第31話 告白の場所

 

 早瀬を追いかけ、校舎裏へと向かう。

 放課後になりしばらく経っているため人気は少なく、駐輪場にも人はまばら。グラウンドで部活に励む生徒達の賑やかさもどこか遠くのように聞こえる。

 早瀬は追いかけられて無我夢中でここに来てしまったのか、それとも……。

 この先には藻が浮かぶ池がある。一本目のネクタイと、そして月見の鍵が投げ捨てられた池だ。もしや今回も、と俺が危機感を募らせていると、その池が道の先に見えてきた。


「ま、待て、馬鹿なこと考えるな!」


 俺が声を掛ければ、早瀬がちらとこちらを睨みつけてきた。

 だが走る速度は落とさず、結局ようやく俺達が追いついたのは池の手前だ。走ったことで息を荒くさせ肩を上下させ、握りしめたネクタイを見つめている。

 その表情が酷く苦しげなのは走ったからだけではないだろう。彼女自信こんな事をしても意味がないと分かっているはずだ。


「ネクタイ、返してくれればそれで良いから……」


 息のあがった珊瑚が宥めるように訴え、恐る恐る一歩ずつ早瀬に近付いていく。

 だが珊瑚の声を聞いた瞬間、思い詰めたようにネクタイを見つめていた早瀬が顔を上げた。


「私だって芝浦先輩のことが好きなのに……。私の方が先に出会ってれば……! それにクッキーもチョコレートも受け取ってくれて、美味しいって言ってくれた! 貴女だって知ってるでしょ! それなのに怒りもしないで、いつも余裕ぶって……!」

「だから、違うの」

「月見先輩が差し入れしても何も言わないし、今だって芝浦先輩のところに行かずに私を追いかけて……! 信じられない、それでどうして芝浦先輩と付き合ってるの!? 芝浦先輩が可哀想でしょ!」


 怒鳴るように早瀬が訴える。

 彼女は珊瑚のことを『宗佐の恋人』と勘違いしている。

 ゆえに、今に至るまでの珊瑚の態度が腹立たしくて仕方ないのだろう。


 宗佐の恋人なのに、早瀬が手作り菓子を差し入れるのを気にも掛けず、月見や他の女子生徒が続いても動じない。

 宗佐の恋人なのに、月見が宗佐に告白するのを知ってなお、邪魔をすることも止めることもせず、早瀬を追いかけている。


 彼女の目には、珊瑚の態度は、恋人という地位にあぐらをかいて宗佐を蔑ろにしていると写っている。

 それどころか、己の健気なアピールをあざ笑われているように感じたのかもしれない。


 だがすべて違う。

 そもそもの根底が間違えている。


「違うの、勘違いしてるよ。そもそも私は宗にぃの恋人じゃない」


 だから、と珊瑚がまた一歩早瀬に近付く。

 そうしてネクタイに手が掛かった瞬間、奪われると察したのか早瀬がびくりと肩を震わせ、伸ばされる手を避けるように腕を動かした。

 その腕が珊瑚にあたる。殴るような衝撃だったのか、「きゃっ」と小さく悲鳴をあげ、バランスを崩した。

 転ぶまいと後ろに一歩引いた彼女の後ろ足が、ぬかるんだ地面にずるりと滑る。


「妹……!」


 危ない、と珊瑚へと手を伸ばす。

 だがそんな俺の横を、何かがすり抜けていった。


「珊瑚!!」


 と、聞き覚えのある声の、それでいて聞いたことのない鬼気迫る声がする。

 次いで俺の目の前で、倒れ掛けていた珊瑚が何かに支えられ、今度はこちらへと倒れ込んできた。

 慌ててそれを受け止めれば、ほぼ同時にドボッと聞くに耐えない音が聞こえてきた。


「宗にぃ!」

「宗佐!?」


 俺と珊瑚が同時にその名前を呼ぶ。


 あの瞬間、転びかけていた珊瑚の名を呼び助けたのは、他でもない宗佐だった。

 そして珊瑚を助け、まるで身代わりのように藻だらけの池に突っ込んでいった。


 全身とはいかないまでも、腰から下は藻に浸かっている。下手すれば顔面からスライディングしていた勢いなので、辛うじて助かったと考えるべきか。顔が浸からなかっただけマシか。

 無惨な姿だ。

 ゆっくりと身を起こして池から出てくるが、その動きはだいぶぎこちない。足取りも遅く左右によろつき、池から出るとそのまま地面に膝をついた。

 珊瑚が慌てて宗佐の前にしゃがみ込む。


「いたた……。珊瑚、大丈夫だったか?」

「わ、私は平気だけど……。宗にぃはなんでここに……。どうして……」

「話し声が聞こえてさ。なんだか分からないけど、珊瑚が無事で良かったよ」


 へらと宗佐が笑う。妹の無事を確認して気が抜けたのか締まりのない顔だ。

 対して、珊瑚は今にも泣きそうな表情をしている。宗佐が藻だらけでなければ、きっと今すぐにでも抱きついていただろう。


 だけど、どうしてここに宗佐が……。


 そう疑問を抱いた瞬間、「芝浦君!」と宗佐を呼ぶ声が聞こえてきた。

 月見がこちらに駆け寄ってくる。宗佐を案じる彼女の姿に、俺は事態を理解すると同時にしまったと小さく呟いた。


 月見は宗佐への告白の場として、校舎裏を選んでいたのだ。

 放課後に入ってすぐならまだしも、今は人の行き来も少なく、周囲を気にせず静かに話が出来る。藻だらけの池は告白の場には風情が無いが、奥まった場所にいけば人の目もなくそこそこの雰囲気はあるはずだ。


 ……俺達が割り込んでさえこなければ、ここは告白の場に適している。


「なにやってるんだよ、俺。協力どころか邪魔になってるじゃないか……」


 肩入れしないだの中立だのと言って、結局はこの様だ。なんて不甲斐ないのだろうか。

 申し訳なさが胸に湧く。今すぐにでも月見に謝りたい。


 それでもせめて告白が終わっていれば。

 そんな一縷の希望を抱くも、今の月見と宗佐の様子からは既に告白を終えているのかは窺えない。どこまで話が出来たのか、月見は宗佐に想いを打ち明けたのか、宗佐はネクタイを月見にあげたのか……。


 だが今優先すべきは告白の行方ではない。

 そう自分に言い聞かせるのとほぼ同時に、宗佐が「あれ」と声をあげた。

 視線を向けたのは、自分が突っ込んでいった藻だらけの池。

 そこに浮かぶ、一本のネクタイ。

 珊瑚が早瀬から取り返そうとしたが、それはかなわず、宗佐と共に池に落ちたようだ。


「ネクタイ? なんでこんなところに……」


 宗佐がネクタイを拾い上げる。

 どろと藻が絡みついているが、それでも刺繍部分は汚れずに残っていた。

 裾に描かれた『S・S』のイニシャルを、宗佐がじっと見つめる。


「もしかして俺が珊瑚にあげた……。これ、さっき早瀬さんが持ってたよね?」

「芝浦先輩、でも、これは……」

「珊瑚となにか揉めてるように見えたけど」


 自分の勘違いなら失礼だと考えているのか、早瀬に尋ねる宗佐の口調は随分と慎重だ。様子を伺いつつ、探るように答えを求める。

 だが早瀬に問いつつも時折珊瑚に視線をやるあたりは宗佐らしい。この話題で大事な妹が傷つきやしないかと案じているのだ。


 この状況下でも、騒動に巻き込まれて池に落ちても、それでも宗佐は優しい。

 だがその優しさは珊瑚に向けられている。

 宗佐は何より珊瑚を優先する。それは今この場でも変わらない。


 それは早瀬にとってあまりに酷な事実である。

 察した早瀬は青ざめたまま「だって」と小さく呟いた。


「だってこの子が……。なんでこんな子が良いんですか……」

「この子って、珊瑚のこと?」

「今日だってずっと芝浦先輩のこと蔑ろにして、信じられない。最低でしょ。こんな女、芝浦先輩に釣り合わないのに!!」


 早瀬が珊瑚を睨みつけて喚く。

 次いで宗佐へと向き直ると、切羽詰まった表情で「私……!」と詰め寄った。


「私、芝浦先輩のことが……!」


 好きです、と。


 早瀬の声が聞こえた気がした。

 だがあくまで『気がした』だけだ。実際には、彼女の告白は俺の耳には届かなかった。

 代わりに聞こえてきたのは、



「俺の妹を悪く言うのは許さない」



 という、宗佐の、宗佐とは思えない、酷く冷たい声だった。



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