第3話 隣のクラスの厄介な奴

 


「えーっと……俺も、なんか買ってこようかなぁ……」

「いやだわ、白々しい。せっかくこの私と一対一でお話出来るんだから、もっと喜んでよ」


 酷い子、と桐生先輩がぷいとそっぽを向く。ほんの少し頬を膨らませて、見るからに拗ねていると言いたげな表情だ。

 もちろんこれはアピールでしかなく、本心が別にあるのは分かっている。俺を揶揄い、あわよくばご機嫌取りをさせようと考えているのだろう。

 そこまで分かっていても一瞬ドキリとしてしまうのは、それほどに桐生先輩が美人で、そして今は愛らしいからである。

 だがここで思惑通りにいってなるものか。そう己を心の中で一喝し、改めて桐生先輩に向き直る。


「先日のネクタイの件で桐生先輩が親衛隊を差し向けて俺と妹を捕まえたこと、俺は忘れていませんからね」


 じっとりと睨みつけながら告げれば、拗ねていた桐生先輩が一瞬にして表情を変えた。

 今度はコロコロと上機嫌で笑い「終わったことじゃない」と言いのける。そこに反省の色も無ければ謝罪の言葉もない。

 それどころか、俺のことを「敷島君って強かったのね」と褒めてきた。


「……今度は何を企んでるんですか」

「あら、失礼ね。企んでなんかいないわ。……今はまだ」

「今はまだ!? それは企んでるのと同じ事ですよ!」

「違うわよ。企んでるのと、企む前と、企んでいるけど行動する前と、おおよその事は企んでるけど具体的な計画は立てていないのでは大違い。さぁ、今の私はどれかしらね」


 しれっと問題発言を口にし、桐生先輩が立ち上がる。

「授業に遅れちゃう」と小走り目に去っていくが、それが嘘なのは言うまでもない。なにせ次の授業が始まるまでまだ時間がある。仮に次は移動教室だろうと、一度己の教室に教科書を取りに行く余裕だってある。

 彼女はあえてこのタイミングで、問題発言を投下して去っていったのだ。意味深な言動で相手を惑わせるのは彼女の得意技である。


 ちなみに先程俺が口にした『先日のネクタイの件』とは、新学期始めに起こった宗佐のネクタイを巡る騒動である。

 あの時、桐生先輩は当人こそ動かなかったものの、己を慕う親衛隊を使って俺と珊瑚の邪魔をしてきた。といっても、彼女の目的はあくまで月見の告白を妨害する事であり、無関係な事柄で動いていた俺と珊瑚は完全なるとばっちりなのだが。

 その際に俺が彼女の親衛隊を数人蹴り飛ばした事により、どうやら桐生先輩は俺自身にも興味を持ってきたようだ。


 以前であれば『いつも宗佐と一緒にいる後輩』ぐらいだったのだが、今は嬉々として俺を揶揄ってくるあたり『いじりがいのある後輩』ぐらいにはなったのだろうか。

 平穏な学校生活を望んでいる俺としては、まったく嬉しくない事実である。


 あぁ、俺も桐生先輩の親衛隊みたいに彼女を信仰出来ればまだ幸せだったろうに。

 姿を見られるだけで幸せだの、命じられて本望だの。そんな事を考えられたら、きっと今の地位を有難がったはずだ。

 ……たとえば、今俺の隣で、


「あぁ、桐生先輩なんて美しいんだ。後ろ姿だけでも麗しさが漂ってる」


 と、桐生先輩の去っていった先をうっとりと見つめる男子生徒のように。


「……木戸きど、いつの間に来た」

「ついさっき、桐生先輩がこっちの教室に来てるって聞いてすっ飛んできた。宿題忘れて焦ってやってたけど、そんなもん放ってきたぜ」


 ドヤ顔で木戸が語る。

 どうしてこいつも宗佐も、まったく誇れないところで堂々としていられるのだろうか。

 馬鹿話で貴重な休み時間を潰す気はないと睨みつけるも、上機嫌で笑うだけだ。


「そもそも、俺はネクタイの件でお前達に捕まったことを忘れてないからな」

「なんだよ、まだ根に持ってるのかよ。俺はお前に二度も蹴られたことを綺麗さっぱり水に流してやったのに」


 あの時は痛かった、と木戸が腹をおさえて大袈裟に語る。

 それに対して俺は謝罪なんてする気も起きず「自業自得だろ」と言い捨てた。


 こいつ――木戸良平きどりょうへいは俺と同じ蒼坂高校二年生であり、隣のクラスに所属している。爽やか系スポーツ少年といった風貌で、実際に運動神経も良い。体育の授業で活躍しているところをたまに目にするし、あちこち部活の助っ人にも呼ばれているという。

 性格は明るく、気のいいやつ……。

 

 なのだが、とにかく桐生先輩を慕っており、そして行動力に溢れている厄介な男である。

 

 以前起こったネクタイの騒動で俺と珊瑚を捕えた奴等の一人でもあり、なおかつ運悪く俺の蹴りを二度も喰らっている。珊瑚の泣き真似に騙されて油断して近付いてきたのもこいつだ。

 根っからの桐生先輩信者で親衛隊にも属しており、常に彼女に付き纏っている。ゆえに、桐生先輩が宗佐はおろか俺にまでちょっかいを掛けるようになった今、なにかと話をする機会が増えた。


「敷島もいいよなぁ、桐生先輩のお気に入りになれて」

「お気に入りって言っても、あくまで宗佐のついでだろ。そんな気に入られ方しても嬉しくねぇよ」

「そうか? あの桐生先輩に贔屓にされるんだぞ。ついでだろうが嬉しいだろ」


 羨ましい、と断言する木戸に、俺は肩を竦めて返した。

 俺としては、譲れるのであれば今の地位を譲ってやってもいいぐらいだ。


「でも、お前だって桐生先輩に気に入られてるだろ?」

「俺が?」

「あぁ、前にネクタイの件で話してた時、お前だけ俺に二回蹴り飛ばされたって知って楽しそに笑ってたからな」


 俺の大立ち回りを聞いた時、桐生先輩は最初こそ冗談交じりに「それは観たかったわ」と微笑んでいた。――己で仕掛けた癖に、という言葉は後が怖いので飲み込んだ――

 だが木戸だけは二度も、それも不意打ちなうえに二度目は珊瑚の泣き真似に騙されたと話せば、彼女は口元を押さえて顔を背けてしまった。多分上品な笑いを繕えなくなったのだろう。

 ふ、ふ、と小刻みに肩を揺らし、次いで先程よりも楽しそうな声で「馬鹿ねぇ」と笑うのだ。呆れも交えたその表情と声色から、彼女が心から笑っているのが分かる。

 これは、木戸だから、と考えるべきだろう。


 そう俺が話せば、木戸は唖然としたように目を丸くさせ……、


 次の瞬間、なぜかサァと一瞬にして顔を青くさせた。


「な、なに、何を言ってるんだい敷島君は。はは、嫌だなぁ。そんな事あるわけないじゃないか!」

「……なんだよ、突然気持ち悪い口調になって。そんな事ないって、お前も多少なり桐生先輩に気に入られてるだろ。たまに二人で話してるの見かけるぞ」

「わ、わぁあ! しまった、宿題を放ってきたのを忘れてた!! 悪いな敷島、またな!!」


 木戸が俺の言葉を遮るように大声で喚き、そのうえ急いで教室を去っていく。

 その後ろ姿は逃げているように見え、俺はどういう事かと首を傾げつつそれを見送った。



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