第36話 幕間

※一年前のお話です。


 


 郵送だの手渡しだの、果てにはインターネットだの、最近では受験の合格発表も様々である。

 そんな中、我が蒼坂高校はいまだ張り出しという古風な発表方法をとっていた。


 定時になると先生達が掲示板に合格者の一覧を張り出し、受験生達が自分の番号を探す……という昔ながらの方法。手堅い反面、自分の番号を見つけて喜ぶ者の隣で落胆し涙を流す者が出るという、ある意味でどんな方法よりも残酷といえるかもしれない。

 俺も自分の受験票を握りしめ掲示板の前で緊張しながらスタンバってたっけなぁ……と、そんなことを思い出す。懐かしい、ちょうど一年前だ。


 そう昔を懐かしんでいると、カタカタカタ…と小さな音が響いた。机の上で小刻みに揺れるペンを隣に視線をやる。

 振動の原因。俺の隣に座る振動マシーン、もとい宗佐。


「おい宗佐、落ち着けよ。この机バランス悪いんだから揺れるな」

「だ、だ、だだって健吾、と、とうとう、今日発表なんだぞ」

「知ってるよ、というか発表だから俺達が休日なのに学校に来てるんだろ」


 呆れるように答え、机の下で宗佐の足を軽く蹴っ飛ばす。それに対して返ってくる「危ないだろ」というのは、もちろん足下に小型のヒーターが置いてあるからだ。

 先生が恩情で用意してくれた小型ヒーター。暖かいには暖かいのだが、昇降口で座り続けるこの過酷な業務を乗り越えるには威力が足りない。つまるところ寒い。



 ちなみに俺達が合格発表という重要な日に何をしているのかと言えば、案内係である。

 といっても発表だの手続きだのは当然だが教師達の仕事で、俺と宗佐は昇降口にじっと構え、時折現れる受験生に発表場所やトイレを案内してやるぐらいだ。もっとも、それも十分に一人くればいいぐらいの頻度である。


 つまり暇。

 寒くて暇。


 さらに文句を言うのであれば、本来なら在校生は休みなのだ。現に事情を知る友人達から「頑張れよ」と冷やかし混じりのメールが届き、中にはまだ布団の中だのコタツの中だのと、いかに自分がヌクヌクと暖かく過ごしているかを実況して寄越す奴までいる。

 これほど憎らしいものはない。連続宿題忘れの罰として今日の案内役を押しつけられ「頑張ります、俺と健吾で!」と職員室で堂々と人を巻き込んでくれた宗佐を抜きにすれば、の話だが。


「くそ、なんで俺まで……」

「だ、だ、だだって、俺一人じゃ、ふ、不安で」

「分かった、分かったからお前は少し落ち着けよ。発表までまだ三十分以上あるんだからな」


 再びカタカタと震えだす宗佐を宥め、時計を確認する。

 先生が合格者一覧を張り出すのは十二時ちょうど。今はまだ11時半にもなっていない。それなのにこの調子なのだから、はたして発表までもつのかどうか……。

 そんなことを考えつつ溜息をつけば、緊張した面持ちの中学生がまた一人昇降口の前を通っていった。



 宗佐がどうしてここまで面白おかしくかつ無様に緊張しているのかと言えば、ひとえに今日が合格発表の日だからである。

 宗佐の妹が蒼坂高校を受験し、まさに今日、その結果が張り出されるのだ。


「そ、そろそろ……そろそろ来るはず……」


 携帯電話を操作する宗佐の表情は、見て分かるほどに強ばっている。

 流石はシスコン。妹の合否発表を我が身のように緊張している。俺だって兄貴達の合格発表の時は緊張したが、今の宗佐ほどではない。

 だが芝浦家は複雑で、宗佐は妹と血が繋がってないと聞いたことがある。互いに親の連れ子、となれば多少シスコンなぐらいが上手くいっている証なのかもしれない。


 そんなことを考えながら小刻みに振動する宗佐を眺めていると、「ここに居たのね」と女性の声が聞こえてきた。

 見れば宗佐の母親がこちらに手を振って歩いてくる。

 その隣に居るのは宗佐の妹。茶色のダッフルコートにクリーム色の厚手のマフラー。コートの裾からは中学校の制服らしい濃紺のスカートが覗き、同色の靴下に茶色のローファー……と、まさに学生と言った出で立ちである。


「母さん、珊瑚」


 二人の名前を呼んで、宗佐が応えるように手を振る。

 俺も軽く頭を下げて挨拶をすれば、宗佐のおばさんが「二人とも寒かったでしょ」とコンビニの袋に入ったホットコーヒーを差し出してくれた。

 お礼と共に受け取れば、母親の隣に立っていた宗佐の妹が俺に対して小さく頭を下げた。

 

 宗佐の妹、芝浦珊瑚。

 遊びに行って何度目かの時に偶々居合わせ紹介されたことがある。もっとも、その時には既に俺は宗佐から嫌というほど妹自慢をされていたので名前は知っていたのだが。


「さ、ささ、珊瑚、ちゃんとじゅ、じゅ、受験票は持ってきたか!?」

「宗にぃ落ち着いて、ちゃんと持ってきてるよ」

「だっ、だってあと二十分で……二十分!? おい健吾、あと二十分だぞ!」

「いや、それを俺に言われても」


 コーヒーと一緒に貰った菓子を食べながら返せば、あまりの宗佐の動揺ぶりにおばさん達が肩を竦めた。この場において宗佐が一番緊張しており、そして宗佐がこの有様だからこそ逆に彼女達が落ち着けるのかも知れない。

 そんな無様な姿を見かねたか、宗佐のおばさんが苦笑を浮かべつつ「さ、行きましょうか」と傍らに立つ娘の背を撫でた。やはり彼女も緊張しているのか、それを聞いて表情が僅かに強ばる。

 当然といえば当然、なにせ今日、それどころかあと二十分後には合否が分かるのだ。


 そんな妹に対して宗佐が「頑張れよ!」と声をかけて見送る。

 そういえば俺も、一年前の合否発表の時に同じように家族に声をかけられた。だがもはや試験を終えて合否を待つしかない今、いったい何を頑張ればいいのだろうか。




 そうして次から次へと昇降口前を通り過ぎていく中学生や親達を見送り、発表まであと十分……となったところで「芝浦、敷島」とセットで声をかけられた。

 見れば普段はジャージ姿の体育教師が珍しくスーツなんぞ来てこちらに歩いてくる。


「俺が代わるから、お前達休憩入っていいぞ」

「休憩?」


 思わず問い返してしまうのは、もちろん合否発表まで十分をきったからだ。

 既にほとんどの受験生が掲示板の前で待っているとはいえ、ギリギリで駆け込んでくる者や少し時間を遅らせて混雑を避ける受験生もいるだろう。それに合否が発表されれば手続きをはじめ先生達も忙しくなるはずだ。

 てっきり休憩など有ってないようなもの。食事も弁当を渡されてこの場で案内をしつつ食べるのかと思っていた。そう告げれば先生が苦笑し、俺の隣で最大震度を叩き出している宗佐を顎で指した。


「芝浦の妹さんが来てるんだろ。一緒に結果見てこい」

「俺は?」

「敷島は芝浦を連れていってやれ」


 これじゃ掲示板まで辿り着けないと宗佐の有様を見て判断したのか、先生が苦笑を強める。

 これも先生なりの優しさなのだろう。無関係とはいえ俺も休憩に入れるに越したことはなく、それならと席を立って宗佐の首根っこを掴んだ。



 掲示板前は既に人集りで、緊張した面持ちの中学生やその親が今か今かと発表の時を待っている。

 そのなんとも言えない張り詰めた空気の中、宗佐が周囲を見回し早々と目的の人物を見つけた。流石はシスコン、どうやら妹センサーがついているようだ。

 そうして、なぜか俺まで加わり――個人的にはどこかで休んでいたいのだが、宗佐に「受かったら一緒に祝え、もしもの場合は全力で一緒に慰めろ」という脅迫じみた眼差しで言われて頷かざるを得なかった――緊張の中で待ち続けていると、教頭をはじめ数名の教師達が校舎から現れた。


 いよいよといったその空気に、周囲がよりいっそう張り詰める。

 チラと横目で見れば、宗佐の妹も緊張しているようでマフラーの端をギュッと強く握っていた。寒いからか僅かに鼻先が赤くなっており、願うような瞳で教頭達を見つめている。

 そんな受験発表らしい空気にあてられ、思わず俺まで緊張してしまう。といっても俺は彼女の受験番号すら知らないのだが。 


 そんな期待と緊張の視線を一身に受けながら教頭が時計を確認し、手早く挨拶と今後の流れを説明する。正式な手順なのだろうが、今は意地悪く焦らしているようにしか思えない。

 次いで張り出されていく合格者一覧に、掲示板前がワァと一瞬にして沸き立った。

 黄色い声をあげて合格を喜ぶ者も居れば、番号が無かったのかその場で泣き出す者もいる。残酷なまでに明暗が分かれる空気の中、宗佐の妹はマフラーを掴む手に力を入れながら一覧を見つめ……


「あった」


 と、一言ポツリと呟いた。

 どうやら番号があったらしい。宗佐とおばさんもそれを確認し、二人揃って彼女を抱きしめる。

 俺としては番号も分からないしどうして良いか分からないが、それでも思わず安堵してしまう。


「珊瑚ちゃん! おめでとう!」

「やったな珊瑚! これで来年から俺の後輩だ!」

「そうだ、お義母さんに連絡しなきゃ! それにお父さんにも連絡して、あちらのご両親にも電話して、あぁここだと騒がしいわ!」

「珊瑚、俺が書類とってきてやる! このために俺はこの仕事に名乗りでたんだからな!」


 ちょっと待ってて!と宗佐とおばさんが一瞬にして走り去っていく。その姿、有無を言わさぬ強引さ、流石は親子である。

 ――宗佐が自ら今日の仕事を引き受けたような口振りだったのが気になるのだが、まぁ祝いの場なのでそういうことにしておいてやろう――

 そんな二人が去ってみれば、残されたのは俺と宗佐の妹。いまだ喜んだり泣いたりと賑やかな掲示板前に二人並んでポツンと立つ、この気まずさといったらない。

 もっとも、彼女は気まずさよりも自分の合格が胸をしめているようで、何度も手元の受験票と目の前の掲示板に視線をやり、ホゥと深い息を吐いた。緊張が解けたのかほんのりと頬が赤くなり、吐いた息が白く揺れる。


「番号、何番なんだ?」


 ふと興味を抱いて尋ねれば、宗佐の妹が答えると共に受験票を見せてきた。思わず「懐かしいな」なんて話してしまう。俺も一年前、受験票を握りしめてここに立っていたのだ。

 次いで教えられた彼女の番号を探してみれば、確かに合格者一覧に記されている。

 そうしてふと隣に視線をやった。安堵するような、それでいて未だ実感がないというような表情で一覧を見上げている。

 彼女は来年から後輩になる。ならば俺からも一言祝ってやろうとし……


 なんて呼べば良いんだ?

 と、小さく首を傾げた。


 普通に考えれば「おめでとう」だけで良いのかもしれないが、どういうわけかちゃんと声を掛けなければならないと、そんなことを思ってしまったのだ。


『芝浦さん』は違う。なにせ宗佐もおばさんも芝浦だ。むしろこの面子で芝浦ではないのは俺だけである。かといって、親しいわけでもないのだから呼び捨てにするわけにはいかないし、『珊瑚ちゃん』も馴れ馴れしすぎる。

 そもそも、彼女は宗佐の妹なのであって、だから……、


「良かったな、妹」


 と、色々と考えた挙げ句に一番見当違いな呼び方をした俺に、彼女はきょとんと眼を丸くさせた後、


「先輩の妹じゃありません!」


 と、嬉しそうに笑った。






幕間:了

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