広く、ボール遊びをする子供達も居れば、木陰では親子連れがシートを敷いて寛いでいる。

 俺はそんな公園の一角にあるベンチに座り、来る前に立ち寄ったコンビニで買ったパンを食べていた。

 話し相手は宗佐。俺が適当に景色を写真に撮って送ったところ、またも返事ではなく直接電話をかけてきたのだ。その必死さから、どれだけ珊瑚を案じていたかが分かる。


「どうせ買物して帰っても子守りさせられただけだからな。それはそうと、お前ちょっとは宿題やっておけよ。去年の夏休み、ギリギリになって俺の家に駆けこんできたの忘れたのか」

『母さんとおばあちゃんにも話したら二人共感謝してたよ。今度改めてお礼がしたいって』

「俺は別に着いてきただけだから、お礼なんて良いって伝えておいてくれ。まぁ、今食ってる飯代と、管理事務所でなんか飲んだら代金はお前に請求するけどな」

『ぐっ……。そういえば、霊園のある駅って結構大きいらしいな。いつもおばあちゃんとお茶してるみたいだから、どこか寄りたいって言い出したら付き合ってやってくれ』

「宗佐、どっちも辛い話題なのは分かるが両方無視はやめろ。どちらかは反応しろ」

『金額は計算して後で教えてくれ』

「……お前、そこまで宿題について触れたくないのか」


 頑なに宿題の話を避ける宗佐に呆れつつ「今年は来るなよ」と念を押せば、電話口から乾いた笑いが聞こえてきた。

 そこまで話してようやく「それなら鞄から出すくらいはしようかな」と話すのだ。宿題に対するステップが小刻みすぎる。

 だが今は宗佐の宿題を案じている時ではない。というか、そもそも案じてやる義理は俺にはない。

 そう考えてこの話を終いにし、ふと会話の狭間に周囲を見回した。


 厳かな空気が漂い静かな霊園と違い、ここは活気に溢れている。


「……良い天気だな」

『ん? あぁ、そうだな。でももう少し涼しければ良いんだけど。……あれ、数学のプリントが見当たらない』

「今日……そうか……。宗佐、妹はちゃんと家まで送ってやるから安心しろ」

『お、おう、悪いな。頼むよ。俺は今プリントを……あれ、国語も無い!? いや、待て、宿題のプリントは全部ファイルに纏めて……纏めて学校だ!』


 宗佐が悲鳴じみた声をあげるが、聞く方としては相変わらずで溜息を吐く気にもならない。


『仕方ない、取ってくるか。この事は珊瑚には絶対に言わないでくれ』

「言うに決まってるだろ。三日間くらい部屋に閉じ込められて宿題させられるだろうな。自業自得だ」

『裏切りもの!』


 非難の言葉を最後に、ぶつんと通話が切られた。

 今頃きっと大慌てで学校に取りに行く準備をしているのだろう。そして珊瑚を連れて俺が芝浦家に向かえば、さも何もありませんでしたと言いたげな顔で出迎えて白を切るに決まっている。

 容易に想像できる光景に肩を竦め、携帯電話を鞄に戻すとベンチの背もたれに背を預けて空を仰いだ。


 なんて眩しいのだろうか。まさに雲一つない空。

 だが俺の胸中は晴れ渡る空とは裏腹に、なんとも言えないもどかしさで満ちていた。


 俺は宗佐の友人でしかなく、それも幼馴染だの家族ぐるみの仲というわけでもない。高校に入ってからの縁で、そろそろ一年半といった程度だ。

 当然と言えば当然なのだが、芝浦家について知らない事が多い。

 それに対し俺は『話したくないなら話さなくて良い』と考えていた。聞き出すのは野暮というもの。

 その考えは今でも変わらない。無理に話題に出したり、探ろうなんて思わない。



 ……だけど、もし知っていれば。

 気丈に振る舞おうとする彼女の悲痛な笑顔を、もう少し和らげてあげただろうか。




「何年前の今日だったんだろう……」


 それすらも知らない事がもどかしく、ポツリと呟いた俺の声は、聞こえてくる子供達の声に掻き消された。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る