第30話 勘違い
「芝浦先輩が他の女に告白されるっていうのに、それを止めずにこんなところにいるなんて信じられない! そんなふざけた気持ちで付き合って、芝浦先輩に失礼だと思わないの!」
自棄になったのか、早瀬が捲し立てるように珊瑚を責める。
だけど、何かおかしい……。
「おい、待て。何を言ってるんだ……?」
「こんな事にまで首突っ込んで、先輩には関係ないじゃないですか!」
「そ、そうかもしれないけど……。だけど見過ごすわけにはいかないだろ」
「兄妹いつも一緒で、今だって兄の影に隠れるなんていい歳して気持ち悪い。芝浦先輩だって本当は気持ち悪いって思ってるはず。あれこれ口出しされて迷惑してるに決まってる!」
「……なんの話をしてるんだ」
早瀬の話はおかしい。何か食い違っている。
彼女はしきりに、珊瑚に対して「芝浦先輩とは釣り合わない」と喚き、そして俺に対して「妹の恋愛に口を出すなんて」と責めてくる。
これではまるで、俺と珊瑚が兄妹で、そして珊瑚が宗佐と付き合っているかのようではないか。
「そうか、勘違いしてたのか……」
そういう事か、と小さく呟く。
珊瑚と早瀬は同学年でもクラスは別。嫉妬ゆえに珊瑚を避けていたのなら、彼女の本当の苗字を知らずにいても仕方ない。
とりわけ珊瑚の友人や宗佐、それどころか月見までもが彼女を下の名前で呼び、おまけに俺は珊瑚を『妹』と呼んで周囲に話しているのだ。結果、早瀬が珊瑚の苗字を知る機会は今の今まで無かった。
それでも、話をすれば勘違いと気付けたかもしれない。だが早瀬はいつも宗佐に差し入れを押し付けるだけで、あとは遠目に眺めるだけだった。それも宗佐を熱心に見つめていたのだから、きっと俺と珊瑚のやりとりなど気にも留めていなかっただろう。
『愛おしいと言わんばかりに珊瑚を下の名前で呼ぶ宗佐』と『珊瑚を”妹”と呼ぶ俺』。
そこから早瀬は勘違いをし、そして勘違いの末に嫉妬を募らせてこの場にいる。
「そうか、俺のせいか……。いやでも、勘違いしていたとしても他人のネクタイ盗むのは駄目だろ」
「何が勘違いよ……。そうやって兄妹の事に口を挟んで、関係ないじゃない!」
「だからそれが違うって言ってるだろ」
珊瑚は俺の妹ではない。兄妹なのは宗佐と珊瑚だ。
そう説明しようとするも、冷静さを欠いた早瀬はこちらの話を聞こうとしない。
宗佐を蔑ろにしたと珊瑚を責め、無関係な兄なのにと俺を責める。挙げ句にここには居ない月見までも「私の真似をして芝浦先輩に!」と責めだした。
怒りの矛先をころころと変えるあたり、当人も考えが纏まっていないのだろう。かなり頭に血が上っているようだ。
まずは宥めて落ち着かせるのが先か……。
そう考えた矢先、「話し声がするぞ!」と技術室の外から声が聞こえてきた。
それに続いて、こちらに数人の足音が聞こえてくる。
「まずい、あいつら追いかけてきたのか……。意外と復活が早いな。もう一発ずつ入れておけばよかった。それか足を狙って機動力を削いでおくべきだったか」
「……修羅の家」
「妹、だから人聞きの悪いことを言うな」
「修羅の家の妹じゃありません!」
「俺の家だって修羅の家じゃありません。というか今はそんな話をしてる場合じゃなくてだな。あいつらに見つかるとまた厄介な事になりかねないから、ここはひとまずやり過ごすぞ」
そう珊瑚に告げ、扉の方へと視線を向ける。
だがそれを逃げる好機と取ったのか、早瀬がこちらに向かって一気に駆けてきた。躍起になった表情と鬼気迫る勢いに、俺の背中で珊瑚が小さく息を呑む音が聞こえる。
「うわっ」
と、思わず声をあげてしまう。
数歩後ずされば、背に隠れていた珊瑚がぶつかりそうになり慌てて俺を避ける。その横を、ネクタイを握りしめたまま早瀬が擦りぬけて教室を出ていった。
立ち去る間際に珊瑚に手を伸ばしたのは突き飛ばすためか。すんでのところで庇えたのは良かったが、おかげで逃してしまった。
「くそっ……!」
「ま、待って、ネクタイ返して!」
俺と珊瑚が同時に教室を飛び出す。
見れば早瀬の姿は既に廊下の先にあった。
まずい、
ここで逃げられるわけにはいかない。
彼女が手にしているネクタイは、珊瑚が宗佐から譲り受けたもの。だが結局のところ蒼坂高校指定のネクタイでしかなく、刺繍されているのはイニシャルのみ。
現行犯で認めさせない限り、同じイニシャルの他の人から貰っただの、自分で刺繍を指定して買っただのと言い逃れ出来てしまう。
だが慌てて早瀬を追うも、逃げる彼女の足は速く、距離はなかなか縮まらない……。
そのうえ渡り廊下から外へと出てしまった。上履きのまま迷いなく駆けていく姿に、居合わせた生徒達がぎょっとして道を譲る。
「逃がすか……!」
早瀬を追い、渡り廊下から外へと出ようとする。
だがその寸前、ぐいと上着の裾を掴まれた。振り返れば珊瑚が制止するように服を掴んで俺を見上げてくる。眉尻を下げた、困惑の表情だ。
「外に出たら上履きが汚れちゃいます。……だから、もう良いです」
「もう良いって、なにを言ってるんだ」
「私が妹なのに宗にぃからネクタイ貰ったから、あの子に勘違いさせちゃったんです……。だからこれからリボン着けます。それに……」
「それに?」
「月見先輩が宗にぃからネクタイを貰ったら、私まで着けてるのはおかしいし……」
「だけど、それじゃ」
「……大丈夫です。リボンだって、私、似合ってたでしょ」
たどたどしい言葉で告げ、珊瑚が力無く笑う。
普段は小生意気な彼女らしくない、なんて弱々しい笑みだろうか。
笑おうと取り繕っているのだろうが、俺の目には泣きそうにしか見えない。
そんな珊瑚の笑みを見た瞬間、俺の胸の内が言い様のないほどにざわついた。
感情を荒いブラシで撫で上げられたような、痛いような苦しいような、とにかくどうしようもないほどの不快感が一瞬にして胸に沸き上がる。
その不快感に背を押されるまま珊瑚の腕を掴めば、弱々しく笑っていた彼女はびくりと肩を震わせた。
「そんなのおかしいだろ」
「……健吾先輩」
「宗佐のネクタイは絶対に取り返す。だからこれからも堂々とネクタイを着けろ。妹だろうと何だろうと、たとえ月見が宗佐からネクタイを貰おうと、あのネクタイは紛れもなくお前のものだ」
たとえ兄妹間の交換だろうと、ジンクスの意味が無かろうと、そして月見が宗佐にネクタイを貰おうとも、『珊瑚が宗佐からネクタイを貰った』という事実は変わらない。
ならばどうして、周囲を気にして彼女がリボンに付け替えねばならないのか。
そう珊瑚の腕を掴みなら訴えれば、彼女は数度瞬きを繰り返し、力なく笑ったまま「そうですね」と答えた。
「よし、それなら行こう。ここで早瀬を逃がして取り戻せなかったら元も子もないからな」
促すように走り出し、渡り廊下から外へと踏み出す。
前を見れば早瀬の背中は随分と小さくなってしまったが、それでも見失わなかっただけマシだ。
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