第12話 自分を見ない、熱い視線
水着売り場から離れ、時間潰しにフードコートへと向かう。
平日だというのにフードコートは混雑しており、周囲の学校も休みなのか子連れや俺達と同年代の集団もいる。おかげで満席状態で、空席を探してふらふらと歩く人の姿も多々見える。
そんな中でも、幸い時間も掛からず空席を見つけることが出来た。
そうして俺はコーヒーを、珊瑚はほうじ茶ラテを買い、椅子に座ってほぼ同時に一息吐いた。買物をしていたのは数時間。疲れたわけではないが、色々とあってようやく休めたと言いたい気分だ。
「それで、妹はなんで俺に着いてきたんだ? 水着は?」
「水着はもう選びました。私、買い物は即決派なんです」
曰く、あれこれと迷い試着を繰り返す月見と桐生先輩とは違い、あらかじめ数着に候補を絞り、試着をして二人に見てもらい、すぐさま決めたのだという。片手に持っている袋を見せつけるように揺らすが、生憎と中身は見えない。
それに対して俺は「そうか」とだけ返し……、珊瑚が妙な笑みを浮かべているのに気付いて眉根を寄せた。なにか物言いたげな笑みである。
「……なんだよ」
「健吾先輩、私の水着姿を見たかったんですか? 残念ですねぇ」
「はぁ?」
「可愛くて愛らしい後輩の水着姿ですもんね。見られなくて落胆するのも仕方ありません。当日を楽しみにしてくださいね。あ、でもさっきみたいに直視し難くてそっぽを向かれるのは困りますよ」
にんまりと珊瑚が笑いながら話す。相変わらず年上に対する態度とは思えない。
だがそっちがその気なら、と俺は鞄から携帯電話を取り出した。
珊瑚が僅かに警戒の色を見せ、真剣味を帯びた声で「なんですか……」と尋ねてきた。
「俺はクラスメイトの……いや、今はあえて『月見と桐生先輩の親衛隊』と呼ぼう。俺は親衛隊共の連絡先を知っている。こいつらに『今、宗佐が二人の水着を選んでいる』と告げ口をしたらどうなるか……」
「宗にぃを脅しに使うなんて卑怯ですよ! 二度も屋上に連れていかれたら、さすがに宗にぃが溶けちゃいます!」
「俺に逆らうとどうなるか一度身をもって知るが良い。宗佐の身だがな。……ん?」
手にしていた携帯電話がぶるりと震えた。
冗談もお終いだと覗き込めば、画面に表示されるのは今まさに話をしていたクラスメイトの一人の名前。
手早く操作すれば添付されていた画像が表示され……。
「なんだあいつら、ボーリングに行ったのか」
画面では、先程まで宗佐に嫉妬していた奴らが楽しそうにボーリングをしていた。
「相変わらず楽しそうだな。しかし、宗佐が月見と桐生先輩の水着を選んでる中、こっちは男だらけのボーリングか……」
格差が凄いな、と思わず憐れんでしまう。
今頃宗佐は……と考え、ふと珊瑚へと視線をやった。そうだ、元々はどうして彼女がここに居るのかだ。
「水着はもう買ったのは分かったけど、どうして宗佐達に着いていかなかったんだ?」
「どうしてって?」
「いつもならキィキィ文句言いながらも同行してそうだなと思って」
「キィキィは余計です。……でも、そうですね。着いていかなかったのは、見ていられなかったからです」
ポツリと珊瑚が呟き、視線を他所へと向けた。宗佐の事を考えているのか小さく溜息を漏らす。
その表情に、らしくなく切なげな様子に、俺はしまったと内心で己の失態を悔やんだ。
俺は珊瑚の本当の気持ちを知っているのだから、もっと言葉を考えるべきだ。
珊瑚は宗佐に惚れている。兄としてではなく、一人の異性として宗佐の事を想っているのだ。
そして同時に、妹だからこそ気持ちを口に出来するまいと考えている。ゆえにいつも過剰なブラコンを演じるのだ。
想いを口に出来ない。自分は妹でしかない。誰の恋敵にもなれない。
そんな珊瑚にとって、月見と桐生先輩が宗佐に対してアプローチする光景は、きっと見ていて辛いものがあるだろう。宗佐が自分に対してあくまで『妹』として接するから猶の事、二人との違いを見せつけられる。
そして仮に珊瑚が宗佐を独り占めしても、月見も桐生先輩も嫉妬はしない。むしろ「妹思い」と宗佐を惚れ直すだけだ。
それを辛いと感じ、耐え切れずあの場から離れたのだ。
着いて来ていると考えた己の自惚れが恥ずかしくなる。
「悪い、妹。お前の気持ちも考えずに……」
「あそこまで単純で楽に手玉に取られる兄の姿をこれ以上見ているのが辛くて……。え、なんで健吾先輩が謝るんですか?」
きょとんと珊瑚が目を丸くさせてこちらを見る。
どうやら俺の考えは全く見当違いだったらしい。
思わずガクリと肩を落としてしまう。俺は罪悪感さえ感じていたのに……。
「いや、良いんだ。俺の考え過ぎだ……。でもそうだな、確かに宗佐の単純さは見ていられないな」
「私だって、桐生先輩や月見先輩に負けじと『宗にぃ、やっぱり私の水着も選んで!』って言いたいところですよ。そうしたら宗にぃは喜んで選んでくれるはずですから」
「きっと大喜びで選ぶだろうな」
「ですが、そんな考えよりも兄の単純さと手玉に取られやすさへの心配が勝ってしまうんです。宗にぃ、高いツボとか買わされそう……」
「多分買うだろうな。というか、俺でも宗佐にツボを売りつけられる自信がある」
宗佐は馬鹿で単純だ。惚れこんでいる月見や桐生先輩達からしてみれば、その一面は『可愛い』と思えるものなのかもしれないが、珊瑚はそうもいかないらしい。
恋は盲目とはよく聞くが、芝浦家の娘として盲目にもなれないのだろう。もっとも「せめて絵画とか掛け軸なら」と呟いているあたり、珊瑚も珊瑚で少し心配だが。
「しかし宗佐の単純さは相当だな。桐生先輩の嘘をあれほどあっさり信じるなんて」
「嘘? 桐生先輩がいつ嘘を吐きました?」
「『友達にプールも海も誘ってもらえない』って言ってただろ。宗佐のやつすっかり信じ込んでる」
あんなに分かりやすい嘘を、宗佐は疑うことなく信じてしまった。
桐生先輩は男子生徒達に慕われ、自らそれを把握し男を手玉に取る小悪魔的な性格だ。ゆえに彼女に嫉妬し妬んだり苦手とする女子生徒がいるのは俺も知っている。
だが友人がいないわけではない。同性の友人と楽しそうに話す姿は何度も見かけたし、移動教室の最中に俺達のクラスに来てちょっかいを掛ける時も、友人に「ちょっと遊んでくる」と告げて離れていく。そしてそんな桐生先輩を友人達もいつもの事だと笑いながら見送っているのだ。
老若男女問わず親しみやすい性格、とは言えないが、かといって孤立しているわけではない。友人と遊びに行くこともあるだろう。
現に遊園地には遊びに行った事があると言っていた。それなら海やプールだって……、
と、そこまで俺が話すも、珊瑚がふるふると首を横に振った。
「桐生先輩は嘘を吐いてないと思いますよ。桐生先輩も月見先輩も、友達に誘ってもらえないのは事実なはずです。私だって、ただの友達ならあの二人とはプールにも海にも行きたくないですもん」
「妹、そんな意地の悪いこと言うなよ」
「先輩の妹じゃありませんし、意地悪で言ってるわけでもありません」
失礼な、と珊瑚がむくれる。
次いで拗ねたように「本屋さんに行ってきます」と立ち上がろうとするので、慌てて謝罪をして彼女の腕を掴んだ。
「悪かった、悪かったって。だからどういう意味か教えてくれ、な?」
「……仕方ないですね」
立ち上がりかけていた珊瑚が椅子に座り直す。
そうして改めて俺を見ると「鈍い健吾先輩は分からないでしょうけど」と前置きをしてきた。意地が悪いと言われたことへの仕返しだろうか。
「桐生先輩も月見先輩も、プールにも海にも誘ってもらえないっていうのは本当だと思いますよ」
「でも、皆揃って行かないって言うなら分かるけど、わざわざ月見や桐生先輩を抜きにするなんておかしいだろ」
「おかしくないですよ。だって水着ですもん」
「水着って……」
どういう事だ、と言いかけ、言葉を止めた。
ようやく彼女の言わんとしている事が分かったのだ。むしろここまで言われないと分からないあたり、やはり俺は鈍いのだろう。
俺が気付いたと察したのか珊瑚が肩を竦めた。
「人の視線って分かるものですよ。特に『こちらに向けられる、でも自分のことは見ていない熱い視線』っていうのはね」
「……妹」
「あぁ、別に私の事は気にしないでください。宗にぃは昔から可愛い女の子にモテてましたから、慣れたものです」
珊瑚の口調は達観しており、俺を気遣って誤魔化している様子も無く、かといって悲痛な気持ちを押し隠している様子もない。本当に慣れているのだろう。
……自分を見ない、男達の視線に。
気にしていないと言い切るが、俺からしてみればその強さもまた彼女の今までの辛さを物語っているように思える。
「そうか……」
「だから気にしないでくださいって。健吾先輩はすぐに顔に出ますね」
どうやら顔に出ていたようで珊瑚に苦笑されてしまう。思わず片手で口元を覆うが、きっとこの程度では隠しきれていないのだろう。
そんなやりとりの中、珊瑚がふと他所へと視線を向け、何かに気付いたように小さく声を漏らした。
「健吾先輩、もう移動できますか?」
「ん? あぁ、別に構わないけど」
「それなら、ちょっと座っててください」
そう告げて、珊瑚がガタと立ち上がると小走り目にどこかに向かった。
いったいどうしたのかと視線で彼女を追えば、赤ん坊を抱いた女性の元へと近寄って声を掛ける。こちらへと指を指すのは、きっと席が空くと案内しているのだろう。
それを見て、俺も女性と代わるために机を片した。こういう所も宗佐に似ているな……なんて思いつつ。
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