第2話 小悪魔系美少女

 


 月見弥生は魅力的である。

 あどけない顔つきに温和な性格、誰隔てなく親切で家庭的。些か運動神経が悪く抜けたところもあるが、それも彼女ならば美点と言える。

 そんな月見の魅力の一つが、高校生らしからぬ体つきである。

 温和な性格や努力家なところはいかにも高校生らしいのだが、どうにもスタイルは高校生の域を出ている。

 つまり……かなり豊かなのだ。だが太っているわけではなく、出るべきところは出て、縊れるべきところは縊れている。温和でおっとりした性格のわりに、スタイルの破壊力は抜群である。


 そんな月見が、シャツの胸元を引っ張って扇いでいる。

 それが妙に彼女の胸元を意識させ、暑いと呟かれた吐息交じりの声が艶めかしく感じられた。汗ばんでいるのかシャツが肌に張り付いていて……。


「……そ、そういえば妹も暑いのが苦手なんだな!」


 無理やりと言わんばかりの勢いで月見から顔を逸らして宗佐に向き直れば、大方俺と同じことを考えていたのだろう、宗佐もはっと意識を取り戻して「そうなんだ!」と声を荒らげた。

 ぐいとこちらに身を寄せてくるのは、きっと今の月見を視界に入れまいと考えているのだろう。

 気持ちは分かる。今の月見は、視界の隅だろうと捕えてしまったが最後、目を奪われ同時に意識を持っていかれかねない。


 我ながら馬鹿馬鹿しいと笑いたくなるが、男子高校生なんてこんなもの。

 とりわけ夏になると当然だが女子生徒も薄着になり、それが気になってしまうのだ。中でも月見の威力は耐えがたい。


「珊瑚も暑がりで、夏になると買物どころか回覧板を回しに行くのさえ俺に押し付けるんだ! この間なんて同時に買物頼まれたのに『宗にぃ気を付けて行ってきてね』って当然のように俺に押し付けて来たからな! まぁ可愛い妹の頼みだからもちろん俺が行ったけど! いやぁ暑かった!」

「そうか、兄を使うなんてまったく困った妹だな! それでも行ってやるなんて宗佐は良い兄だ!」


 早口気味の宗佐の話に、俺もつられて上擦った声で返す。

 後方から月見の「芝浦君は優しいね」という声が聞こえてくるが、残念ながら今の俺達にはそちらを向く余力はない。

 許せ月見、と心の中で呟き、はたと我に返った。次いで窓の外へと視線をやる。


 そこに珊瑚の姿が……無い。


「こういう話をしてると本人が現れそうなものだけどな。『私が酷い妹みたいに言わないで!』とか言って」


 窓辺に陣取り文句を言う珊瑚の姿を想像する。さぞ不服そうに宗佐を睨みつけることだろう。もしかしたら誹謗中傷だと宗佐の持っているうちわを奪うかもしれない。

 休み時間もまだある事だし、本当に来るかもなと窓の外を眺めながら冗談交じりに笑いながら話していると……、


「あら、敷島君は私じゃなくて別の女の子をお望みなのね。残念だわぁ」


 と、妙に色っぽい声が聞こえてきた。

 慌てて振り返れば、そこに居るのは一人の女子生徒。


 艶のある長い黒髪が揺れる。夏真っ盛りなこの時期でありながらその黒髪は暑苦しさを一切感じさせず、それどころか涼やかな印象さえ漂わせていた。

 スラリと伸びた四肢は動作一つ一つを優雅に見せ、空いていた椅子に座るだけでも目を引く。細い体に長い手足、それでいてやせ細っているわけではない。抜群のプロポーションとはまさにこの事。

 そのうえ俺と目が合うとニヤリと笑みを浮かべるのだ。大人びた麗しい顔付きが悪戯っぽく笑うと、色香と可愛らしさが混ざり合う。


「……桐生先輩」


 彼女の名前を呼べば、やたらと甘い声で「こんにちは」と返された。



 桐生楓きりゅうかえで。蒼坂高校三年生、つまり俺達の先輩にあたる。

 高校生とは思えない大人びた態度と、並のモデルや女優も白旗をあげかねない美貌。それでいて性格は実に厄介。悪戯に男心を弄び、かと思えば純な少女のように振る舞う。

 いわゆる小悪魔系というタイプだ。彼女に翻弄されたいと願う男は後を絶たない。


「ご、ごきげんよう、桐生先輩。本日はとてもお日柄もよく」

「いやね、わざとらしい他人行儀。……それ他人行儀なの? まぁ良いわ、それより楽しそうにお話していたけど、私も聞かせて貰っていい?」


 ニッコリと音がしそうなほど麗しく微笑み、桐生先輩が俺と宗佐に視線を向けてくる。

 とりわけ宗佐に対しての笑みの魅力的な事と言ったらない。妖艶な色香の中に隠し切れない恋心をほんの少し混ぜ合わせたような、男ならば誰もがドキリとしてしまう表情だ。

 向けられたらどんな男でも一瞬にして彼女の虜になるだろう。……もっとも、宗佐はあっけらかんと笑っているだけだが。


「エアコンの設定温度を下げるため、職員室に直談判しようかって話をしていたんです。なぁ、健吾」

「俺まで一緒に行くような言い方するなよ」

「何言ってるんだ。俺達は一蓮托生だろ!」


 桐生先輩の笑みに隠された恋心に全く気付かず――本当、馬鹿だ――宗佐が熱く語る。挙句に「死ぬときは一緒だ」とまで俺に言って寄越すのだ。

 その話を聞き、桐生先輩が楽しそうに笑った。目を細め、口元を手で隠し、クスクスと品良く笑う姿はなんと様になっているのだろうか。次いで漏らされる「芝浦くんってば」という声はどことなく甘い。


 彼女の登場と、そしてこの妖艶でいてどこかあどけない言動に、教室中が落ち着きを無くしていた。

 そんな中で聞こえてくるのが……。


「まただ……また芝浦だ……なぜ奴なんだ……」

「あぁ、桐生先輩は今日も美しい……。芝浦のおかげで桐生先輩が教室に来てくれるけど、桐生先輩は芝浦しか見ていない……なんというジレンマ……」


 という恨み辛みの声。言わずもがな、クラスメイトの男子生徒達だ。

 今日は月見を慕う者達の恨み辛みに加えて、桐生先輩を慕う男達のものまで追加されている。真夏の教室で聞くには堪えがたい鬱陶しさだ。『嫉妬の炎』とはよく聞くが、実際に教室内の温度が上がっているかもしれない。

 うんざりだと心の中で呟き、俺はチラと桐生先輩を横目で見た。


 時に楽しそうに笑い、時に悪戯っぽく笑い。……そして時に、愛おしそうに宗佐を見つめる。

 その瞳は、小悪魔で本性を隠す桐生先輩らしくなく分かりやすい。


 ……彼女もまた、宗佐に惚れているのだ。



「まったく理解できないな……」


 思わず呟けば、宗佐が不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。「悩みごとか?」と尋ねてくるが、悩みの種はまさにお前である。

 だがここで言うわけにもいかず、なんでもないと誤魔化しておいた。

 いっそ大声ではっきりと「お前が月見や桐生先輩から好かれてるのが不思議でならない」と言ってやりたい気もするが、外野の俺がそれを言うのは野暮だろう。彼女達の気持ちを傷つけることになる。


 そう考えて言い出したいのをぐっと堪えれば、宗佐がガタと立ち上がった。

 どうやらエアコンだの何だのと話していて暑くなったらしく、飲み物を買ってくるという。月見が慌てて鞄から財布を取り出し、自分もと宗佐に続いた。

 呪詛を奏でていたクラスメイト達が「しまった飲み物が無くなった」だの「喉が渇いて耐えられない」だのと白々しく口にしてその後を追う。宗佐と月見を二人きりにするまいという確固たる意志が感じられる。


 俺はそれを適当に片手を振る事で見送り……、はたと我に返ると己の迂闊さを心の中で悔やんだ。

 宗佐と月見が教室を出ていった。つまり、桐生先輩と二人きりだ。もっとも、まだ教室内にクラスメイトは残っているのだが、割って入ってくるような者はいない。


 ……しまった、俺も追いかければよかった。




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