第16話 ”いつも”の喫茶店
真夏の公園に長居は出来ず、しばらくして霊園へと戻った。
管理事務所に入ればエアコンの涼しい空気が迎えてくれる。緩やかなオルゴールの曲が流れており、暑く賑やかな公園とは何もかも真逆だ。
まだ珊瑚は戻ってきていないようで、ならばと休憩スペースの一角に座る。
飲み物を注文し、日差しが振り注ぐ庭を眺めた。
電話をしていた時、宗佐はこの霊園や最寄り駅について人伝に聞いたような口調で話していた。珊瑚と祖母が墓参り後にお茶をすることも同様。
あの話しぶりから考えるに、宗佐は墓参りに同行したことが無い。命日だけではなくきっと今まで一度も。
今日のように珊瑚が拒否しているのだろうか。他の季節なら祖母と二人で行けるから、宗佐も大人しく帰りを待つだけにしているのかもしれない。父親が帰ってきて墓参りに行くときもあるはずだ。
いつ、どんな風に、誰と、彼女はこの地に来ているのか。
もしも今日以外にも一人で来る時があるのだとしたら……。
「……駄目だ、どれだけ考えたって俺に分かるわけがない」
無理やりに結論付け、残っていたアイスコーヒーを飲み干す。
コーヒーの苦みが口に広がり、飲み込むと冷たさが喉を伝っていった。
「健吾先輩」
と、声を掛けられたのはそれとほぼ同時だ。
振り返れば珊瑚がこちらに歩いてくる。手の甲で頬を拭い、随分と暑そうだ。
「お待たせしました」
「いや、別にそんなに待ってないから気にするな。俺も公園行って宗佐と話してたから」
「宗にぃ、宿題やるって言ってました? せめて今日中に鞄から出してくれると良いんですけど」
「忘れたから学校に取りに行くって」
「鞄に入ってすらいなかったんですか……!」
宗佐のあまりのだらしなさに珊瑚がショックを受ける。
大袈裟に肩を落とし、まったくと首を横に振り、全身で呆れを示している。
だがふと何かに気付くと腕時計を確認し、「あっ」と小さく声をあげた。
「健吾先輩、もう行かなきゃ。バスが出ちゃいます」
「え、でも大丈夫か? ずっと外に居たなら少し休んだ方が良いと思うけど」
「シャトルバスの数が少ないんです。これを逃すと一時間以上待つ羽目になっちゃいますよ」
だから、と珊瑚が急かしてくる。
ならばと俺も立ち上がり、彼女と共に管理事務所を後にした。
出発のアナウンスを流していたシャトルバスにギリギリで乗り込み、来た道を戻る。
自然溢れる景色から次第に田畑が狭くなり、家屋が密集し、店が並び、大型マンションや複合施設が増えていく。
流れるように変わっていく様は社会科の授業を思い出させた。近代化がどうの開発がどうの、そういったものを分かりやすく一本の映像にすれば、今俺が見ている景色のようになるのかもしれない。
そうして到着したのが、自然溢れる景色が嘘のように栄えた駅。
楽しそうに人が行き交い、路上ライブかイベントでもやっているのか音楽が聞こえ、活気と熱気が入り混じっている。
時刻は既に四時になろうとしているが夏だけありまだ日が落ちる様子はなく、ここいら一帯が静まる気配もない。むしろこれからだと言わんばかりに駅から繁華街へと人が流れていく。
「えーっと……」
どうしたものか、と考えて間の抜けた声を出してしまう。
珊瑚は祖母と墓参りをする際、その後に駅でお茶をしていたらしい。宗佐から「どこか寄りたそうなら付き合ってくれ」と頼まれている。
それは別に構わない。ここまで来たのだ、今更お茶だの買物だのに文句を言う気はない。
……だけど、俺から言い出して良いものなのだろうか?
そもそも珊瑚はお茶をしたいと思っているのか。
祖母とならば母との思い出話も出来るだろうが、今回は俺と二人きりだ。早く帰りたいと思っている可能性もあれば、寄りたいところがあっても気を遣って言い出せないでいる可能性もある。
参った、どうすれば良いのかさっぱり分からない。
いっそスマートに「まだ時間も早いしお茶でもしようか」と誘えればどんなに良いか。
己がいかに甲斐性なしかを思い知らされる。
「健吾先輩、どうしました?」
「えっ、あ、悪い。考え事してた」
「私ちょっと寄りたいところがあるんです。……それで」
「そうか、それなら俺も行く」
話も終えぬ内に断言すれば、珊瑚が一瞬目を丸くさせた。
だがきっと俺の考えを察したのだろう、「少し付き合ってください」と苦笑を浮かべて歩き出した。
珊瑚と祖母は墓参りを終えると、いつも同じ喫茶店に向かうのだという。
店が並ぶ商業施設を抜けると一転して視界が開け、整えられた木々や芝生の緑と晴れやかな空の青が広がる。
公園というよりは庭園と呼ぶべきか。遊具は無く、代わりに彫刻や小さな噴水が設けられている。庭園の先には美術館があるらしく、なるほどどうりで、ベンチや街灯に至るまで洒落た――そして芸術とは無縁な俺には些か難解な――形をしているわけだ。
「何年か前に美術館で日本画が展示されてて、お墓参りの帰りにおばあちゃんと一緒に見に行ったんです。その後にお茶をして、それからいつも来てるんです。抹茶ラテが美味しいお店なんですよ」
レンガで美しく飾られた道を歩きながら珊瑚が話す。
第三者が聞けば他愛もない会話だと思うだろう。だけど俺は彼女が口にした『いつも』という言葉が気になった。
『いつも』という事は、一人で墓参りに来た時もこの庭園で過ごしているのだろうか。夏の暑さの中、長閑に過ごす人達を眺めながら、一人で……。
その姿を想像すると胸が痛くなる。
そして同時に、今ここに居られて良かったとも思う。
◆◆◆
珊瑚に案内されて入った店は夕方でも混雑しており、店内はおろかテラス席も埋まっていた。
ならばと庭園に出て木陰のベンチに腰掛け、どちらともなく一息吐く。
異国風のレンガ道と外灯、芸術性の高い彫刻。噴水すらも中央に銅像が立っている。西洋を意識しているのだろうか、洒落た庭園にセミの鳴き声が響き、なんだかちぐはぐなおかしさがある。
それを眺めつつ、他愛もない会話を交わす。
そんな中、珊瑚がふと「健吾先輩」と囁くような声で俺を呼んだ。
「あのこと、本当に誰にも言わないでくれたんですね」
殆ど飲み切って空に近いカップに視線を落とし、声を潜めて珊瑚が話を続ける。「ありがとうございます」という感謝の声は更に小さく、隣に居てようやく聞こえるほどだ。
それに対して俺もまた彼女には視線を向けず、目の前の景色を眺めながら「当り前だろ」とだけ返した。
『あのこと』とは他でもない、珊瑚の宗佐に対する気持ちについてだ。
普段は仲の良い兄妹として振る舞い、時には宗佐を囲む女子生徒達を牽制する。宗佐との兄妹仲を主張し、挙句に「一つ屋根の下で暮らしてます」だの「妹と書いて妻と読むんです」なんて明後日な事を言い張る始末。
それを聞く宗佐はと言えば、これまた妹に慕われて満更でも無いと言いたげだ。更には堂々と「たとえ石油王だろうと俺は認めない」と一体どこ目線なのか分からない発言までしている。
そんな二人は誰の目にも『仲の良い兄妹』と映るだろう。
月見を始めとする俺のクラスメイト達も、窓辺で会話する宗佐と珊瑚を見てそう思っている。
……だけど本当は違う。
珊瑚は『兄想いの妹』ではない。
彼女は宗佐を『一人の異性』として恋慕っている。そして宗佐を想うからこそ自分の気持ちをひた隠しにし、『兄想いの妹』を演じているのだ。
誰にも言えない。言えるわけがない。
苦しそうに訴える珊瑚の声が、涙ながらに己の恋の末路を語る彼女の顔が、俺の脳裏に蘇る。
「約束しただろ。誰にも言わない。……だけど忘れもしないし、聞かなかったことにもしない。俺だけはずっと覚えてるから」
「……健吾先輩」
俺の言葉に、珊瑚が小さな吐息を漏らして俺を見上げてきた。
眉尻を下げた今にも泣きそうな表情。力なく笑って感謝の言葉を告げてくるが、それだって苦しそうにしか見えない。気丈に振る舞おうとして、でも取り繕いきれない切なげな作り笑いだ。
今日はずっとこんな表情しか見ていない。
笑っていて欲しいのになぁ、なんて、そんな事を考えれば、どうしようもないもどかしさが胸に沸いた。
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